第二百八十話 塩は戦略物資です

 釧路で霧の晴れる日までの数日を過ごし、一足先に帰路につくため船の支度が急いでなされる。


「他のものは根室、国後まで行くとのことです」


「国後までもか」


「ええ、ラッコの毛皮を仕入れて来るとのことです」


 そういえばラッコの毛皮は防寒具として優れているのだったな。取りすぎて絶滅されても困るし、付加価値をもたせるためにも捕獲量は制限しておくか。


「あまり獲りすぎないようにな。他領に売る際に高値で売りにくくなる」


 多くなればなるほど安く買い叩くようにしておこう。


「そうですな。どれくらいにいたしましょうか」


「であればとりあえず年間百頭ほどで雌と幼獣は獲らぬようにしておいてくれ。もし決まりを破りそれ以上持ってきたとしても買い受けずとも良い」


 百頭なら大きく影響はないだろう。


「ではそのように申し伝えておきます」


 十勝守から船員に通達の文が渡されると碇があがり、帆が下ろされる。


「此度は有意義な視察であった。また来たいなあ」


「ふふ、遠野が落ち着けばまた来られる日も来るでしょう」


「一体いつになるやら」


 十勝大津を経由し蝦夷とは違うジメッとした蒸し暑い空気を感じつつ大槌に到着する。


「んー!向こうも悪くなかったですがやはりこちらのほうが落ち着きます」


 来内竹丸が大きく伸びながらつぶやく。


「はは、まあな。慣れた地というのはそれだけで良いものではあるな。まあこの後少し休んだら高田に向かうのだがな」


 皆だいぶ船に慣れたのか、若干白い顔をしつつも会話は問題なくなっている。そして大槌から高田までも船で行くことにしている。


 今回は水銀を手に入れることができた。硝酸が作れれば雷酸水銀、つまりは雷管の原料が作れるようになるのだが、硝酸の工業的製法が端緒にも付いていない。石炭は手に入る。鉄もあまり品質は良くないが手に入る。コークスガスか高炉ガスから一酸化炭素と水素は理論上、手に入るだろうからあとは耐圧容器を作ってハーバー・ボッシュ法の研究を始められないかな。触媒は如何にかなるか?帰ったら弥太郎に相談しよう。なんか結局電気を作るより先に実現しそう……かな?


 高田に着くと砲弾の跡が生々しい浜田城跡が出迎えてくれる。


「うぅむ思ったよりひどいな」


「ははっ!宇夫方様と競うように撃ちましたので。気がついたときにはこうなってしまいました」


 船を降り、浜に上がると民草が逃げていく。まあ恐怖を叩き込んだやつの頭領が来れば次は何されるかわからんだろうからな。お陰で一揆もなく接収できたとも言える。


「あまり田には向いていなさそうだな」


 三陸地方ではあるあるだが、平地はろくにない。


「そうでございますな」


 十勝守が相槌をうつ。

 比較的大きな川、気仙川らしいがこの河口部は干潟のようだ。


「この沼になっているところはこれはこれで使えそうだな」


「こんな沼を何に?田にでもなさいますか?」


「それも悪くないな。まずはこの沼に詳しいものに聞くべきだろう」


 そういうことで東館城に入ると左足をなくして義足と杖をついた高田壱岐守が出迎える。


「若様、お待ちしておりました。狭いところではございますがどうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」


「ありがとう。ところで聞きたいのだが高田の海辺にある沼はあそこは海になるのか?」


「海辺の沼?ああ!気仙川が海に入るところの干潟で御座いますな。たしかにあそこは満潮で海になります。そのおかげでシジミなんぞも取れますので、明日にでも椀にのせましょう」


「おお、それは有り難い。シジミといえば近江でくったしじみ汁が美味かったな」


「それはどういう?」


「味噌が入ったシジミの味噌汁であったな」


 そう言うと城のものががやがや話し出す。


「味噌ですか。なるほど、確かに味噌を入れれば一層うまくなりそうでございますな」


 これまではただシジミを入れただけの汁だったらしい。それも旨いけど味噌を入れるとまた味が変わる。


「話を戻すが、壱岐守よあの沼地で塩を作ってくれんか」


「は?塩ですか?いや作れと仰せでしたら作りますし、今も作っておりますが」


 藻塩を焼いたり鍋で海水を煮込んで製塩していたが効率は良くない。


「山陽道などではすでに行われているのだが、塩田というものをやってもらいたい」


「え、えんでん、ですか?」


「うむ、浜に海の水を引き入れて干し、乾いた土を集めて海水を注ぐと濃い塩水が得られるのでそれを煮詰めるとこれまでよりずっと多くの塩がとれるようになる」


 とりあえず紙に簡単な構造をかいていく。


「なるほど、海水の流れる溝に囲まれた田のようなものを作るのですね」


 沼井(ぬい)というとこに海水を注げば藻垂壺(もだれつぼ)に濃い塩水が流れ、さらにそこからつながった送水管で助壺(すけつぼ)にってなるけど面倒くさいから窯のある小屋まで送水管を伸ばす感じで伝えている。


「塩のことも神様から?」


「いやいや以前京まで行ったときに足を伸ばして見てきたのだ」


 もちろん嘘であるが清之が居ないし、前例があるといったほうが受けが良いだろう。たぶん。実際は江戸時代に作られたんでなかったかな。いずれ蒸気ポンプが量産できるようになった暁には流下式塩田にしたいな。


「なるほど、西国ではすでに行われているのですな」


 さすがは上方であるとの反応だ。これなら皆やってくれそうかな。


「で、あの干潟はどれくらいひろいのだ?」


「わかりませぬ」


 まあ干潟なんて検地してないだろうししょうがないか。あとで遠野学校の生徒らに測量実習として駆り出すか。全部を塩田にされてはシジミが食えなくなるからいくらか残しておくとしてもそれなりの製塩量になるかな。戦略物資なので自由な商いは許可せず、専売公社を通しての販売にしよう。


「若様、至急の報せがきましてございます」


 左近が険しい顔をしながら話す。


「どうした?」


 人払いをして報告を受ける。


「伊達で大膳大夫(尚宗)様と次郎高宗(稙宗)様の間で戦が起こりましてございます」


「ついにか」


 なかなか時間がかかったな。雪を正室に迎えてからだから三年ほどでようやく毒が回ったか。


「どうも昨今の次郎高宗様の振る舞いにて廃嫡するとのことです」


 まあ当家にじゃんじゃか油の対価を流して肥え太っていてはそうなるか。だんだんと粗暴になっていったのは鉛の毒かはわからない。また寺池葛西に大膳大夫の許可なく攻めかけて勝てなかったことで決定的になったらしい。


「それに対して次郎高宗様は蘆名修理大夫(蘆名盛高)様との盟にて援軍を頼み戦になっておるようです」


「石巻葛西はどうしている?」


 あそこは大膳大夫の弟のはず。


「兵を集めているようでおそらく今後大膳大夫様の助け戦となるのではないかと」


 しかし寺池と戦ったばかりで兵は困窮しているはず。


「寺池の太守はどうか」


「昨年の戦で兵が集まらず何もできぬようです」


 ここでけしかけるか。いやあまり力を持ってもうざったいから要請がなければ静観でいいか。


「大崎の探題はどうか」


「あそこは昨年に戦で勝てなかった為、また家中が荒れて御座いますな。まともに兵を出せないどころか重臣らを諫めることもできませぬから早晩分裂するでしょう」


 大崎は探題のくせになんもできないのよな。元々国人が居たところに頭だけ乗っければそうもなるか。当家も本来は奥州探題の臣下ということになってるけど、家格が違うし葛西宗家についているから葛西の腰巾着くらいにしか思われていないかも。


「このことを父上は?」


「もちろん報せをやっております」


 ならよし。これで少なからず伊達氏にダメージが入るだろうし暫くこちらに眼が向かなければよいだろう。


「ところで小野寺や戸沢はどうか?」


「あいにくとこちらに降る気配はありませぬな」


「久慈や一戸らは?」


「久慈は当家とつかず離れずといったところですな。一戸は斯波に攻めかかるつもりの様子」


 こちらが手をくださずとも斯波が滅びるならそれもよいか。久慈はできれば被官して欲しいがどうしたものか。


「孫三郎らは今どのあたりだ?」


「どうやら足柄山をいっていたところ風間衆に捕まったようですな」


「風間?」


「あの辺りで名の通った乱波衆で北条殿に仕えている者らでございますな。その中で最も術に長けた者が風間小太郎と名乗るようでございます」


 風間小太郎じゃなくて風魔小太郎なら戦国時代でトップクラスの有名忍者だな。忍びの術はできるが乱暴者が多く付近の民草からは煙たがられているようだ。


「それでどうなったのだ?」


「さて、いま某の手元に来ている報せではそこまででしかございませぬ」


 ふぅむ。まあ殺されないほうが都合が良いが、殺されたら殺されたで乱世だから仕方がないな。


「引き続き伊達と斯波孫三郎の監視を続けてくれ。それと風間衆なり伊賀衆なり引き抜けそうなら連れてきてくれ。保安局も人手が足りぬだろう」


「まあそうですな。風間でも伊賀でも甲賀でも配下として使えるならありがたいことですのであたってみます」


 そう言って左近は部屋を出ていった。


「伊達は少し早い天文の乱か。どちらかが勝ちすぎても良くないがどうしたものかな」

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