第三百十三話 三湖伝説

鍋倉城 阿曽沼遠野太郎親郷


 大光寺南部が浪岡城を攻め落とし、その勢いで檜山安東を陸奥から叩き出し津軽地方を平定したと、次に旧南部領である糠部郡に攻め入ろうとしているとの報せが届く。


「まあ、そうなるな」


「驚かないのね」


 一緒に話を聞いていた雪からつっこみをもらう。


「そりゃね、もともと南部領だったところを取り戻すって言うなら大義名分も立つからね。それはそれとしてこちらに攻め込むとなれば鹿角を通ってくるか小湊を通ってくるかだろうな」


 八甲田山を抜けてくるような道は無いし。


「道は無いの?」


「あってもせいぜいが獣道だな」


 人が居ないから往来もないので道もない。前世の二十一世紀の日本でさえ八甲田周辺に大きな道は無いからなあ。ましてや熊狼鹿猪などの野生動物のほうが人間より多いかもしれないな。この時代の青森周辺なら。


「左近ら修験者ならあの辺りも詳しいかな」


「お呼びのようで」


 どこで聞いてたんだろう、すっと現れる。


「うむ、津軽に抜ける道で短絡できそうなところはあるか?」


「ございませんな」


 少し考える素振りはするが、ほぼ即答のような返事をもらう。


「であればやはり鹿角か小湊を経て攻め込んでくるのであろう。引き続き大光寺を見張っていてくれ」


「はは」


「ところであの十和田というところには湖があると言うがあの辺りに付いてなにか知っていることはないか」


 あの辺りだと小坂鉱山とか奥入瀬渓流くらいしかしらないから何か面白い話でもあればいいな。


「そういうことでしたら、そうですな。かつて十和田の湖であったという言い伝えでございますが、八郎太郎という龍にされたマタギと南祖坊(なんそのぼう)という熊野権現から来た僧が戦ったというものが御座います」


 そんな伝説があったのか。


「その戦いは七日七夜続き、最終的に法華を投げつけたところ経の一字一字が剣となり八郎太郎に突き刺さり撃退したというものが御座います」


「ほぅ、面白いな。その話に続きはあるのか?」


「はい、逃げた八郎太郎ははじめ鹿角を水底に沈めようと茂谷山(もややま)を動かそうとしましたが、鹿角の神々が集まって諦めさせました。ついで七座山(ななくらやま)あたりを堰き止めようとしたそうですが七座天神に力比べで敗れて最終的に出羽国の八郎潟と言う大きな湖になったそうです」


 なんだろう、龍といえば古来水害を意味するものだと思うけど、ひょっとして十和田湖が噴火して鹿角や七座山というところを土石流を襲ったってことかな。それと八郎潟ができたのとは話が繋がるのかよくわからないけど。


「なるほど、そのような言い伝えがあったのか。折角なのでその話を紙に書いてくれ。小学校の説話集に入れておく。それと説話で無くても良いのだがそれ以外になにかないか」


 左近が首をひねって考え、しばらくして手を打つ。


「そうですな、たしか以前に十和田の湖に行ったときに、薄荷が生えておりましたなぁ」


「薄荷か。薬になるのだったな」


「そうですな。田代殿のほうが詳しいかと思いますが、健胃、鎮静、目の疲れに効きますな。お若い殿にはまだご理解いただけないかもしれませぬが、拙者も書の多いときには時々使っておりまする」


 確かにスースーして気持ちいいな。目に使うのは前世の目薬でも入ってるのあったし、夏場に風呂で使ったりもしたな。うまく薄荷油を抽出できれば換金作物になるか。


「よし、ではその薄荷をうまく増やせぬかやってみるか。早速薄荷を遠野に持ってきてくれ」


「はは。早速人を送ります。十和田の説話も早めに書き纏めて持って参ります」


 そう言って左近が出ていった。


「薄荷かぁ」


「どうかした?」


「んーとね、確か上杉謙信が愛用したって伝説があってね」


「そんなのもあるのか」


「あくまで伝説だけどね」


 そんな伝説もあるのか。実際はどうだったかわからないけど、大人の事情でそういうことにしておいたほうが良いのだろう。


「それはともかく、薬草が増えるならそれはそれでいいからね。米を作ることができない下北半島とか蝦夷で作るのもいいかもね」


 実際に前世では北見周辺が大生産地だったそうだし合成メントールができるまでは稼げるかな。


「今度の戦で津軽を得るのよね」


「そう簡単にいくかわからないけどね」


 流石に他家も対策をしてくるだろうし、手銃くらいならすぐに広まっていくだろうし、これからの戦争は今まで以上に経済力の差が出てくるだろうな。


「津軽を取ったら大陸と貿易するんだっけ?」


「ああ、沿海州に交易船を派遣してな」


「何を売るの?」


「硫黄は売れるかもしれないね。あとはあ……あー、薬かな!」


「あ?なに?」


「一粒金丹とそれに薄荷がうまく作れるなら薄荷だね」


 一粒金丹は少し問題が生じるかもしれないけど、生産量は多くないから三百年早いアヘン戦争にはならないだろう。


「あと売れるかもしれないのは船かな」


「おっきな帆船?」


「スクーナーはまだ売れないかな。売るなら弁財船の方」


「優秀なジャンク船のある明に売れるかしら?」


「難しいかな」


「多分ね」


「商売って難しいね」


「ふふ、でも領内で一番商人してるのは殿だと思うわ」



山田村 小国彦十郎忠直


 いつものように山田湾を眺める。船渠という船を作ったり修理したりする渠(みぞ)の試作は納得のものだったようで、いま大きく改良する工事が行われている。さらにそれとは別に来年にも下国、蠣崎と言った蝦夷管領らを攻めるのだということで船がどんどん作られている。


「ふぅむ、ずいぶんと多くの船を造るのだな」


「そりゃあ遠い蝦夷の地で戦をするのですから、船がいくらあっても足らないんじゃないでしょうか」


「二千もの兵だからな」


 わずか百にも満たない村同士の抗争で汲々していた頃が懐かしい。


「彦十郎様もそろそろ武功を挙げては如何ですか?」


「むぅ……」


 鮭や貝の研究はゆっくりとしか進まないので、今のところ殿に報告できそうなものがない。となると周りの口さがない将等は俺のことを穀潰しのように言ってくるから、この辺りで戦に出るのもやむを得ないか。


「わかった。では十勝守様に頼んで海軍衆にしてもらえぬか聞いてみるか」


 そうして後日大槌城を訪ねたら船を一隻預けられることになった。何でも指揮を執れる者が足りないとかで、操船の技から船上での戦い方なんかを鬼の形相で俺に叩き込んでくれたわ。

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