第三百二十五話 住友殿の来訪

鍋倉城 阿曽沼遠野太郎親郷


 幕府の使者がいつ来るのかとやきもきしていたある日、一人の男が城下を色々見て回っている咎で捕まったのだが何故か清之の書状をもっているという話が舞い込んできた。


「確かにこの花押は清之のもの。その男を連れて来い」


 しばらくすると評定の間に一人の男が連れてこられる。


「阿曽沼遠野太郎親郷です其方は領内をやけに熱心に見入っていたと聞いております。清之の書状も持っており確認しましたが其方が住友忠重殿でございますか?」


「如何にもでございまする」


「幕府の使者ではないのないのですか?」


「某は使いで来たわけではございませぬ」


 あれ?清之の文には幕臣の住友某が遠野に行くと書かれてたのだが使者としてきたわけではなかったのか?


「んん?どういうことでしょうか」


「実はですな、戦続きの京に飽いてしまったのと武士で居るのに疲れましてな、商人になろうと思い、最近京でも耳にすることが増えましたこの遠野に足を運んでみたわけです」


 商人になるための下見としてここにきたと言うことか。


「商人になると、なるほど。それで当家をご覧になって如何でしたか?」


「いやはや奥州は田舎と聞いておりましたがとんでもございませぬな。流石に京や大坂、堺のような賑わいはありませぬが活気が有って良いですな。しかも所々が随分と珍しい石の道になっておりますし。ところで道や田畑でところどころ煙を吐く車を見たのですがあれはなんですか?」


「気に入っていただけたなら重畳でございます。あの煙を吐く車は蒸気車といいましてなあれができてから道や田畑の整備が随分と捗っております」


 実際、この城下から山口あたりまでは道路整備が進んだし城下は石畳になっているところもある。蒸気車を扱うものが増えてきたので修理工場を建設して蒸気機関の整備員を絶賛養成中だ。


「あの蒸気車というものは商売に使ってみたいのですが」


「ははは、それは許可できかねます」


 住友忠重はやっぱりねといった顔をする。


「あと阿曽沼殿では鉄がたくさん作られているとか」


「ええ、いい鉄山もありましたので」


「うーむ羨ましい。今は明から買ってくるか尼子の鉄を手に入れるかしかありませんからな」


 む、当家の鉄は上方まで行ってないのか。まあ遠いし仕方ないか。


「そういえば奥の紙と呼ばれている阿曽沼殿の紙もありましたな」


 そんな呼ばれ方をしていたのか。そのうち製紙部門を企業化するか。


「あれのお陰で当家が発展できたと言って過言ではありません」


「奥の紙のお陰で上方での紙の値もかなり下がりましてな、書付に使う紙代も安く上がって大樹も喜んでおられます」


 おや、てっきり先の公方には嫌われていたから今の公方にも嫌われていると思ったがそうでもないのか。


「しかし紙座が黙っていますまい」


「それはそうですな。しかしこの遠野は遠すぎて手も足も出ないと言ったところでございますな」


 距離が幸いしたか。大消費地から遠くてどうなるかと思ったがこういうこともあるのだな。


「それで住友殿はどのようなものを扱おうと考えておられるのですか?」


「先程申しました蒸気車は断られてしまいましたからなぁ……」


「であれば先日銅山を見つけましたので銅を扱ってみては如何でしょうか」


「銅ですか」


 銅を扱う者が足りなかったので丁度いい。史実では田老の銅はラサ工業が、住友は別子銅山や阿仁銅山を持っていたわけだがこの世界線では田老鉱山が住友の源流になるかもしれんな。


「ええ。ちなみにこの日ノ本で作られている銅には金銀が混じっていることはご存じですかな?」


 その言葉に飛び跳ねて驚いている。


「ま、真ですか?」


「うむ、であるから当家では他領で作られた銅や鐚銭を集めて金銀を抜いております」


「そ、そんな……」


「これはすでに明や南蛮で行われている精錬法でございます。もし住友殿が当家で銅商人をするというのであればお教えいたしますが?」


 住友忠重はごくりと喉を鳴らし、冷や汗を拭う。


「お、お、お願い申し上げる……」


「もちろん無いとは思いますが、他言すればたとえ幕臣といえど……」


「も、もちろんでござる」


「ということだ左近、話が付いたので父上に知らせてきてくれ」


 と住友忠重の後ろに控えていた左近に声をかける。驚いた住友忠重が振り返ると、抜いた小刀を鞘におさめているところであった。 


「こ、これは……」


「当家の抱える保安局、住友殿にわかりやすく言えば甲賀衆らと同じものでございますよ」


「ら、乱破を抱えておられるのか」


「知られてはならぬものが多く御座いますからね」


 無論のこと、ここで住友殿が京に帰ると言うならば物言わぬ骸になることだろう。


「なに、食事は毒など……いやある意味毒かも知れぬ物をお出しいたしまする」


 そして饗宴となる。


「住友殿、我が愚息が無礼を働かなかったでしょうか」


「い、いえとんでもござらぬ。ところでこの塊は何でござろう?」


「これは猪、あ、ごほん、山鯨でござる」


「山鯨でござるか、こちらの平べったい肉の塊は?」


「これは牛の肉でございまする」


「う、牛とな!?」


「年老いて革を取ったあとの牛でございまする。食い物の少ない陸奥ではこのような物も食っていかねばならぬのですが、このわさびと醤油を混ぜたタレをかけていただくと美味でござる」


 そう言うと父上はよく焼けた鉄板に載ったステーキにわさび醤油を盛大にかけ、醤油の香りが空腹を誘う。


「こ、この醤油と言う物は……?」


「当家で作ったものでござる。美味いですぞ?」


 住友殿がよだれを拭いて居直る。


「この地に来てから驚かされてばかりでございますな」


 そこで母上がビールの入った小瓶を持ってくる。


「これは?」


「これも当家で作った麦の酒でびぃると言うものでござる」


「び、びぃる?」


「我が愚息、太郎の正室である雪姫が作った酒でな、薬草が入った苦い酒だがとても癖になりまする。そのあとはぶどう酒も用意してござる」


「ぶどう酒、そういえば春宮様が最近珍しいぶどう酒を気に入って飲んでいると……」


「それも当家で作ったものでございますな」


 もはや開いた口が塞がらぬと言ったところだな。


「父上、そろそろよろしいか。俺も皆も腹の音で合唱になっておりまする」


「はっはっは!では住友殿の来訪を祝うか!」


 そう言うとみな一斉にタンブラーを持ちビールを呷る。


「くぅ!美味い!」


 父上が泡でひげを作り、喉を鳴らしていく。


「お、おお、口の中で色々はじけておりますな」


 住友殿は初めて呑むビールに苦戦している。


「う、む、苦いが確かにこれは癖になりそうですな。そして、う、牛の肉……五畜の肉……んむ……このわさびと醤油という奴はうまいが、肉はいまいち味が抜けておるように思いますな」


「おお、さすがは住友殿!まあこれは老牛ですからな。仔牛の肉ならばもっと美味いのですが生憎と今は潰せるものがなかったのでござる」


 流石に色々と使い道のある仔牛はおいそれと潰せないからね。


「で、これが噂のぶどう酒……む、これは美味いですな。拙者にとってはびぃるよりこちらの方が好みでござる」


「おお、気に入ってもらえましたか。ではとっておきの酒をお持ちしましょう」


 気持ちよくなった父上が手を叩いて当家の諸白を持ってこさせる。


「これは南都の諸白?」


「いえこれは当家で作ったものでございます」


「な!?まさか!」


「詳しくは太郎に聞いてくだされ」


「聞かれても詳しくはお話しできかねますよ」


 機密事項なんだから話をするわけがないでしょう。


「だそうだ。すまぬな住友殿」


「あ、いえ」


「当家に残ればこう言うものを楽しむことも扱うこともできるでしょうな」


 とどめとばかりに住友忠重に話をすると、酒に酔ったかにんまりと笑みをつくる。


「いやはやこのような物が有るなら喜んで阿曽沼様にお仕えしましょう」


 ということで住友殿はここに来る道中に見た富士に魅入られたとのことで富士屋を屋号とし、当家お抱え商会の一つとなった。

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