第二百八十八話 ぶどう酒の試飲

鍋倉城 阿曽沼孫四郎


 来年、小正月の十五日に元服の儀を執り行う事となった。前世の記憶があると数え十二歳で成人と言われるとどうかと思う。

 

「若様は一足先に大人になっちゃうのね」


「雪だって一年違いじゃん」


「そうだけど。あ、でもでも大人になったってことは子供も作れるのよね?」


「それは前にもいったろう十五歳までは我慢するって」


「じょしこーせーが好きなんだもんね?」


「いや、ちが……」


「本当に?」


 そりゃ嫌いなわけないけどもうちょっと大人な方が良いよねってってのも角が立つかも。


「ま、まぁ嫌いじゃないさ。というか俺たちは実際にはすでに成人だし。二回目の成人式がこんなに早いとは思っていなかったけど」


「それはそうね。でも話を逸らすのはちょっといただけないかなぁ」


 ぐぅ……。


「本当に、勘弁してください」


「本音を言えばいいのよ?」


「雪ならいくつでも好きなんだっての」


「あ、そ、そう?」


「何回か言った気がするけど」


「何回でも聞きたいのよ」


 そういうものなのか。


「わかった。また言うよ」


「今言って欲しいな」


 わがまま姫め。


「好きだよ雪」


 にたぁと雪の口角が上がる。そして外からドサッ!という大きな音が聞こえる。


「何者か!」


 刀を抜いてふすまを蹴破れば、庭に倒れているのは紗綾。


「おい、紗綾!何があった!」


 こいつを狙っていたわけではあるまい!


「左近!周囲に敵は?」


「は、居りませぬ」


「では、こやつは誰にやられた?」


「若様と雪様に。あまりの甘さに某も反吐を吐きそうになっておりました」


 なん……だと。部屋を振り返ると雪が赤くなってぷるぷるしている。


「そ、そうか。以後は気をつける」


「若いということは良きことに御座いますな。ところで若様、子を為すのは早くて悪くはないのですぞ?なんなら某が適当に手ほどきをしてもらえるような者を見繕って差し上げますが」


 その瞬間、俺の背中をなにかに刺されたような、背筋が凍るような感覚が。


「い、いやいい。左近、其方の忠義には礼を申すが俺には不要である」


「左様ですか。もしご入り用でしたらいつでもお申し付けくだされ。では!」


 そう言って左近は消え、紗綾は「いとおかし」と言いながら悶ている。紗綾はやはり斯波に襲われた心の傷が消えていないのだろう。


「ほら雪もむくれてないで」


「別にむくれてなんか無いわよ!」


「ほら、そんなに怒ってもその可愛い顔ではな」


「そんな歯の浮くようなセリフで機嫌を治すとか思っているのかしら」


「はいはい、それくらいにしないとまた紗綾が悶えるから」


 後ろから「ふぉぉ」とか聞こえる気がするが空耳だろう。


「それよりも、ワインはどうなんだ?」


「あーワインね。そろそろ発酵終わった頃のはずよ」


 無理やり話題を変えて


「じゃあもう飲める?」


「一応ね。それじゃあ今からワイン蔵に行きましょうか」


 雪と清之とともにワイン蔵に入る。


「清之はぶどう酒は飲んだことはあるのか?」


「いえ、ございませぬ。あの食っても渋い山葡萄がそんな旨い酒に変わるのですか?」


「俺も雪も作ったことがあるわけではないからな。うまく行けば御の字というやつだ」


 雪に導かれ石組みの地下室に入ると大樽が幾つか並んでいる。


「じゃあ父様、そこの樽を取ってください」


 大樽に比べると小さな四斗樽と更に小さな一斗樽が幾つか並ぶ。


「じゃあ栓を抜くわよ」


 声とともに栓が抜かれ、大樽から勢いよくワインが流れ出る。ワインが流れ出るに合わせ芳醇な香りが蔵全体を覆う。


「おお、これはまたいい香りの酒で御座いますな」


「うむ、思ったより良い出来のようだな」


 しばらくするとワインが流れ出なくなる。


「これは上等のワインだからこのまま熟成よ。こっからが本番でこの残ったのから絞り出すの。父様、漬物石を大樽の蓋にどんどん載せていってください」


「くぅ、父への愛はないのか……」


「父様だからお願いしているのですよ?」


 清之はやれやれと言う感じで石を蓋に載せ絞っていく。その間に他の大樽も開けて流れ出るワインを集める。


「じゃあこの一斗樽は殿様に献上して、残りは熟成よ」


 概ね最初のワインが流れ出たのであとは石を積んでいくわけだが、鍛錬にもなるので漬物石を載せる作業を手伝っていく。


「今日はこれくらいかしら」


 ミズナラの樽を貯蔵庫に並べて熟成を始める。


「うまくできるといいな。ところでこの樽は別になってるけどいいのか?」


「これはぶどう踏みしたやつだから」


 なるほど特別なんだな。


「じゃあ、殿様に献上しに行きましょうか」


 雪に促され父上にワイン樽を献上にいく。


「これがぶどう酒か?」


「はい、できたばかりのものです。まだ味見もしていないのでうまくできているかもわかりませんが」


 卵型のコップにワインを注ぎ父上に差し出す。


「この器で飲むのか?」


「はい。香りを楽しむための器でもございますので」


「そういうものか。どれ……ほぉ、こんなに旨い酒になるのか」


 父上に続いて少しグラスを傾けると、新鮮なぶどうの香りが鼻腔を抜け、一口飲むと思ったより瑞々しい。


「これは旨い」


 俺も旨いとしか言えない。


「これはどれくらいあるのだ?」


「今飲めるのはこれだけです。あとは樽で半年から一年寝かせるそうです」


「つまりこれはこれだけしか無いのか。……孫四郎、他のものには言うなよ?」


「承知しております」


 かなり気に入ったのだろう。


「私はご相伴に預かれるでしょうか?」


「お、お前……」


 ふらりと入ってきた母上はとてもにこやかだった。


「では父上、某はこれにて」



遠野先端技術研究所 阿曽沼孫四郎


 蒸気自動車を作ったとの報せを受け研究所にやってきた。父上も一緒に。


「こんな鉄の塊が本当に動くのか?」


「父上、とりあえず見てみましょう」


 朝からすでに石炭を焚いていたようで時々蒸気が漏れ、ピストンからは水滴が滴り落ちている。


「ではこれから動かします。危のうございますので少し離れていてください」


 そう言うと工部大輔は、ぴぃー!と甲高く汽笛を鳴らし、ついで、シュッシュッシュと鉄の車輪が動く。人が走るくらいの速度ではあるが世界初の蒸気自動車が誕生した。俺は興奮し、父上や母上ら、この時代の人たちは大きく口を開いたままになっている。


「でかした!これはどれくらい走れるのだ?」


「水槽が小さくすぐに走れなくなります。それと方向変換がまだできませんので直進と後進しかできません」


 むむ、意外と使い道がないな。


「罐と動輪を一体とした首振り式のもの、あるいは自在継手使ったものを製造しようと思っていますのでいずれ自在に運転できるようにいたしますよ。それと航続距離でしたら大体そうですな、機関車だとだいたい水二十二トンで……えぇと一升が……」


 工部大輔がそろばんを取り出し計算する。


「これですと水は一斗しか載せられませんし、まだ技術的にも熟れていないですし重さもあるので半里といったところでしょうか」


 そんなに航続距離が短いのか。でもロードローラーとかブルドーザーならそんな長距離を走らないから問題ないだろう。


「これに排土板と転圧機はつけられるか?」


「転圧機をつけるのはなんとかなりますが排土板は昇降をどうするか……まあ考えておきます」


「それと履帯は?」


「履帯は方向変換に難がありますのと、履帯自体が重いのでまずは車輪でやっております」


 そういうものか。


「孫四郎、これで何をするのだ?」


 父上がかすれた声で聞いてくる。


「これはですね、荷運びや街道や城の整備などに使えるものでございます」


「ど、どれくらいのものを運べるのだ?」


 工部大輔に目配せをする。


「若様に変わってお答え致します。これはまだ人を運ぶことを目的としたものではございませんので、この次に作りますものでしたら何かを載せられるようにいたします」


「そ、そうか。期待している」


「殿、これが牛馬の代わりになるのですか?」


 そう言って異を唱えてきたのは来内茂左衛門だ。


「こんなのんびりと動くものであれば牛馬を使ったほうがはるかに良いのでは無いでしょうか」


「茂左衛門の言うことも尤もではあるが荷駄を馬に頼らずとも良くなるなら、その分の飼葉や豆を用意せずとも良くなるであろう?」


 父上鋭いな。変わりに石炭と水が必要なわけだが。


「なるほど荷駄であれば多少足が遅くとも良うございましょうしな」


 清之が父上に賛同する。


「むぅ、なるほど荷駄であれば……」


 父上らがやいのやいのと言い合いを始めてしまった。


「まあ父上等のことはなんとかしておく。工部大輔は引き続き改良を進めてくれ」


「はい。ワトウらもずいぶんと興味を持っているようなので少しずつ教えながらやっていこうと思います」


「頼んだ」

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