第三百四十六話 抄紙機ができました

鍋倉城 阿曽沼遠野太郎親郷


 そろそろ稲刈りが近付いてきたこの頃、貸し出していた農桑輯要と孫子が返ってきた。農桑輯要を写している際に興味を持ったものが数人参加したとかで、いまその者達で集まって農桑輯要の研究をしていると。これで幾ばくかでも農業が進歩すれば良いのだが。


 さらにようやく紙の連続製造に目処が付いたとの連絡が来た。待ちわびた日だ。


「そういうわけで早速視察に来たわけだ」


「政務を放り投げないで頂きたいのですが……」


 毒沢次郎郷政が嘆息する。


「何を言うか。産業の視察は大事な政務ぞ」


「それは分かりますが、そろそろ稲刈りですんで今年の作柄から年貢の割当を決めなきゃいけないんですよ」


 中央集権化したから年貢の情報などがすべて城に齎されるのは良い。しかし二十万石分に新田開発、稗田や粟麦畑の開墾に羊を置くための新しい牧場の建設、大槌や大津を始めとする湊の情報に鉱山の開発、さらには他家の動向なども入ってくるので手が足りなくなってきた。早く官僚機構を構築したい。


 まあそんなことなので気分転換として製紙工場に足を運んだわけだ。


「なんというか、煙がすごいな」


 煙突からはもくもくと煙が吐き出されている。建物の近くまで寄ると紙屋製紙司が出迎えてくれていた。


「わざわざのご足労、有り難く」


「なんの。寧ろ貴様らの手を止めてしまってすまぬ」


 そう思うなら政務やってくれと後ろから聞こえたが無視だ。


「とんでもございませぬ。大恩ある殿にお披露目できるまたとない機会で御座います」


 最初に拾ったときはヒョロヒョロしてたのが、仕事でしっかり絞られた精悍な体型だ。紙漉き小屋も今では立派な工場になっている。


「立ち話も悪くないが、早速見せてくれんか」


「ではこちらへ」


 そうして案内された工場に一歩踏み入れた感想は蒸し暑い。


「随分と暑いな」


「色々と火を扱いますので……。それでまずこちらで麻がらや楮の捨てる部分をゆでて細かく砕きます」


 まずおがら(麻から繊維を取った残り)や楮の幹を決まった長さに切って、草木灰を入れた釜で数刻茹でたあとに臼で細かく挽くのだそうだ。ここまでは和紙でも大きな差はないらしく難しくはないとか。


「そして砕いた物を水を張ったたらいに入れまして、この道具の下に置きます」


 ベルトコンベア状にいなった金網に水車でパルプが載せられ、ローラーで圧縮脱水され、その先の棒に巻き取られていく。


「いやぁまず木くずをどうすれば使えるようになるかが悩みましたが、殿の仰ったなんでも試して見ろって言うので色々試しまして、普段の紙と同じように灰で煮るのが一番簡単なようでした」


 早口にそう捲し立てると、一息入れる。


「まあここまでは良かったのですが、ここからが困りました。紙の原料は今まで薪にしていた分を用いることで今までよりかなり多くなりましたが、肝心要の紙を漉くのが今まで通りでは人を大量に使わねばなりませぬ。この人の少ない陸奥では人を集めるのにも一苦労です。そこでどうにか良いからくりを拵えてもらえないか工部大輔殿に相談したのです!」


 まさに立て板に水とはこの事か。


「そうしたらこの道具を作ってくれまして!なんと素晴らしいことか!これまで縦横に枠を振っておりましたが、これをあの転(ころ)で押さえるだけでだいたい均一な厚みになりました!」


 機械の調整をしていた弥太郎の手を掴んで上下にぶんぶん振り回している。感謝の気持ちを表しているのかな。それにしても弥太郎のやつは前世で抄紙機もつくっておったのか?なら早く言ってくれれば……まあ蒸気機関で忙しかったから無理か。


「その先の棒に巻き取ればいくらでも長い紙を作るコトが出来まして、これはもう圧倒的で御座います。まあ、質は手漉きに較べれば大幅に落ちますので、これまで通り殿に献上する紙は私が手漉きにてお作りいたします」


「そ、そうか。ところで、この絡繰りで作った紙の完成品はあるのか?」


「はい。こちらにどうぞ」


 そう言うと奉公人が紙の束を持ってくる。


「茶色いな」


「申し訳ありません。木の色を抜くことが出来ませんでした」


 漂白剤は無いからしょうがないね。さらし粉でもできればいいのだけど、今後の化学の進展に期待だ。

 ともあれこれで木材さえ有れば製紙が出来るので蝦夷や沿海州の木材を持ってくればこの時代ではあり得ないほどの大量生産が実現するな。世界の紙の市場価格が崩壊して紙職人がいなくなるかも知れない……こともないか。流石に言い過ぎだろう。しかし、当家は今まで以上に狙われだろうから、軍備強化を急がねばならんな。


「まあいいさ。本にする紙が足りていなかったからな。これで領内に本をくまなく配ることが出来ればそれだけでも大きな収穫だ。さて、書き味は如何なものか」


 矢立を取り出し筆を走らせればなかなかの書き味だ。


「ふむ、悪くない。それに墨が滲みにくいな」


「はい。私も書いてみましたが今までの紙に較べて墨のにじみは少なくなりました」


 これは印刷用にはうってつけか。とりあえずは木版印刷だけど、いずれは金属活版にしたいな。そこまで行けば印刷物の大量生産ができるので先頃紗綾が作った草紙なんかも一般に普及するかもしれないな。


「なあ工部大輔」


「な、なんですか?」


 弥太郎が身構える。まだ何にも言っていないんだが。


「いやいや、朝鮮にあるという鉛の板を使った活版ができぬかと思ってな」


「ああ、金属活字ですか。でしたら鉛が必要になります。それとできれば紙型も」


「鉛はわかったが、しけい、とはなんだ?」


「はい。紙の型と書いて紙型で御座います。何冊も刷ると鉛の活字版もすり減ってしまいますので、紙型という型をあらかじめ取るのです」


「なるほど、活版がへたったらその紙型に鉛を入れればまた新しい活版が得られるということだな」


「左様でございます」


「しかし紙の型に溶けた鉛を入れれば燃えないか?」


「ご心配は尤もですが、まあ問題ないです。そのあたりは製紙司殿と詰めさせていただいてもよろしいでしょうか」


「もちろんだ。よろしく頼む」


 史実の産業革命の原動力は糸と布だったのに、当家は紙と本からなんだよな。しかしこれは識字率が上がってくれないと市場の限界がすぐに来てしまうのが難点だな。まあそれでも市場を独占、までは行かなくとも寡占してしまえばどうとでも成るだろう。面白くなってきたな。

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