第三百六十話 京と蝦夷の動き
京 浜田清之
「阿曽沼の進むところ敵無しやな」
「お陰様でございます」
早速、殿から献上品が届けられた。
「これが此度の目録にございます」
「余りかわりはあらへんな」
領地が増えたにも関わらず今までと変わりがないことを指摘なさる。
「なんでも安東にかなり荒らされたようで貢物も増やせぬようでございます」
今年は北出羽の米のなりは例年の半分くらいだと言うのでこれでも無理をして貢いでいるのかもしれぬな。
「ところで、この新しい紙とはなんぞや」
「殿が以前から指示していたものだとは聞き及んでおりますが、詳しくはわかりませぬ」
さわり心地はサラサラして今までの紙とはまた違った良さがあるな。
「墨がにじみにくいともありますが、逆に乾きにくいともありますな」
「ほぉ」
四条様が硯で墨を溶いて書いてみると確かに滲みは少ないが、乾きにくくいささか使いにくい印象だ。
「ふむ、一緒に入れられてきた鉄の筆、鳥のくちばしのようやな。これで書くとええとな」
文字が細く、今のような続け字は書きにくいが墨は少なくて済みそうだ。
「ふむ、これはこれで慣れれば良さそうやな。筆とはまた違った良さがあるわ」
「では某も……むっ少し引っかかりますな」
しかし確かに今までの筆とは違った書き味だ。鉄筆とでも言うべきか。
「この烏口はなるほどこの切れ込みで墨を吸い上げるのやな。どういう理屈かはようわからんけど」
「四条様、烏口とは?」
「この先が嘴のようやろ?で、墨で黒うなるから烏みたいやろ?」
「なるほど」
儂のような武辺者には思いつかなかった。流石は京のお公家様ぞな。
「筆より便利とは言えへんけどな」
確かに、紙に書くならともかく木札や瓦などに書くなら筆のほうが良い。
「まあええわ。珍しい物を贈ってきたんはええことやし。せやけど羊は無しか。見たかったんやけどな」
四条様が嘆息する。
「羊につきましては毛を領民の防寒に用いるので今はまだ献上できませぬと申しておりました故……」
「しゃあないな。その代わりその毛で作ったという手覆(手袋)か。ふむ、ちとちくちくするのう」
毛で出来た手覆は初めて見るのう。戦で履くのは勿論革で篭手為れば、この様に指の部分が親指とそれ以外のみという刀を持つには些か難の有りそうな形をしておる。
「筆を使うには不便やけど、これは冬にはよさそうやな有り難くもろとくわ」
「ははっ。殿も喜ばれます」
「神童はんによろしゅうな」
◇
蝦夷某所 蠣崎新三郎義広
漸く居場所を突き止めた。
「すまぬが、この家に蠣崎という者が居ると聞いたのだが」
片言の夷人の言葉で村のものに声をかける。
「そうだが、あんたはどこから来たのだ?」
「蠣崎の息子さ。漸く親父の居所がわかったんで会いに来たんだ」
「そうでしたか、それはそれは彦太郎(蠣崎光広)も喜ぶだろう。おおい彦太郎、息子が帰ってきたぞぉ」
そう言って村の者が家に入ると、親父が臥せっていた。
「父上……」
「し、新三郎か、死んだはずでは……」
見る影も無く痩せ細った父上が、俺を見て目を丸くする。
「左手は無くなったが死んじゃいねぇよ。というか二郎はどうした」
「二郎はここに来るまでの間に熊に襲われてな」
「……そうか」
戦ではなく熊に食い殺されるとは何とも因果なことだ。父上はその時の傷が元ですっかり体が衰え、今は動くのも難しいという。
「母上はどうしている。一緒に逃げたのだろ」
「あやつには迷惑をかけてな、一足先に三途の川を渡っていったわ」
衰えた父上を養うために身を粉にして慣れぬ手仕事をしているうちに体を壊して死んでしまったらしい。村の近くの墓地に弔ったという。
「ふ、ふ……阿曽沼と正々堂々と戦ったそなたが生き延び、小賢しく逃げ回った儂等が先に斃れるとは、何とも因果というものは分からぬな」
「父上、遠野に行かぬか?あそこには腕のいい医者もいる」
このような姿の父上をみて腹を召せと言うほど、阿曽沼の殿も悪鬼では無いはずだ。
「気持ちだけは受けるが、もはや儂の命もあと幾ばくかだ。死んだと思っていた其方の顔を見られたことが唯々嬉しい」
「父上……」
顎からしずくがしたたり落ちる。
「あのとき阿曽沼に手を出さなければ、攻められた時に逃げずに開城しておればこうはならなんだだろうか……後悔先に立たずとはよく言ったものよな。おおそうだ、ここに稗酒がある。美味い酒ではないが、一献どうだ」
「頂戴……いたします」
すっかり痩せて骨ばかりとなった父上が甕から酒を汲み入れ俺に渡してくる。
「新三郎、美味いな」
「はい……」
「武士は戦場で死ぬのが誉れと謂えど、こうして息子に看取られると言うのも悪くはない」
もはや酒の味など全く分からぬ。
「新三郎、儂の首を阿曽沼の殿に詫びとして差し出せ」
「なっ!」
「儂が死んだという確たる証が必要であろう」
それはそうだが、争ってもいないのに親の首を刎ねる者があろうか。
「わ、私には出来ませぬ!」
「全く困った奴よ。これは其方や卯鶴丸がこの先阿曽沼として生きるために必要なことだ」
「しかし!」
「はぁ、まあよい。儂も疲れたし其方も疲れたであろう、すっかり眠くなってしまったわ」
すっかり話し込んで、父上も疲れたのであろう。俺も父上と再会できて気が緩んだようでまぶたが重い。明日からは父上に精の付く者を食わせて、遠野まで連れて行こうと思っているうちに眠ってしまった。
翌朝、差し込む日に目を覚ますと父上が冷たくなっていた。その顔は毒気が抜けて穏やかなものであった。村の者に母上の墓を教えて貰い、父上を土に埋める。
「父上すまぬ、どうしても父上の首を切ることは出来ぬ。代わりになるかは分からんが父上の髪をもって許しを貰おうと思う。許されなかった場合は叱られるかも知れねえがな。じゃあ母上と二郎にもよろしく言っといてくれ」
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