第二百八十五話 斯波孫三郞の帰還

高水寺城 斯波孫三郎


「何を言うか!お前のような小汚い格好のものが孫三郎様のはずがなかろう!」


 収穫が始まった頃、ようやく高水寺城に戻ったと思って城門を叩くも取り付く島もない。


「てめえ、見て孫三郎様とわからないとかどういうことだ!」


 岩清水右京が凄んでみたがそれでも警備のものは首を縦に振らない。警備としては職務に実直で好感がもてるが困ったな。

 そうして騒がしくしているのに気がついてか、報告が行ったのか稲藤大炊助が出てきた。


「まったく儂が当番の日に問題を起こしてくれたやつの顔は……えええ!わ、若様!そ、そんな莫迦な。当家を裏切ったのではなかったのですか!」


「何を言っている!若様がお家を裏切るなどあろうはずがなかろうが!」


「貴様は岩清水右京!」


「それで、俺は入って良いのか?」


「あ、は、はい。どうぞ」


 少し困った顔をした稲藤大炊助により高水寺城にようやく帰ってくることができた。昨年の上洛から数えておよそ一年。道中、阿曽沼領では今年は豊作のようだったが、翻って豊沢川を渡ると途端に実りが悪くなっている。いや例年通りのはずなんだが阿曽沼領と比べるとどうしても見劣りするようだ。


 襤褸を捨て、蒸し風呂で垢を落とし、糊の効いた服に着替えると身も心もさっぱりした。母上への報告などをするために評定の間に向かう。


「桜花どうした」


「は、里から顔をだすように言われていますので暫くお顔を見ることができませんので」


「うむ、しっかりと羽を伸ばしてくるが良い」


「はは!」


 言うや身軽に塀を飛び越えていく。そしてなにやら良くない噂を城下で聞いていたが、母上はまさか噂を信じているということも無いだろう。


「おお!孫三郞!そなた無事でありましたか!」


「母上、ご心配をおかけして誠に申し訳ございませんでした」


「よい、よい、其方が無事であれば母はなにも言いませぬ」


 母上がこのような反応をするとは思ってもみなかった。


「今宵は一緒に夕餉としましょうぞ」


「はい!」


 まさかこんな喜んで頂けるとは、もっと早く帰って来れていれば良かったな。


 そして母上の私室に俺と母上と熊千代の三人で膳をつつくことになった。


「それで、京はそれはそれは……道中、足柄で……」


 積もる話はいっぱいある話しても話しきれない。久しぶりに見知った顔だけなのでついつい口が動く。


「さあ京のような食事は出せませぬが、久しぶりのこの地の食事も悪くないでしょう」


「はい!京のものも悪くありませんでしたが、この芹はなかなか滋味に富みますね」


「あにうえ!これおいしいの!」


 ばってん箸で熊千代が


「これは揚げ物ですか?」


「ほほほ、さすがに知っておりましたか。最近このあたりでも流行っているのです」


 流石に揚げたてとはいかないが京でも食べる機会なかったから前世ぶりの揚げ物にテンションが上がり、久しぶりに楽しい食事になった。



鍋倉城 阿曽沼孫四郎


「其方が桜花か」


「はっ、桜花でございます」


 白洲で桜花が平伏する。


「よくぞ斯波の若殿を無事高水寺に戻してくれたな。礼を言う。で、面を上げて京のことを詳しく話してくれぬか」


 概ね左近からの報告と代わりのない内容の報告であった。


「しかし先の公方様に寝所に来るよう言われてそのまま逃げてきたとはなかなかの無法よの」


「賊に襲われましたので已む無く逃れただけでございます」


「まあよい。その先の公方様も大内に蹴散らされて京に戻れぬようだから咎めはなかろう。それで、斯波の若殿はこちらに帰ってこれてどうであった?」


「はい流石に安堵されたようで、高水寺城が見えた時には震えておられました」


 花巻城ではなかなか活躍してたようだが人の子ではあったか。前世がどんな生活だったか気になるところだな。


「ねぎらいのために飯をとおもったが俺と食事をしても楽しくはなかろう。左近に酒を渡している故、保安局の者らと今日は飲み食いするが良い」


 再度平伏し桜花が辞していく。


「では左近、後は頼むぞ」


「御意に」


 そして次の朝、猿ヶ石川の川原に桜花の遺体が流れ着いていたとの報告があった。おおかた酒宴後に足を滑らせて溺死したのだろうという。


「せっかく帰ってきたところだというのに運のない奴だな」


「誠に。では早速斯波の家中を割るように仕掛けて参ります」


 昨晩は親子水入らずで食事を楽しんだようだが、これからはどうだろう。すでに熊千代が家督を継ぐとなっているから家中が騒がしくなるのももう少しだろう。今日は酒宴になると聞いているからそこで何らかの動きがあるだろう。


「ねえ若様、斯波の若殿が帰ってきたけどどうなるのかしら?」


「どうなるだろうな。悪くはならないように動いているが、人の心は操るには複雑すぎるからな。それでも今年はもう少しで米の刈り入れだからこのまま静かであってほしいな」


 なんやかんや毎年のように戦になっているからそろそろ本当に休戦期間が欲しい。斯波が割れるにしても表面化するのは来年以降にしてほしい。


「そうね。ところで刈り入れしたらすぐにぶどうの収穫を手伝ってよ?」


「ぶどうは出来良さそうだもんな。そういえばワインといったらぶどうを踏み潰して作るんだろ?」


「べつに踏み潰す必要は無いわよ?潰れれば良いんだから。そもそも大量に仕込むのに足で踏んでたら追いつかないし衛生面で問題あるから弥太郎さんに頼んで水力圧搾機を作ってもらったわ。今年の収穫分ならすぐに仕込み終わるわよ」


「そんな!」


「それに足で踏み潰すってのはワインの純潔性を示すための宗教的なものだからね」


 なんだ……と。いやわかっていたんだ、大量生産するのに衛生面でも問題のあるぶどう踏みをするわけがないなんてわかっていたさ!


「若様……」


 雪さんちょっと引き笑いはやめていただきたく。


「ねぇ若様、誰が潰したのを飲みたかったのかしら?」


「え、そんなの雪のに決まってるだろ?」


 なんでそんなわかりきったことを聞いてくるのだ。はっ!いやいかんこれはさらに引くだけでは。


「あ、そ、そう。そうなんだ、ふーん」


 あれ?引いてない。これは期待して良いやつかな。でも突っ込んで機嫌を損ねてもいけないし黙っていよう。


「ワインができたらブランデーとグラッパの蒸留を考えなきゃいけないけど銅の蒸留缶を作んないとね」


 ブランデーはあまり好みではないけれど色々な酒があるのもいいだろう。


「どうするの?鐚銭からつくる?」


「銭には鉛が入っているからそのままでは使えないな」


「灰吹法なら鉛は銅から出て行くんじゃないの?」


「ああ、うん、そういえばそうだね。蒸留器作るくらいなら集めた鐚銭から鉛を絞り出してもいいか」


「どうせブランデーもウイスキーも大量には作れないんだからそれくらい良いんじゃない?」


「それもそうだな。ちなみにワインって製造にどれくらい掛かるんだ?」


「発酵は長くても一ヶ月もあれば終わるわ。その後に澱引きを何度かしながら熟成をするんだけど国とか規格で熟成期間はまちまちで早いものなら二年、長いのだと十年以上かかったはずよ」


 澱引きしたものに卵白を入れて不純物を取り除き、濾過をして瓶に詰めれば完成だという。


「結構大変なんだな」


「そうね。あと最後の問題は瓶詰めにした際にコルクがないことね」


「ないとどうなる?」


「瓶の中でも熟成が進むんだけどコルクじゃないときっちり閉まらないから空気に触れて酸化するわ」


 そして不味くなる。コルクの代わりになるものがあれば良いんだがな。


「代わりになるものがなければしばらくは樽で置いておくしかないかな」


「しょうがないわね」

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