第二百三十四話 雪のパン作り

勝山館 蠣崎若狭守光広


「ん?今年は鮭がいつもより少ないな」


「不漁だったのでしょうか」


「いや昆布なども少ない」


「であれば相原様が何かなさったのでしょうか」


「ちっ松前守護は俺がなるはずであったのを掻っ攫いよって。それだけに飽きず交易も独占する腹づもりか」


 下国恒季を快く思っていなかった檜山安東忠季をそそのかして松前大館を攻め、恒季に腹を斬らせたまでは良かったが松前守護職は相原季胤に奪われてしまった。元々上ノ国、下ノ国、松前の三つの守護領に分かれていた。コシャマインに攻められ、コシャマインの首を取って勝利はしたものの、下ノ国の大半がアイヌの勢力下となったままである。つまり上ノ国と松前の守護職を得られれば蝦夷の支配権を得たも同然となるのだがうまくいっていない。


「しかし安東太郎様(ここでは忠季)も三戸が神罰を食らって居なくなったからと言って度々兵を起こされているのも困ったもの」


「そこにきてこの夷との交易品が減ったのは実に痛いですな」


「全くだ。このままでは下ノ国を取り戻すこともでき……いやまてよ夷人をよんで交易品を増やせぬか、なぜ今年の荷が少ないのか聞いてみるか」


「では宴でございますな」


「うむ、頼む」



橋野高炉 長兵衛


「うーむ鉄とはこんなにも変わるものか」


 パドル法を利用して錬鉄を作り、それを精錬炉に銑鉄とともに入れると錬鉄の割合で様々な硬さの鉄が出来ることに気がついた。銑鉄は硬いが脆い。鋳物には使えるが刃物に使うとあっという間に使い物にならなくなる。しかし未だ不足する農具や鍋類のため鋳型を作り、鋤、鍬、馬鍬などを製造している。


 一方で錬鉄は軟らかい。エッフェル塔の構造材になったり初期のレールに使用されたりと構造材を作るのは出来るがこれも刃物にはならない。刃物には今まで通りたたらで作るしかないと結論付け、孫四郎からの依頼もあり蹄鉄用に加工しやすいこの軟鉄を用いることとなった。


「父上、この銑と錬鉄をまぜた程よい硬さの鉄はできぬものでしょうか」


「わからぬ。工部大輔様には大口を叩いてしまったがどうすればいいのか皆目見当がつかん」


 なぜあの時高炉の改良や銑から鋼を取り出す炉を作ってみせると言ってしまったのかと後悔したが、すでに責任者になってしまった手前ここで逃げるわけにも行かない。


「なにかお考えがあってかと思いきや……」


 長男の安太郎が呆れたようにため息をつく。


「おい哲吉、才蔵、付いてこい」


「安太郎さ、いったいどこさ行くね」


「工部大輔様のところよ!」



鍋倉城 阿曽沼雪


 私は今とても困っている。なにがというと窯が無いのだ。バターはないけどそこは貴重なケシ油をもらってきた。干しぶどうからイーストも多分分離できた。塩もある。砂糖も無理を言ってもらってきた。


「どうしよう」


「雪様、なにかお困りですか?」


「あ、紗綾(さや)ちゃん」


 この子は私の下役になった紗綾ちゃん。十歳で稗貫に反乱を起こした高橋って人の次女だそうだ。味方のはずの足軽に乱暴されそうになっていたところを保安局の人に助けられたらしい。ちなみにお母さんとお姉さんは見るも無惨に嬲られ、助け出されたけどそのまま衰弱して亡くなってしまった。そんな紗綾ちゃんは私の下女として働きながら将来女医になるため田代さんのとこに弟子入りしたとか。私だったらそんな怖い目にあってこんな元気に過ごすなんてできそうもないのに、強い子だと思う。


「んっとね、小麦の粉とこの干しぶどうから取り出した汁とで新しい食べ物を作ろうと思ってね」


「小麦の粉と葡萄をつけていた水で食べ物ができるんですか?」


「そうよー。上手くできればとってもおいしいわよ。でも最後に焼き上げる窯が無くて困ってたの」


「窯って言いますと綾織の登り窯みたいな奴ですか?」


「ううん、煉瓦を積んで作るの」


「へー煉瓦ってあの焼いて作る石ですね」


「うん、あれを積んで作ると、上と下から熱が均等に入る窯ができるの」


「なるほどー。でも作る場所がないですね」


「そうなのよね」


 台所は土間で竈はあるけど石窯を置けるようなスペースはない。


「若様に相談されないのですか?」


「若様にはその……驚かせたいから」


「はぁう!」


「へっ?」


「いえ、何でもございませんあまりの尊さに心の臓が止まるかと思っただけですので」


 なんかめちゃくちゃ早口で何言っているかわからないけど禄でもなさそうなので突っ込まない方がいいかな。


「では代わりになるかわかりませんが、工部大輔様が作られたこの鍋を使っては如何ですか?蓋に炭をおけるそうなのでなんとかなるのではないでしょうか」


 そういって紗綾ちゃんが重そうに持ってきたのはダッチオーブンだ。なるほどこれなら上と下から熱を入れることができる。弥太郎さんもいつの間にこんな鍋作ってたのかしら。


「これならいけるわ!紗綾ちゃんありがと!よーし、おいしいの作って若様の胃袋をつかむわよー!」


「ああ、雪様、かわいすぎます!でも若様すでに雪様にいろいろ捕まれていると思うのですがそれを指摘するのは野暮!あああ!」


 なんか後ろで紗綾ちゃんが悶えながら呪文を唱えてるけど大丈夫かな。やっぱり怖い思いしたから何か心に来たのかもしれないわね。こんど田代さん戻ってきたら相談してみよう。


 そこからは無心でパンを捏ねた。前世から数えてだいぶ間隔は開いてたけど作り方は覚えてた。まとまってきたらラップはないので鍋に蓋をおいて竈から少し離れたところに静置する。時々見ながらほどよく膨らんだところで取り出し、小分けにして再び鍋に入れて静置する。


「結構手間が掛かるんですね」


「おいしいものは手間暇が掛かるものよ」


「そういう物ですか」


「そういうものよ。さていい具合ね。そしたら熱くなった鍋に並べて蓋をして上に炭を置いて」


 また少し待つ。前世ぶりにパンの焼ける香ばしいおいしそうな匂いが漂ってくる。


「えっと雪様、すごくおいしそうな匂いがするんですが」


「でしょ!じゃあ若様を呼んできて!急いでね!」


 紗綾ちゃんが走って若様を呼びに行く。さて蓋を開けると小麦とイーストの焼けたいい匂いがする。色艶も問題なさそうだ。やけどしないように注意してパンを取り出していると、匂いにつられたのか母様と義母様がいらっしゃる。


「あら、ずいぶんいい匂いがすると思ったら雪だったのね」


「何を作っていたの?私たちに頂けるかしら」


「あ、だめです!これは若様のなんです!」


「ええー母にもくれないのかしら」


「だめったらだめです!これは若様のために作ったんだから!」


 珍しく私が声を上げて抵抗したから母様たちは驚いている。丁度そのとき若様が顔をみせた。


「なんか紗綾が呼びに来たので来てみれば、一体どうしたんだ?」


「あ、若様!あのねあのね……こ、これ、食べてみて!」


「お、パンじゃないか!雪が作ってたのか!」


「う、うん。おいしいかどうかわかんないけど……味見して欲しいの!」


「じゃあ頂こうか……」


 若様が一口ちぎって口に放り込む。しばらく無言になる。無言は怖い、何か言ってくれないかな。


「雪は味見した?」


「してないけど、もしかして美味しくなかった?」


「いやいやめっちゃ旨いよ。ほら食べてごらん」


 言うや私の口にパンを入れてくる。もう少し色気のあるあーんにして欲しかったけど、でもホントだ美味しい。うまくできてた。


「ううー……」


「え、え、雪?どうしたの?いきなり口に詰めちゃったのが悪かったのかな」


「ぢがうーちがうもんー」


 気がつくと若様以外誰も居なくなっていた。



「はあ、我が娘ながらなんて……あざとい」


「でも羨ましいわね……あれが若さ……」


「はあぁ、雪様!ああああ!紗綾の心は今にもはじけてしまいそうですぅぅ」


 三人は台所から死角になるところからのぞき込んでいる。二人は羨ましそうに、そして一人は恍惚とした表情で。


「今日は仕方ないわね」


「次作ったときにでも食べさせてもらおうかしら」


「ああ!ゆきしゃまー!ほぁぁぁ!」


「うるさい」


「げふん!」

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