第二百八十六話 斯波の分裂

高水寺城 斯波千春


「奥方様、今後どうなさいますか」


「我が子が、孫三郎が帰ってきたことは素直に喜ばしい」


 しかしすでに熊千代を嫡男とする旨を探題に伝え了承を得てしまっている以上、今更孫三郎に家督継承させる訳にはいかない。


「事情を知らなかった岩清水は怒って手がつけられませぬ。また梁田や細川と言った者たちも若様がお戻りになったことで、若様を当主にしようというふうに申しております」


「弱りましたね。こんなことなら情にほだされず先日のうちに消しておくべきでした」


 孫三郎が帰ってきたので当然このように、再び嫡男としようとする者が現れるのも必定だったのでしょう。もし帰ってきた時に始末しておればこんなことを考えずとも良かったのかもしれませんが、お腹を痛めて生んだ可愛い我が子ではありますし、熊千代も居る手前おいそれと手をかけるわけにもいかなかったのです。


「しかしすでに正当性では探題殿に届けております熊千代様が優位かと」


「そうですね。しかしそうなると家中を割っての戦になるかもしれません」


「となると戦上手な若様と争うのは些か厳しいですが、若様はこの高水寺城を捨てたとの噂もあり申したので、真実がどうあれ若様に信を置かない者も少なくございません」


「もしそれでも孫三郎に家督を継がせた場合はどうなります?」


「場合によっては熊千代様を担ぎ上げるものが居るでしょう。私もそのような噂のある若様を殿として奉じる気はございません」


 稲藤大炊助の言葉と表情に背中が寒くなります。家督を熊千代に移したときにはもう手遅れだったのでしょう。このまま熊千代が家督をつげば孫三郎は兵を興すでしょう。負ければ弟といえど可愛い熊千代は首を切られ、私も良くて尼僧にさせられ蟄居となるでしょう。かと言って孫三郎に家督を譲れば熊千代を奪われ家督争いになるでしょう。孫三郎の子供と思えぬ言動に恐ろしさを感じることはありますし、疎ましく思ったこともありましたが、だからといって我が子の首を求める母がどこにおりましょう。


「乱波を雇って孫三郎様を襲わせますか?」


「あの子は自分で乱波を雇っているでしょう。勝てるのですか?」


「どうでしょうな。高くはなるでしょうが腕利きの乱波を雇えばなんとかなるかもしれません」


「わかりました。好きになさい」


 もう妾の手の内に収まる話ではなくなってしまいました。もうどちらかが血を流さねば収まらないのでしょう。



鍋倉城 阿曽沼孫四郎


「それで斯波は家中大乱となる気配と」


「はい」


 斯波家中で家督争いが生じた旨を父上に報告する。


「むう、それで確か熊千代様が家督を継ぐことを探題様に知らせておったな」


「はい、そのように聞いております」


「であればいざという時は熊千代様にお味方するしかないか」


 正当性でいけばすでに家督継承について奥州探題に報せ、許可をもらっている以上は熊千代になるようにも思う。しかし戦で孫三郎が勝てばそんなものはどうとでもなるからあんまり意味はないとも思う。


「しかし今年はまもなく刈り入れ、そして直に雪ですので大きな動きがあるとすれば次の田植えが終わってからかと」


「であろうな」


「ですので今決めずとも、実際に事が生じてからでもよろしいかと」


「それもそうだな。儂等が焦っても仕方のないことだ」


「はい。高水寺城の様子は保安局が見張っておりますので何か動きがあればお知らせいたします」


 ここで高水寺城の話題は終わりとばかりに父上が湯を一口含む。


「話は変わるが、米は順調そうであるな」


「はい。神仏のご加護により順調そのものでございます」


「特に田を改良したところか、あそこはずいぶん実り良いようだな」


「お陰で酒を作る余裕もできそうです」


 あれだけではないが、全体に阿曽沼領内の実りはよい。米だけでなく麦も粟稗も高粱もだ。そういうと父上は膝をたたき喜ぶ。


「そうか!実り多い秋のようで楽しみじゃのう。他にびいるとか言う麦から作る酒は順調なのか?それにぶどうの酒なんかも作るのであろう?」


「ビールは稲刈りが終わったあたりに出来上がるかと」


 父上は新しい酒に興味津々といったところ。


「その酒は旨いのだろうか?」


「さて、初めて作るものですのでうまくいくかわかりません。これはぶどう酒も同じでございますが、うまくできれば肉や魚がより美味しゅうなると神様は言っておられました」


 うまくいってほしいがこればっかりは酵母次第だからなんとも言えない。


「わかっておる。しかし神様も好む酒とはどのような物かと一日千秋の思いでな」


 ビールやワインも美味いが諸白を使った清酒がここでも造れるようになればそこから焼酎などもできるからな。焼酎は女神様のご指定だから作らざるを得ないし。


「ビールはすぐに飲めますが、ぶどう酒は数年寝かさねばならぬようでして」


「なんと!そんなに気長な酒なのか!」


「美味いものはすぐにはできぬと言うことでございましょう」


「むぅ……」


 それでも一樽くらいはボジョレーヌーボーみたいに開けても良いかもしれない。あとで雪と相談しよう。


 ビールやワインに合わせて牡蠣が必要だな。ホヤの養殖の研究は指示したが牡蠣の研究はしていなかった。しまったな。今からでも遅くないから牡蠣の養殖も研究させよう。小国彦十郎に命じるか。鮭のふ化実験も始めたようだしあやつならもしかしたらやってくれるかもしれん。


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