第三百三十五話 お説教

鍋倉城 阿曽沼雪


 時々暑い日がでてきたけどそろそろ若様帰ってくるかしら。蠣崎の誘いなんかには乗ってないと思うけどちょっと心配ね。確りしてそうだけどどこか抜けてるし。


「姫様最近ため息が多いですね」


「紗綾……ごめんね。気分悪くしたかしら」


「いえ、私は特に」


 紗綾の持ってきてくれた白湯に口をつける。


「殿がいなくて寂しいんですし仕方ないですよね」


「ごほっ!げほっ!な、何言ってるのよ!」


「何も仰らなくてもいいのです。紗綾には分かっておりますので」


「わ、分かってるって何よ!別に殿がいなくても寂しくなんて無いわよ!」


 そうよ、ほんのちょっとだけよ。


「そうやって強がって見せる姫様も大変尊いですわ」


 この子、この時代の子なのかしら?三喜さんは酷いものを見たからだと言っていたけれど。もしかして転生者じゃないのかしら、それも有明に出入りしていた類の。


「ねえ紗綾、たまにはあなたのお話を聞かせてよ」


「ええ、私のですか?」


「そうよ。たまに変なこと言うじゃない。さっきも尊いとかさ」


「何かおかしいでしょうか?推しが尊いことしてたら尊いと感じるのは当然なのではないですか?」


 やっぱり転生者なのかしら。


「ねえ、有明って聞いて何か思い浮かぶものはあるかしら?」


「有明?明け方がどうかしましたでしょうか」


 嘘をついてる顔ではなさそうだけどどういうことかしら。


「あ、なるほど!殿と明け方まで仲良くしたいってことですね!わかります!」


「なんでそうなるのよ!」


 べつに違わないけど。


「あ、でもご安心ください。もう少ししたら姫様のそのご希望は叶いますよ?」


「かかか、叶わなくてもいいわよ!」


「あれ?そうなのですか?殿が昨日大槌に戻られたのでもう少ししたらこの遠野にご帰還なされると報せがあったのですが」


「え、殿が帰ってきたの?」


「はい。本当はそのことをお伝えに参ったのですが」


「そ、それならそうと早く言いなさいよ!」


「いやぁ姫様の黄昏れた横顔があまりに素敵でしたので。どぅへへ。私の心にしかと記録いたしました」


 そんな記録はさっさと破棄してほしいわね。


「殿はご無事かしら」


「なんでも左腕を怪我なさったそうですがお元気だと、保安局の桃花さんから聞いております」


 戦だものね怪我くらいはするわよね。早く遠野に帰ってこないかな。


「そういえば保安局の桃花って?」


「きれいな方ですよ」


「ふぅん」


 まあ別に伝令だろうしどうでもいいけれど。


「ふふ、姫様はお可愛いですね。今の姫様を見たら殿も獣性を開放するしかありませんわ!そして昨日はお楽しみでしたね!と」


 本当に前世の記憶はないのかしら?


「ねえ紗綾、あなた読み書きはできるわよね?」


「はぁ、それはもちろん。急にどうなさいました?」


「ちょっと何かあなたが好きな内容でいいわ。草紙を書いてみてくれないかしら?紙と墨は渡すし、何日かかかってもいいから」


 急に無茶振りしたからか驚いてるようだわ。


「そ、そんな急に仰られても……あれを?いやあっちの方が?いやいやだめですよぉ!」


「ちょっと、心配ね」


 これは早まったかもしれないわね。



鍋倉城 阿曽沼遠野太郎親郷


 ようやく遠野に帰ってこられた。すっかりこっちは暑くなった。とりあえず戦後処理を終える。


「皆、戦ご苦労であった。守儀叔父上も檜山を圧えて頂きありがとうございます」


「あぁまあ大したことはない。しかし檜山は落とさなくてよかったのか?」


「ええ」


 戸沢が伸長することになるからな。そうなると守綱叔父上の言う通り裏切ってくるかもしれないのでちょっと慎重にやりたい。


「それよりその腕は大丈夫なのか?」


「はい。もう痛みもありませんし熱も出ずに済みました」


「それなら良い」


「ねえ殿、そんな大変な戦だったの?」


「ああ、上陸したところを挟撃されてな」


「ん?殿も上陸戦したの?」


「指揮官が上陸しないわけには行かないだろ?」


「上陸時に斥候は出したの?」


「船から敵影は見えなかったからな」


 あれ、雪さんなんか怒ってる?


「上陸した後は?」


「斥候を出してまず蝦夷の民が攻めてきて、その後城から敵の将が攻めてきたな」


「それで殿が一番前にいたの?」


「毒沢次郎らに後方、あー蝦夷の民の応戦を指示したからな。結果的にそうなった」


「なるほど。次郎さん」


 雪が次郎を指名する。


「よくご活躍なさったようで、殿の背を守ってくれて礼を申します」


「い、いえ、当然のことをしたまででございます」


「それはそうとして殿は甘い見立てで前に出て危機に陥ったと?」


 そういうと雪が大きく息を吐く。


「殿、いいですか?」


「何がだ?」


「殿は死んではならぬ者であることをご自覚なさっていますか?」


「え?」


「この遠野の、阿曽沼の繁栄は偏に殿があってこそなのですよ?」


「な、何を言う、皆がいてこその阿曽沼ぞ」


 バアン!と雪が床をたたく。


「戦が大事なことは分かっております!分かってはおりますが、殿になにかあってはここに居並ぶ将も!阿曽沼の土地を耕す民も!皆路頭に迷うことになるかもしれないのですよ!」


 流石にそれは言いすぎじゃないかな。


「いや、父上も叔父上達もそれに大千代もいるじゃないか」


 雪の眉が更に釣り上がる。周りに助けを請おうと見回すと父上が皆の背を押して出て行っているところだった。


「こんなことは言いたくないけど、大殿も鱒沢様も宇夫方様も殿のかわりにはならないのです。この二十万石まで大きくなった阿曽沼を治めるほどの政は難しいの!大千代様なんてまだ六歳よ!聡明とはいえ殿のかわりができるほどじゃないわ!」


「じゃあ、この遠野でのほほんとしていろというのか!」


「そうじゃないわ!指揮のために戦場まで行くのは必要だと思う。でも最前線で先頭に立っていい立場ではもう無いのよ!」


 雪の頬をしずくが流れる。


「それに、それに……殿がいなくなったら私はどうしたら良いのよっ!」


 そう言うと俺の胸に縋りつき声を上げて泣く。参ったな……。


「私を一人にしないで!お願いよぉ……」


 一人?いや清之は京にいるけどお春さんいるしそんな一人ってわけは。


「転生してこの時代に来て、大槌さんとか弥太郎さんみたいに転生者は何人か居るけどみんな立場が違うの!私のそばには殿しかいないのよ!」


「え?」


 こんなところでそんなことを言われても。


「ふふ、実を言うとね、はじめはうまく取り入ってやろうとしか思ってなかったの。幻滅した?」


「……」


「でもね一緒にいて、看病もしてもらって、いつの間にかね、殿のことが好きになってたの。おかしいね……」


「そっか……」


「だから、殿がいなくなるのが怖いのよ!」


「でも俺は……」


「分かってる。殿も武士だから戦場には行かなきゃならないってことも、もしかしたら死んじゃうかもしれないし、命をかけなきゃいけないって。それで私はいちばん大事なのが後継ぎを生むことで、一緒に戦場を駆けて殿をお守りすることはできないの!」


 雪……。


「だからこそ敵を過小評価して油断するようなのは許せないのよ!」


「いだだだ!まだそこは!」


「この傷を名誉の負傷と言うつもり?馬鹿言わないで。これは殿が馬鹿をやった不名誉の傷よ!」


 そうはっきり言われるとつらい。


「いい?戦場に行くのは良いけれど慎重にやらなきゃいけないし、甘い予測で舐めてかかっちゃだめ!敵は過大評価するくらいに慎重にしなきゃ駄目よ!わかった!?」


「は、はい」


「なら今回は許してあげる。次同じことしたらもうお説教もできないかもしれないんだからね……」


「本当に、ごめんね。それとありがとう」


「ふん、べ、べつに……ごにょごにょ……」



「はぁはぁ、殿、姫様、尊い、死ぬ」


 部屋の外で聞き耳を立てていた紗綾が倒れる。


「紗綾殿、ここで死んではなりませぬ!」


「はっ!そうでした。これからもっと尊いのを見なければなりませんのでまだ死ねませんね。ところで桃花さん、いいですか?これが尊いということです」


「これが……尊い?」


「はい。それにしても途中はあまり聞こえませんでしたがこれはこれで。桃花さんも推しができるときがありますよきっと!」


 紗綾が興奮したように息を切らして言う。


「そ、そうですか。私にもその、推しというものができる日が来るのでしょうか」


「ええ、きっと来ます!というか殿が推しではないのですか?」


「えっと、殿にはご恩はありますが、推しかと言われますと……。それに私は男でございます」


 桃花のカミングアウトに紗綾が目を丸くするが、すぐに舌舐めずりをしてニタリ、と笑みを浮かべる。


「上方では衆道もたしなみと聞きます。桃花さんと殿があれやこれや!ほひょー!」


「わわ、私が殿の相手など、畏れ多いです!それに……、はっ!保安頭に報告に行ってまいりますので殿と姫をお願いします」


 紗綾をじっと見ていた桃花が慌ててかけていった。

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