第二百七十六話 北に向かいたい
鍋倉城 阿曽沼孫四郎
「それではまだ斯波孫三郞は見つからないと」
「は、申し訳ございません」
左近が床に額をこすりつけながら謝ってくる。
「別に左近に怒っているわけではないから構わんよ。それにもし生きているならそのうち高水寺城に戻ってくるだろから待っていてもいい。それにしても桜花とかいうくノ一は裏切ったのか」
「重ね重ね申し訳ございません!」
「人の心は移ろいやすいもの、特にこの乱世ではな。左近、貴様が気に病むことでは無い」
こうとでも言わないと左近首縊りそうだからな。
「んーそうだな。できれば殺せと言ったけど、もし見つけたとしても高水寺城まで帰してくれて構わん」
「それはどういう?」
「あやつには弟がおるだろう」
「はあ、まあ」
「当主がいなくなったと言ってその弟を次期当主にする動きが出てこよう。しかし孫三郞が帰ってきたとなればどうなる」
「それはまあ当主争いになりますな」
「そこで我々は弟側を正当な当主として担ぎ、孫三郞を討つ。これを盤石なものとするために孫三郎が高水寺城を見捨てたと言う噂を流せ」
斯波孫三郞が戻ってくれば噂を否定するかもしれぬが、失踪した事実は変わらん。勇名を鳴らせるかと思われていたが実は高水寺城などどうとも思っていなかったなどと根も葉もない事を言いふらせば支持基盤は揺らごう。
「それと桜花も見つけ次第此度は許す故登城せよと申しつけろ」
左近が瞠目する。
「な!桜花をお許しになるというのですか!?」
「ずっと孫三郞の側に居ては孫三郞を討ちにくかろう。こちらに呼び寄せればその間は孫三郞に護衛がいなくなるし、桜花はこちらの手の中になれば如何様にもできよう」
「なるほど、しからば」
「その後、孫三郞を討ってその功をもって領をもとめればよし」
「あの奥方にはそのような器量がございませぬぞ?」
「であれば領でなくとも良い、糠部郡や津軽四郡あるいは小野寺などを攻める名分をもらえればそれでも良い」
そこまで行けば斯波を滅ぼすなど容易い。もっとも、家中大乱でもなって潰れるかもしれんが。
「そうなると問題は田舎郡と奥法郡を治める浪岡になろう」
「そうなりますな」
「へたに手を出すと伊勢の北畠や四条様を通じてお叱りがくるかも知れん」
あれでなかなか中央にツテがあるようだから、手を回されると面倒くさいことになりかねんので慎重に事を為さねば。
「今の当主は左衛門顕具殿であったか」
「左様でございます」
「何れどうにかせねばなるまいが、まずは誼を結びたい。これは父上に後ほど諮ろうと思う。それと左衛門殿の御子がいるかどうか、将等との関係など情報が欲しい」
「直ちに取りかかります」
そういうと左近は茶を片付け、辞する。
「ねえ若様なんで北に向かうの?」
「ん、そりゃあ伊達にはまだ敵わないからな。しっかり地固めしたいし、後背を気にしなくて良くなる。それに津軽まで手に入れれば蝦夷交易を独占できるし、女真との貿易も可能になる……かもしれない」
この時期の沿海州にまともな国があったかは知らないけど、なんとかなるだろう。運良く女真族と交易出来れば明のものも輸入しやすくなるかも知れない。もし可能なら硝石とかガラスの原料とか買い付けたいし、馬も手に入れたいしもしかしたら羊や山羊も手に入るかもしれない。
「貿易かぁ、貿易って言われると対馬の宗氏とか勘合貿易の大内に琉球貿易してた島津とかの九州の大名しか思いつかなかったわ」
「そんなもんじゃないかな。俺も他の大名がやってたかどうかは知らないし」
女真と交易できるかわからないけれど、うまく行けば儲けものってやつだ。
「となると若様の言う通り浪岡と安東が邪魔ね」
拠点となるのは十三湊とか秋田とかだからあの辺りを治める勢力は邪魔だな。
「できれば穏便に取り込みたいんだけど」
「浪岡は村上源氏の流れで名門だからこっちに降るとは思えないわね」
なんでも今の浪岡顕具は従六位下左衛門大尉、浪岡具永は叙爵されるやいきなり従五位下侍従になったという結構な家格のようだから、こちらが頭を下げることはあってもあちらが下げることはないだろうという。
「いっそ大光寺南部をけしかけて浪岡を荒らしてもらったらどうかしら」
大光寺家も平賀郡だけで苦しいようだけど、他の南部と主導権争いをしている現状でどこまで浪岡に興味を持つか。
「浪岡の土地を得たら南部の主導権争いで優位になるとか言ってみれば良いんじゃない?」
「なるほどな」
それならばいっそ津軽をぐちゃぐちゃにしてやれば良いのでは。
「折角だし下国(檜山)安東もけしかけて津軽三国志にしてみるか。十三湊にはまだ所領があるようだし」
「若様それでどこかが統一しちゃったらどうするの?」
「まあ大丈夫だと思うけど、その時はその時だ。しかしそうだな浅利を利用できないかな」
「浅利則頼?」
「そうそれ」
あれそれだっけ?某戦国シミュレーションゲームで出てきたのって。
「あの人っていつかわからないけど甲斐の浅利氏本家から連れてきた人だから、今いるかわからないわ」
「え、浅利氏って甲斐出身なの?」
知らなかった……。そういえば南部も甲斐出身だっけ。甲斐からこんな田舎まで来るとは大変だな。
「私もそのくらいしか知らないわ」
今の浅利氏は弱小で安東と南部に挟まれ、コウモリ外交というか緩衝地帯として生き残っているようだ。ちょっと前の当家みたいなもんだな。
「浅利則頼がもういるのか未だ居ないのか知らないけど、そのあたりは若様に任せるわ」
「ん、まあそのあたりの確認は確かに俺の仕事だな。後で左近に追加で探らせよう」
◇
寺池城 葛西晴重
秋から初冬にかけての危機をかろうじて乗り切った寺池葛西であったが、明るい表情のものは居ない。
「武蔵守らを破り、浜沿いの千葉は阿曽沼に押し付けはしましたが……」
「今のところ阿曽沼が当家に野心を抱いているとは聞いておりませぬ」
猶子とはいえ阿曽沼の嫡男に婚姻させたので同盟関係としては良好だと誰もが思ってはいる。
「阿曽沼は北、南部の残党に食らいつく意向と聞いている」
雪からもたらされた文、形だけではあるが実家となる寺池葛西には不定期ながら情報がもたらされている。
「それと阿曽沼の嫡男が稲荷大明神の神託を受けたともな」
一同、瞠目する。
「殿、それはどういうことで?」
「どうやら阿曽沼の嫡男が豊作にするという神託を受けたそうだ」
「誠でございまするか!」
「儂としても信じられんが、もし本当だとしたら羨ましいことだ」
「もし万一に誠に豊作となるのであれば主家たる当家に米を融通するよう申し付けてみれば如何でございましょう」
葛西氏の庶流黒沢隠岐守信盛が提案する。
石巻や大崎らは撃退はしたものの領内は荒らされ、民は攫われ、寺池葛西はすでに今年の収穫を期待できない。しかし婚姻関係を結んでいる阿曽沼がもし本当に豊作となるのであれば米を差し出させるのは当然のことであると。この数年で大きく領を増やし、石高を増やし一〇万石に手が届くところまで成長し寺池葛西に並ぶ大名となりつつあるが、将軍から偏諱され従五位下陸奥守を叙爵された葛西晴重から見ると、家格でも官位でも劣る阿曽沼を従属する一国人としか見ていなかった。
「ふむ、それは良いな」
「そもそも江刺は元々我らの一族。その土地をくれてやったのですからそれくらいは当然かと思いまする」
葛西晴重は黒沢隠岐守の言葉に同意し、同席する他の者らも特に異議を挟まない。もちろんこの情報は直ちに孫四郎のもとに届けられる。伊達と大崎に対する緩衝地帯に使えればそれで良いとの考えの孫四郎からすれば、使えるうちは生かさず殺さず食料支援も行うことに変更はなかった。守親からしても葛西太守に恩を売れるのであればと特に問題視することはなかった。
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