永正5年

第二百七十五話 女神様はお稲荷様?

鍋倉城 阿曽沼孫四郎


 永正五年が始まり、いつも通り正月の宴会で皆二日酔いとなり、俺は数え十一歳となった。そしてこの年は年の初めから熱病が領内だけでなく広がっている。インフルエンザっぽいけど、田代三喜にできるだけの領民救済を頼むくらいしかできることがない。


「ごほごほ」


「雪、大丈夫?」


「ん、まあね。若様は元気そうね」


 雪が熱を出してしまった。今日は三日目で熱も落ち着いてきたように思う。


「今年も寒かったから貰っちゃったんだね」


「そうかもね。あぁ、一体何度出たんだろう」


「体温計があればいいんだけど、無い物ねだりだな」


 汗を吸った長襦袢が少し目の毒に思う。着替えや汗拭きは下女の紗綾がやっているのだがどうやら熱が下がってきたところでかなり汗をかいたようだ。


「ねぇ若様、目つきが気になるんだけど?」


「う、すまん」


「ふふ、べつに怒ってるわけじゃないの。そんなに気になる?」


「ま、まあな」


「あら、今日は正直ね」


「いつも正直だよ」


 気にならないなんて言ったらまた面倒くさく絡んでくるだろう。


「そうかしら?あ、そうだ」


 雪が意地悪な笑みを浮かべている。


「若様、汗をふいてくださらない?」


「紗綾が居るだろう」


「ね、お・ね・が・い」


 そんな可愛くお願いされたとしても俺がすると思うのは甘い。そう思っていた時期もありました。


「ん、気持ちいい」


 雪は最終的に泣き落とししてきて、汗を拭くことになった。泣かれてまで断るわけにはいかないからね。


「それにしてもきれいな肌だな」


「そりゃあまだ十歳だし」


 石鹸は食用油の転用だから数が作れないので毎日洗うとはいかない。蒸し風呂といえど沸かすのは手間だしな。それなのにきれいな肌でずっと触っていたいと思うくらいだ。


「ねえ、若様、そんなに触られてるとその、くすぐったいんだけど」


「おっとすまん。っとこれで汗はきれいになったな」


「ん、ありがと。前もって言おうと思ったけど流石に恥ずかしいね」


 背中なら良いというのでしょうか。そのあたりの乙女心はよくわからない。


「まあ子供の体だからまだ若様のご趣味じゃないと思うし」


「何を言っている。雪の体ならいつでもドキドキしっぱなしだ」


「え、あ、うん……」


 赤くなって俯いてしまった。そんなになるなら揶揄ってこなければいいのにね。そうだ、ここで一つお返しをしようか。


「おや、雪、顔が赤くなっているぞ。熱がまたぶり返したのではないか?」


「え、や、そ、そうじゃないから」


 顔を近付けるとさらに雪の顔が熱くなったように思う。


「おお、ずいぶんと熱いぞ。雪、本当に大丈夫か?」


「だだだ、大丈夫だから!う~若様も風邪引いちゃえ!ばーか!」


 馬鹿は酷くないかな雪さんや。と思っていたら俺もバッチリもらいました。


「ほらほら、あんなことするから風邪がうつっちゃったんだよ」


「はぁ~なんともなあ」


 久しぶりに熱出したら少ししんどいね。


「ほら若様、汗拭いたげるから脱いで」


「お、悪いな」


 襦袢を脱いで背中をさらすが、しばらく何もしてこない。


「雪?どうかした?」


「え、ううん!な、何でも無いわ!」


 そう言うと固く絞った手ぬぐいで俺の背中を拭き始める。


「これが若様の背中……」


 手ぬぐいではなく手で触られているような感触だ。


「雪さん?大丈夫か?やっぱ病み上がりでしんどいんじゃ?」


「んー!今熱出してる人に心配されることないわよ!」


「あだだ!もっと優しく!」


 至極ごもっともな反論が来たかと思うと力一杯背中を拭かれて痛い。


「はぁ、じゃあちゃんと寝てるのよ」


「ありがとう」



 久しぶりだなこの白い世界。


「やほやほー」


「今日はずいぶんと軽い感じですね?」


「まぁねぇ」


 服装はなぜかゆるふわワンピースの神様らしくないスタイルだ。


「私だってたまにはおしゃれしたいのよ?」


「そういうもんですか」


「そういうものよ」


 女神様といえど女の子って訳か。いや子ではないか。


「なんか失礼なことを考えてるわね。まあいいわ、それで漸くお酒も造るんでしょ?」


「そうなりますね。漸くです」


 漸く穀倉地帯の北上盆地が落ち着いてきたから今年から始まるのだ、収穫量はだいぶ増えるだろう。それに葡萄も少しずつ実をつけるようになってきたからこれも今年はワインにできるかもしれない。ビールはまだホップの栽培が上手く軌道に乗っていないのでまた今後の予定だね。


「蒸留酒は造るのかしら?」


「ええ、グラッパもウイスキーも好きでしたので」


「焼酎は?」


「学生時代の部活で飲まされたのを思い出しますのであんまり好きじゃないんですよね」


「それは残念。でも作ってね?」


「えぇ……でもまだ芋はないので芋焼酎はできませんよ?」


「それくらいなら我慢するわ。いいこと?ちゃんと焼酎も造るのよ!あ、そうだ、お酒造るのに米が必要でしょうから、豊作になるようおまじないしとくわね。それと願い事があったらちゃんと祈ってくれれば聞こえてるからね」


 神様から言われたのでは仕方が無いか。祈れば届くか。知識だけでも差があるのにこれ以上は過ぎたる褒美だ。


「じゃ、目が覚めたら風邪は治ってるからね」


 毎度どうもごひいきにしていただき有り難いです。


 確かに目を覚ますとすっきり体調は良くなっていた。そして横を見れば雪が寝息を立てている。


「看病してくれてたんだな。ありがとうな」


 雪を掛け布団代わりの着物の中に入れ、また眠ったら翌朝何故か怒られた。



「そういうわけで新年早々熱を出したが、その折に酒造りを頑張るのであれば今年は豊作にしてくださると神託を受けた」


 俺が神託を受けたと聞いて新たに当家に従ったものたちは腰を抜かさんばかりに驚いている。


「ほぅ、今年は豊作か!いやあ、孫四郎は稲荷の使いかもしれんな」


「であれば我らはお稲荷様の軍ということですな!」


 ちょっと待ってくれなんで遣いから生まれ変わりになっているのだ。皆信心深いからこういうことをいうとすぐに神の使いとか生まれ変わりとか、いや久しぶりに女神様に会ったくらいなんだけどな。それよりも豊穣の神って女神だっけか。


「なあ清之、豊穣の神は女神なのか?」


「豊穣を司るは倉稲魂と呼ばれる女神で伏見稲荷大社で祀られておるのです。若様がお会いになったという神様は女神様だったのですな?」


「そうだ」


「であればやはりそれは稲荷大明神に相違ありますまい」


「やはりそうか!こいつはめでたい!我ら稲荷大明神の僕ぞ!」


 え、マジで?女神様はそんなに偉い神様だったのか?その割には権限がーとか言っておられたが。で何故か俺が初陣する際には稲荷大明神を旗印にしようとか言っている。もう止められるものでもなさそうなんで諦めて好きにさせるしかないかな。


「それでは父上、豊作が確たるものになるよう、伏見稲荷をこの地にお呼びしてはいかがでしょうか」


 ここで上方の神社に媚を売っておけば後々良いこともあるかもしれない。


「それは良い考えだ!よし四条様にその旨をお願いしよう」


「もう一つ、酒造りですが、雪にやらせようと思います」


 今この遠野に雪より詳しい奴はいないし。


「ふむ正室にやらせるのか。何故だ」


「稲荷大明神のご指名でございます」


 他のものも雪をトップに据えるといってやや不満げな顔であったが稲荷大明神のご指名となれば話は別だ。


「む、そうか。稲荷大明神の命であればそれは致し方なし。者共、反論はあるか!」


 誰も反論できず、雪が造酒司となった。


「ねえ、女神様って本当にお稲荷様だったの?」


 評定を終え、自室に戻ってくると雪が聞いてくる。


「いや知らない。女神様はべつになんの神とも仰ってなかったし。ただ美味い酒を作るためなら協力しようってぐらいだ」


「でもなんだかチートっぽいね」


「そうだね。有り難いことだけど、別に皆不真面目にやってるわけじゃないのに俺たちだけ豊作になるってのはちょっと不公平かな。そうだあんまり画一的に豊作になると農地改良が進まないから、農地改良と指出検地を受け入れたところから豊作にしてもらうようにお願いしよう。勿論雪が作った酒を添えて」


 それくらいで許してもらわないとな。女神様に優遇してもらえるのはありがたいが、過ぎた褒美にも思う。調略に使えるかなとも思うけど、領内の安定くらいにとどめておこう。


「ねえ、私の責任重大じゃん……」


「こないだの口神の酒は美味かったし期待してるよ」


「うあープレッシャー……」


 豊作になるかが自分の酒造りに掛かってると言われれば、そりゃあ誰でもプレッシャー感じるよな。でも頑張ってもらうしかない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る