第三百六話 清之、京での仕事始め

京 四条邸


「はーそれであんたはんが京まで来たんやな」


「左様でございます」


「京での折衝が必要なんはわかるけど無位無官のあんたはんとはなぁ」


 大殿様が駄々をこねたから儂が代わりに京まで来ることになったわけだが、いやはや寝起きは大宮様の邸を間借りできたから良かったもののこうして殿上人たる四条様の面前に出るのはあまりしたくない。ないのだが殿の為に必要だと我が身に言い聞かせて上洛してきた。


「しかし奥州の田舎領主と思ってた遠野殿も今や十万石の一大大名や。少初位なんて言う低い官位ではあかんやろ」


「は、それにつきましては高水寺の斯波様から文を頂いておりますので、この後大樹に挨拶に行こうかと」


「そうしとき。いくら藤原の家系でうちの贔屓とは言え武家やからな。一応の筋は通しとくべきや」


 四条様のご指摘をありがたく頂戴しておく。


「それはそうとまた今回はずいぶんたくさんの金に塩もか」


「はい。金山と塩田を手に入れることができましたので」


「えんでん?」


「はい、なんでも殿が言うには西国ですでにやられているとか」


「そうなんか。塩の作り方なんてあては知らんから、遠野殿がそう言うならそうなんやろ」


 四条様でも知らないことがあるのかと思う。


「それより遠野殿はずいぶん面白い事やっとるそうやな」


「は?面白いこと、ですか?」


「せや、学校を作って貧しいものにも学ばせてるそうやないか。算博士が楽しそうに話しとったわ」


「我が領は人が少のうございますので学ばせて優秀なものを育て、足りぬ分を補えと言うのが殿の方針で御座います」


「ふむふむ、帝も遠野殿のそのような行いをかなり興味深く思っておられてな、何れ詳しく話を聞かせてもらうことがあればと言ってはったわ」


 殿を殿上人にしたければもっと支援しろと言う事か。確かにこの四条邸はずいぶん綺麗になったが来るときに見かけた内裏の塀は一部が崩れている有様。すべて綺麗にするには色々と足りないのだろう。


「旦那様、春宮様がお見えでございます」


「春宮様が?先触れもなく一体どうしはったんや。急いでお通ししてたもれ」


「某は退室させて頂きましょうか」


「んー、まだ聞きたいこともあるから、違う部屋用意するからそこで待っててくれ」


「御意にございます」


 バタバタと慌ただしく支度される。儂は下の間に移され、ありがたいことに茶まで出してもらったわ。そういえば殿は茶を育てたいとかも言っておられたが寒い陸奥で茶を育てることができるのだろうか。そんなことを考えているといくつかの足音と大きな声で止めようとするものが聞こえ、やがて襖が開けられる。


「そちが遠野から来た者か!?」


 四条様が顔を青くしておられるということはもしや……。


「は、はは、そ、某はああ、阿曽沼遠野太郎親郷が臣、浜田三河守清之でございまする」


「余は春宮や。面を上げて良いぞ」


 しかし無位無官の儂が春宮様のお顔を拝見するなど不敬の極み、どうするか考えていると四条様から面をあげるよう促されたのでようやく顔をあげる。


「ふむ、なかなか血色がいいな。やはり遠野では飯に困っておらぬのか」


「は、はは、お、お陰様で当家ではなんとか食っていけるだけの実りを得られております」


「それは重畳やな。民草も飢えておらぬか?」


「はは、それはもちろんでございます」


「ふむ、すごいのぅ。この京ではそこここで死んでおるというのに。阿曽沼がはよう上洛してくれんやろか。なあ阿相(権大納言の漢名)もそう思うやろ?」


「は、春宮様、室町殿に聞こえてしまいまする!」


 四条様が口さがない春宮様をお咎めするが、当の春宮様はどこ吹く風といったところ。


「ふん、禁裏領所からの年貢もなくなり、かと言って約束しておった公方からの上納もないではないか」


「か、代わりに大内周防権介が幾許か寄越してきております」


「ふん、彼の者は官位を買いたいだけであろう」


 まるで穢らわしい者と言わんばかりの口調だ。


「阿曽沼は民草が飢えぬようにし、更に学も与えてると聞いている。誠に良い心がけである。即位はまだまだ先であるが阿曽沼に一層励むよう御製をやっても良い」


「は、はは、ありがたく!ありがたく存じます!」


 何たる僥倖!まさか春宮様から御製を頂戴できるとは。


「それでな阿曽沼に頼みがあるんやが」


「はは!当家でできることでありますれば何なりと!」


「肉を食わせろ」


 何か変な単語が聞こえた気がしたが、きっと聞き間違いであろう。


「は?春宮様、畏れながら某、田舎者でして京の言葉がうまく聞こえ無かったようでございます。もう一度お伺いしてもよろしいでしょうか」


「うむ、余に肉を食わせろと言ったのだ」


 聞き間違いではないようだ。しかし春宮様に肉を献上して良いのだろうか。困り果てて四条様に縋るように目線を送る。


「春宮様、浜田はんが困っておいでです。あまりご無理を申されてはなりませぬ」


「なぜだ?阿相、貴様は食らっておるのだろう?」


 四条様が詰問されて額に大粒の汗を浮かべておられる。


「あ、あては包丁番ですさかい味見をせねばなりまへん。しかし春宮様は皇統にあらせられては肉食など許されるものではございませぬ」


「なぜだ。嘗ての帝は肉も食らっておっただろう」


「穢に繋がるものを食ってはならぬと天武帝が決められたものでございます。それを春宮様がお破り遊ばされるなど今上帝がお許しなさるはずがあらしまへん」


「くっ……!では雉くらいはあろう?」


「き、雉の燻製でございましたら確かにございますが、四条様献上して良いのでしょうか?」


「はぁ、春宮様がこんなに肉を食べたがるとは思っておりませなんだ……。よろしいですか?此度は黙しておきますが、次からは帝から朱印でももらって来るようにしてくれはらんと困ります。勧修寺はんにもきつう申し入れしますさかいな」


「ふん、余が何を好もうと構わぬだろう」


 そう言ってそっぽを向く春宮様に献上品を思い出す。


「ところで春宮様はお酒を召し上がるでしょうか?」


「たしなむ程度だがな」


「ではせっかくですので当家で作ったぶどう酒なる酒を春宮様に献上させていただきたく」


 そう言って手を叩くと葛屋の丁稚が顔を出すのでぶどう酒の樽と高坏を持ってくるよう言いつける。


「ぶどう酒とな!」


 こ、この食いつき用は一体?


「春宮様、ぶどう酒などご存じでしたんか?」


 四条様がごもっともな質問を投げる。


「ん、明や南蛮ではぶどうの酒があると聞いておる」


 さすがは春宮様、色々とお詳しい。


「明や南蛮では瑠璃の杯で呑むようですが残念ながらございませぬので、代わりにこの足つき高坏をお使いくだされ」


「ずいぶんと珍しい形をした高坏やな」


 四条様が物珍しく高坏を眺める。


「は、これはこのぶどう酒の香りを楽しむ為の高坏ですのでこのような形になっております」


「なるほどの」


 樽を開けぶどう酒を高坏に入れ、春宮様と四条様に手渡しする。


「お毒見はよろしいでしょうか?」


「ではそちがまず呑んでみれば良い」


 当家が春宮様のお命を狙うなど恐れ多いことをするはずも無いが毒では無い事を示すため儂がまず一口飲む。


「うむ、今年は去年よりうまいですな」


 渋みはあるが去年よりうまい気がする。


「ふむ、では余も呑んでみよう……ほぅ、なかなか」


「ほぉ、これは樽の香りが移ってるようにも思いますが鼻に抜けるぶどうの香りがええですな。これなら肉と合わすと良いかもしれませんな」


「では阿相、肉を用意いたせ」


「それはでけまへん」


「この石頭め!まあいい。このぶどう酒はもらって帰る。御製は近日中にここに運ばせるから待っていろ」


「は、はは!」


 そう言って春宮様はぶどう酒の残りを持ってお帰りになる。


「は、春宮様がまさかあのようなお方とは存じませんでした」


「いやはや聡明ではあらせられるんやけどな……」


 四条様もどこか諦めたかのような表情で応える。


「しかしこのぶどう酒は香りがええから公家連中でも気に入るのがおる思います。遠野殿はホンマよう作ってくれたわ。包丁番としてまた勉強しなおさなあきまへんわ」


「はあ、某の寿命が十年は短うなりましたわ」


 本当にこれから一体どうなるのか、霜月だが陸奥ほど寒くない京の空に盛大なため息を吐いた。

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