第三百十四話 陸奥湾運河の夢

勝山館 蠣崎若桜守光広


 阿曽沼が攻めてくる。そのような噂が八戸を打倒してから広まっている。八戸は阿曽沼の前にあっけなく敗北し、軍門に降ったという。そしてどうやらホレバシウンクル(函館周辺にいたアイヌ集団)やウシケシシュンクル(長万部周辺にいたアイヌ集団)にイシカルンクル(石狩平野に居たアイヌ集団)などと接触を図っているようだ。すでにメナシクルは阿曽沼の影響下となりトカチ、クシロ、ネムロと名を変えたとシュムクルから聞いている。


「大きな湊も築いているようですな」


「加賀守、貴様が見たという大船が何隻も行き来しておるようだ」


「それでは当家の取り分が減るのも已む無しですな」


「加賀守、わらっていうような事ではないぞ」


「承知しておりますが、こちらからは手も足も出ないわけですから笑い声を出すしかありますまい」


 阿曽沼との戦で左脚を失った河野加賀守が力なく笑う。反論したいがどのように対応するか思いつかないので黙るしか無い。


「とりあえずは松前守護にお伺いを立てるか」


「殿!大変です!」


 その時、慌ただしく小姓が駆け込んでくる。


「何事か!」


「ショヤとコウジに率いられた夷の兵が茂別、中野、脇本の城を襲っております」


「なんだと!」


 しかもすでにかなりの劣勢となっているという。


「むぅ、ここに来てまた夷の反乱ですか」


「今から兵を出して間に合うか…?」


「難しいでしょうな。それより殿、ここはいっそ大館(後の松前城)を攻め落としては如何でしょうか」


 河野加賀守は何を言っているのだ。たしかに目の上の瘤ではあるが。


「そもそも攻め落としたところで、安東家に我らが攻められよう」


「そこでですな、夷の格好をして城を襲えば良いのです」


 何という悪知恵か、まさに青天の霹靂である。しかし夷に落とされたものを我らが手に入れれば、すなわち我らが蝦夷管領となるだろうと考えればいい考えだ。


「ふふふ、良かろう。ではそのように支度を致そう」


 阿曽沼が来るまでまだ余裕があるだろうから、その間に阿曽沼に対抗できる兵を持てばいいのだ。海を渡ってくるならば、大軍を送り込むことなどできぬであろう。大軍でなければ噂に聞く恐ろしい威力の鉄砲や大砲も怖くはない。万一大軍でもって攻め寄せるとしても地の利は我らにある。大館を得て、ホレバシウンクルを影響下におけば阿曽沼との戦でも優位となるだろう。



鷹架沼 大槌十勝守得守


「この鷹架沼(たかほこぬま)から陸奥湾までは一里半ほどか」


「はい。ここを抜けることができれば危険な尻屋を廻って行く必要もありませぬ」


 下北半島沖は冬になると西風が強く、海が荒れやすいし、夏前はよく濃霧が出て遭難しやすい。今も昔もそして未来も海の難所だ。ここを開削しさえすれば陸奥湾への安全な航路が出来るのだが、金も時間もかかるから実現性は低いだろう。一応それとなく殿にお伺いを立てるか。とりあえずはここに湊を築いて陸奥湾に短絡出来るようにしよう。


「ここから野辺地の湊に荷を運べば、敦賀商人に売ることが可能でございますな」


「敦賀の商人はここまで来るのか?」


「十三湊には来るようですから、ここまで来るかもしれませぬ」


「それもそうか」


 その辺りのことは殿や葛屋辺りに任せておけばなんとかなるだろう。


「それではこのまま野辺地に向かいましょう」


 起伏の少ない森を馬の速歩で抜けると半刻も掛からずに陸奥湾のそばにある田名部に往く街道にでてきたが鬱蒼とした森に挟まれているので陸奥湾は見えない。


「ふむ、海は見えぬか」


「これだけ大木があっては見通しは悪いですな」


「船を造るには有り難いことだがな」


「左様ですな」


「熊も居るようだから急ぐか」


「獲って食わぬのですか?」


「生憎と今日は槍を持ってきておらぬ」


「鉄砲はございますよ?」


「では任せるぞ」


「某がやるのですか!?」


「なんだ玄蕃、嫡男に家督を譲って気が緩んでおるのでは無いか?」


 そんな感じで狐崎や他の者らと無駄話をしながらさらに約三里進むと森が開け、村が見える。


「ここが野辺地か」


「おそらく」


 村の中程に燃えて崩れた城があるので野辺地で間違いが無いだろう。


「ふむ、村も結構燃えたようだな」


「かなり激しい抵抗だったようで、かなり炮烙火矢を使ったようでございます」


 村人から恐ろしい者を見るような視線を受けつつ、焼け落ちた野辺地城に入る。


「ここは七戸の支城であったな」


「石井某という者が任されておったようですが、討ち死にしたという話です」


「ということは今は空き城か」


「なので釜石を我が嫡男に任せて、当面某が野辺地を治めるということですな」


「うむ、野辺地の民を宣撫し、さらに野辺地の湊を整備するという大事なお役目だ」


 狐崎が大きくため息をつく。


「人手が足りぬ故致し方ございませぬ。殿にはなるべく早く人を回してもらうようお願い申し上げねばなりませぬな」


「うむ、もし人手が足りるようなら田名部に送られるかもしれんぞ?」


「げぇ……、しかしあそこは今まで通り新田にやらせるのでございましょう」


「八戸が降伏したと言ったらおとなしく降ったようだからな。それはまあよい。ここでしっかり働くことは次の大光寺との戦や蠣崎との戦で重要になるだろう。殿では無いが、玄蕃の働きを期待しておるぞ」


「ははっ。身命に代えましても」


「船衆も大工らもいくらか連れてきておるからうまく使ってくれ」

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