第二百八十二話 厚生寮ができるようです

鍋倉城 阿曽沼孫四郎


「父上、此度は急なお願いを聞いていただきありがとうございました」


「なんの。水が越した後に一揆でも起こればそなたが帰ってこれぬやもしれなんだからな」


 こちらも大雨ではあったようだが幸い水が越したのは誰も使っていない荒れ地のみで済んだようだ。


「それに葛西宗家に恩を売れたのは望外であった」


 余った食料は葛西宗家に置いてきたがあまり恩とは思われていなかったような気はするがここでは言わなくてもよかろう。


「しかし我らの食料に余裕が無くなりました」


「それもやむを得んだろう。麦は収穫がすすんでおるし、粟稗も順調、米も今のところは順調であればまもなく落ち着くであろう」


 父上の言うとおりだが、ここで何かおきたら動けなくなりかねない。


「ところで斯波と一戸が争っていたそうですが」


「うむ、御嫡男の居なくなって動揺した斯波が数で勝るにかかわらず一戸に負け、不来方を奪われたらしい」


 このおかげで見前(みるまえ)若狭守とやらがまもる見前館まで兵を退かざるを得なくなったとのことだ。


「高水寺城も苦しくなりそうですね」


 父上を始め各武将が首肯する。


「では引き続き保安局に見張らせまする」


「うむ。ところで蝦夷はどうであった?」


 蝦夷地見聞の報告会が始まる。まだまだ未開の土地が広がり、米こそできないが麦や粟、それに木材はたんまりととれること、さらに辰砂が見つかったことも報告する。


「辰砂を何に使うのか?」


「これで鐚銭から金銀を取り出すことができるようになりまする」


 鉛は銃砲弾に必要なので金銀の抽出にはこの水銀をなるべく使っていきたい。


「辰砂で金銀がとれるのか?」


「はい汞(みずがね:水銀のこと)に金銀は溶けます故、金山からの取り出しが容易くなります」


 鐚銭から抽出が可能かはわからないけど金山からの採掘、抽出が安定すれば鐚銭の再鋳造とならぶ資金源となるだろう。高田の金山も手に入れたしね。


「なるほどな。そういえば上方では鍍金するのに汞を使うと聞くな」


「そのようなのもあるのですね」


 鍍金の職人を呼べるだろうか。うまく使えば蒔絵にも使えるかもしれない。


「なんにせよ金をうまく使って更に領内を富ませろ。孫四郎、貴様の裁量で良い」


 ほぼほぼ内政を俺に投げつけられた形になったけどいいのかな?


「であればかねてから考えておりました法度を決めたく」


「そういえば言っておったな。で、どのようなものだ」


「まずは正当な理由の無い殺しを禁じ、盗人、水泥棒に対して厳しく対応しようかと思っております。罰に関しては追々検討しようかと」


「承知した。それなら問題あるまい。してまずは、ということはまだ今後増やすつもりか?」


「はい。これは追々やっていこうかと思います。それと話は変わりますが、寺池に居るときに水害で病や怪我をしたものを少なからず見まして、これらの対応に厚生寮というものを作りたく」


 本当はもっと後でも良いかなと思ってたけど、水害で皆困ってたからな、衛生管理などの対策ができるようにもしていきたい。


「厚生?」


「はい、書経の正徳利用、厚生惟和から取ろうかと」


「徳を正しくして用を利し、生を厚くしてこれ和す、か。良いな。それで誰をつけるのか?」


「は、守儀叔父上がよろしいかと」


「田代三喜ではなくか」


「はい。三喜殿はこれから医者や産婆の育成にかかってもらわねばなりませぬ故」


「そうか。で守儀、よいか」


「以前俺に適当な役割と言っていたのはこれか」


「は、左様にございます」


「兵部卿でないのは残念だがこれはこれで良い。よし神童のために一肌脱ごう」


「ありがたく」


「では守儀は厚生卿を名乗れ。細かいところは孫四郎と詰めるが良い」


「合点!」


 兵部とは異なり厚生卿をやりたがる者は居なかったのですんなりと決まった。その後は食料に余裕がなくなったので宴会ではなく簡単な食事を出して散会となった。


「おう神童、ちっと顔をかせ」


「守儀叔父上、なんでしょうか」


「厚生卿としての最初の仕事だ。といっても医者や産婆を作ることと、薬草の調達についてなんだが」


 真面目な内容に、ついてきた五辻と沖館が目を丸くしている。


「てめえら何を驚いてやがる。俺だってやるこたぁやるんだぜ?」


 戦以外でそんなに真面目なのは医術関連だけだからなぁ。医術関連を任せられるのが守儀叔父上しか居ないからの厚生卿の依頼だ。


 俺の私室に戻ると雪が出迎えてくれる。


「若様おかえりー。あ!う、宇夫方叔父上様お見苦しいところをお見せしました」


「はっはっは!良いじゃねえかふたりとも祝言を上げたとは言えまだ童、それに俺たちにはそんな堅苦しくしなくて良いぜ」


 雪の軽い挨拶を叔父上は笑い飛ばし、しばし雪を眺める。


「それにしても雪姫はずいぶん綺麗になってきたな」


「叔父上様、ありがとうございます」


 確かに年々綺麗になってきていると思う。ってそういう話じゃない。


「雪が綺麗になってきたのは俺も日々思っておりますが、今日はそのお話ではないでしょう」


「そうだな。よしじゃあ早速始めるか」


「何を始めるの?」


 少し顔を朱くしたままの雪が聞いてくる。


「ああ、医療者養成について叔父上らと話をしようかと」


「私は席を外したほうが良いかしら?」


「いや、雪の女の目線からの意見もほしい。叔父上、よろしいでしょうか?」


「ああ構わんさ」


「では叔父上は上座に」


「いや、上座は神童、貴様だ」


「え?」

 

 いや嫡男ではあるが未だ家督を継いだ訳では無いのだが。


「まだここだけの話だが神童、貴様も来年には元服だろう。その折には俺は神童に被官しようかと思っている。つまり俺は貴様の家臣となるので上座には座れん」


 え、なんで?いや被官してくれるのは有り難いけど急になんで?


「まあ俺は神童の創る世を見たいのだ。それに大槌十勝守とも話をしたがやつも貴様に被官するつもりだという。俺も領の管理がめんど……いや大きな顔をしていたら家督争いになるかもしれんからな」


 領地経営が面倒くさいから押し付けたいと。それはそれで仕方がないけど岩谷堂城の管理は暫く続けてもらいます。


 五辻と沖館は所領を返還するということに驚いている。まあ五辻は叔父上の部下になるわけだが今のところ俸祿で抱えられているわけだ。沖館は元々この遠野郷の一角小友村の鷹鳥谷の狭い所領を持っているが手放すなど考えられないことだった。


「領地を返しても銭はくれるんだろ?」


「もちろんです。今年の取れ高で俸祿はお出しします」


「なら米よりも手取りが増えるわけだ」


「まあ取れ高の四割しか手に入りませんからね」


 四公六民だから銭払いにすると単純計算で収入が倍以上になるわけだ。


「某も被官を申し出れば受けて頂けますでしょうか?」


「沖館備中守、そなたもか。まあ良いぞ」


「ありがとうございます。若様の元服、家督相続の折にはよしなにお願い申します」


「わかった。と、そのことは他言無用で頼みます。本題に戻りましょう。医者などの養成の話でしたね」


 被官の話ばかりになって話が進まないのは本末転倒だからね。


「まあ長くなるので湯でも飲みながらにしましょう」


「うむ、まず医者あるいは産婆になるものだが」


「産婆は女で良いでしょう。医者は男も女もどちらでもよろしいかと」


「うむ、女の病気については女のほうがわかるだろうからな」


「女からすれば女医に診てもらえるのは有り難いですね」


 雪もできれば女医に診てもらいたいようだ。


「まあ女科に興味を持つものも居るでしょうし、おそらくまずは男の医者が主流になると思いますから男でも女科をやってもらわねばなりませぬが」


 これは前世でもまず男の医師が増えて徐々に女に医師が増えていったわけだからおそらく今生でもそうなるだろう。


「それと金瘡(外傷)も見れるようにしていただきたく」


「むぅ、金瘡もか」


「はい。適切に対応できれば戦場に戻ることも、そうでなくとも田畑を耕したり、それも無理ならできる仕事をあてがってやることもできます」


 ただでさえ人が少ないので簡単に死なれては困るのだ。


「金瘡をやるなら腑分けも必要だな」


 腑分けと聞くと五辻や沖館が顔を青くする。命のやり取りをしているのに死体を見るのが怖いのだろうか。


「はい。死んだものはなぜ死んだのか確認するのに腑分けは必要です」


「確かにな。わかった医者をやるものは腑分けを行うことにしよう」


「それが良いかと。ただ腑分けはしたくないものの医術を多少なりともやりたいと考えているものを拾うのも必要ではありましょう」


「それはどうする?」


「それは医者、あるいは産婆の助手として看病人とするのは如何でしょうか。医者や産婆が直接病や怪我、お産を診て、看病人がその手伝いをするのです」


「ふむ、面白い。そして簡単な怪我ならその看病人が対処すると」


「そういうことでございます」


「ふぅん若様も面白いこと考えるのね」


「雪も興味を持った?」


「んー私が看病するのは若様だけでいいかな」


「あ、そ、そう」


 ごほん、と叔父上が咳払いし話を戻す。


「それでその医者などを育てる学校はどうする」


 前世であれば高等教育に入るものだが、今は初等教育のそれも前半までしかない。


「とりあえずの知識と技法を学ぶに必要な時間は俺にはわかりませんので、そこは叔父上と三喜殿、それとお恵で決めていただくのが筋かと。ただ、誰も彼もとは行かぬよう、選抜できるようにしておいていただきたく存じます」


「それもそうだな。わかった。適格者の選別と必要な年限の検討はこちらで何とかする」


 こうして医学校に産婆学校、看病学校が作られるのが決定した。


「お願いします。今の小学校を終えたものは領内の基礎となる領民の底上げでございます。さらにそこから世の中核・中堅たる者を育てる中等学校、更にその中で世を先導する大人物を育てる高等学校と分け、医者などは高等学校に入れるほどの者としようとは思っておりました」


 ただ現状、中等教育をどうするかが全く思い浮かばない。数学も物理学も化学も生物学も発達途上というか未だ端緒にもついていない学問なので中等教育で何を扱うか。


「ふむ、その細かいところは神童と文部卿たる大宮様に任せる。そういうことならまだ何年か猶予はありそうだから三喜殿とゆっくり詰めておく。で、薬草なんだがどこかに薬草園を作ろうと思っているのだが」


 水が手に入りやすいところは稲田や稗田になっているから、それ以外で比較的他者が入りにくく広い土地か。


「であれば毒沢城のあたりはどうでしょうか」


「あそこか、神童の小姓が居る土地だな。水が引けず田もできぬようであるし使わせてもらう」


「はい。薬草がたくさんできるようなら他領におろしても良いかと」


 それでまた金策になるだろう。


「よし決まった!そうと為れば毒沢に話をつけてくるぜ」


 そう言って機嫌よく城を出ていった。


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