第二百八十一話 北上川は暴れ川です

 高水寺城 千春殿(斯波孫三郎母)


「まだ孫三郎は見つからぬのですか?」


「はっ、申し訳ございません」


 報告に来た細川長門守ら評定衆を前に千春殿が嘆息する。


「それにしても、城下では妙な噂が流れているとか」


「い、一体どのような……」


 諸将らは全身から冷や汗を吹き出す。


「惚けずとも良い。あの孫三郎が我らを見捨てたという噂くらいは聞いておりましょう」


「そ、それは……」


「私とてあの子の親です。そのような噂は信じたくはありません。しかし現にこの数ヶ月は音沙汰もない。見捨てたわけでなくとも上方で戦があったと聞いておりますから、それに巻き込まれたのかもしれませぬ」


 死んだのならそれはそれで何か報せが来そうなものであるから、やはり噂を信じてしまいそうになる。


「こうも当主不在となるのは足利一門としてありえませぬ。やむを得ないですが熊千代を当主といたしましょう」


 千春殿の言葉は正論ではある。だれも反論はできない。そして千春殿は何かと方針の合わない孫三郎よりも幼い熊千代のほうが可愛く、何より意のままにできると踏んでの発言だ。


「確かに、やむを得ませぬ」


 評定の皆々がボソリ、ボソリと同意する。


「では長門守、探題殿にその旨を知らせてきなさい」


「はっ、はは!」


 長門守出ていくと、それと入れ替わるように伝令の足軽が庭に来て白洲に膝をつく。


「も、申し上げます!一戸らが攻めてきました!」


 戦上手とおもわれた孫三郎が消息不明になったことで斯波を不来方(こずのかた:現盛岡市付近)へと一戸らが兵を寄せてきたという。


「なんと間の悪い!」


 何人かの将が色めき立つ。


「各方、静まられよ。それで敵はどのくらいの数ぞ?」


 稲藤大炊助が諸将らをなだめる。


「およそ二千」


「であれば問題は無いでしょう。直ちに兵を率いて鎮撫してまいります」


「分かりました。大炊助、そなたが大将となり軍を率いなさい。武功を期待しておりますよ」


「はは!」



寺池城 阿曽沼孫四郎


「義父上、お久しゅうございます」


「うむ、祝言以来であるな。婿殿も息災なようで重畳」


 東館城から赤岩城に向かったところ、葛西太守晴重から寺池に来るように使者が来た。正直なところめんどくさかったが仕方がない。


「気仙郡はうまく治めているようだな」


「は、どうも恐れられているようですが、一揆もございませんので結果としてうまく行っているかと」


 カラカラと晴重が笑うが眼は全く笑っていない。これは何かやらせる気かな。


「それとな、先ごろの戦で田が荒れて今年は田植えができぬところが多くてな」


 今年は凶作になるのだろう。


「であれば幾ばくかの米は融通いたしましょう」


「すまぬな」


「いえ、義父上を助けるのは当然でございます」


 まったくスマなさそうに見えない顔で言われてもなあ。まあここで指摘しても仕方のないことだ。


「ところでこの寺池には初めて参りましたが、ずいぶんと平らな土地なのですね」


 見渡すばかりの荒野で、西に眼をやれば山が遠い。山に囲まれた遠野や北上盆地なんかとは全く違う。こんな土地を手に入れられれば収穫量はずっと増えるのだろうな。


「しかし代わりに北上川には悩まされておってな」


「しかしお陰で此度は敵を追い払うことができました」


 北上川は暴れ川だが今回は天然の堀として働いた。しかし今後大崎や石巻葛西を討ち果たせば、暴れ川は田んぼに悪影響なので伊達政宗がやったように河道の付け替えとかやりたいな。


「うむ。それでな、石巻も兵を出した故この機に攻め寄せられぬかと思ってな」


 兵を出せという気か。


「それはご名案かと」


「しかし兵糧が底をついておるのと、石巻城を落とすには少し兵が足りぬでな」


 兵糧もよこせと来やがった。


「当家も領が増えたばかりで年貢を取れておりませぬ故出せるのは少のうございますがなんとかいたしましょう。兵も出すように致します」


「うむ、頼む」


 当たり前のように言ってくるが、すでに食糧支援はしている。にも関わらず上乗せでよこせとは困ったな。うちだってこれ以上の余裕があるわけではないがさっき当然だといった手前断れない。兵だって手伝い戦でしかないから勝ってもメリットがないし、ようやくここまで弱らせたのにここで所領が増えては困る。


 そもそも戦で消耗していると言うなら今年くらい腰を落ち着かせておれば、伊達家中の争いに巻き込まれた石巻を飲み込めるだろうに。


 あてがわれた寺にはいると、そろそろ梅雨の終わりを知らせるかのように雨脚が強まる。


「左近いるか?」


「もちろんでございます」


 山伏だったからか総髪の坊主に見えるな。


「陸奥守(葛西晴重)様は誰かに唆されたか?」


「石巻攻めのことでございますね」


「うむ。民も疲弊しておるだろうに兵を起こそうとしておられる」


「困ったものですね」


「そして当家にも米と兵を出すようにとの仰せだ」


 米は小友の砂金を使えばなんとかなるだろうが、今回は完全に手伝い戦。これまでのように所領の切り取りとは行かない。戦費が必要なだけこちらの負担だ。


「ちなみに石巻はどれくらい伊達の大乱に兵を送るのだ?」


「概ね千といったところかと」


「となると我らが支援したところで石巻城は落ちぬな」


 無理すれば千五百か二千かはまだ集められるだろうから、落とすのは難しいだろう。


「であれば戦どころではない何かが起きなければならんな」


「何を成せましょうか」


「ちょうど雨が激しくなったな」


 先程までもなかなかの降り方だったが更に雨が激しさを増している。


「この雨では兵も出せぬし、川を越す事もできぬな」


「暫く雨乞いでもいたしましょうか」


 冗談半分にそのような会話をしていると本当に北上川が氾濫したらしい。田畑がどんどん広がる川に飲み込まれていく。この寺は少し高いところにあるので水に浸かっていないが逃れてきた民が集まってきた。


「これはいかん。左近、急いで鍋倉城から食料を持ってきてくれ」


 すでに放出できる備蓄分は底をついているが、もう少しばかりは持ってこられよう。


「お救いなさるので?」


「他領と言えど民は民。見過ごしてはならぬ」


 それにこれで穀物を提供すれば兵糧の供出を拒否できるであろう。


 数日してようやく雨がやみ、志津川から街道をつかって米の他雑穀を運び入れる。


「事後承諾で申し訳ないが、ご住職、この寺で炊き出しをしたいのだが良いか?」


「もちろんでございます。小僧共!阿曽沼様を手伝って炊き出しを致すぞ!それとそこの丁稚、そなたは倉をあけ皆に振る舞うのじゃ」


「し、しかし和尚、それでは我らの蓄えが!」


「心配召されるな。落ち着いた頃にこの寺に穀を持ってこよう」


 実際には収穫を待ってだから秋以降になるだろうがな。


 それにしてもこの時代は糞坊主がおおいかと思っていたが、この皆貧しい奥州ではそうでもないようだな。ここのような寺であれば支援するに吝かではない。俺の言葉に寺の僧たちは安堵し竃で米を茹でていく。湯取りするのも面倒なのでそのまま掬って粥とする。


「阿曽沼様の粥じゃー、一人一杯ずつ食えるから押さずに待たれよ!」


 住職が率先して避難民の誘導を行う。食って掛かるものも居たが、牽いてきた松崎らに取り押さえられ、寺の外に投げ出された。それでも食って掛かってくるものは目を血走らせた周りのものに袋叩きに合い絶命した。


「阿曽沼様のお救いじゃー」


「ありがたや~」


「どこぞの領主様に爪の垢を煎じて飲ませたいものだな」


 少し不穏な言葉は聞こえなかった事にする。とりあえず空腹が落ち着くと水に浸かった家々を片付けるため皆が帰っていく。


「阿曽沼様!何かあればお声をおかけ下だせえ、我ら、阿曽沼様のためでしたら何でもいたしましょう」


「有り難い。いずれ返してもらうことがあれば頼ろうか!はっはっは!」


 冗談で聞き流したことにしておかねば葛西晴重に睨まれてしまう。負ける気はしないがまだその時ではないからな。


 そしてこの洪水によりまた少し北上川の流れが変わり、葛西晴重は兵を出せなくなった。石巻をでた葛西宗清も水害対策の為、石巻城へと引き返すこととなった。こうして伊達家中の争いは一進一退の膠着状態となった。

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