第二百二十七話 湯気で鉄が動くだと
閉伊郡 山田村 小国彦十郎忠直
鮭の子が孵った。腹のところに赤い袋を着け目の大きな異形な感じのする小魚だ。去年の晩秋に鮭を追いかけて川を上ってみれば幾らかの鮭の死体が転がる場所に出た。その側の川底が砂になっているところに鮭子のような物があったので水ごと拾って帰ってきた。城の裏手にある岩清水から水を引いている池で泳がせている。時々取り上げては後ろの背鰭を切り、姿を紙に写していく。
「ううむ、魚は卵から生まれるのか」
「湧いてくるものではなかったのですな」
小国からついてきた雪介も驚きの様子だ。立丸峠を越えて知らせてきた功績で苗字を名乗るよういわれ、家のあった関根を苗字としている。
「ところで彦十郎様、鮭は海と川を行き来するようですが、他の魚はどうなのでしょうか」
「そんなことは考えたこともないな。鮭が行き来できるのであれば他の魚も出来るのではないか?」
「しかし漁師が取ってきたものには鯉や鯰を見かけませぬ。今度鯰を捕まえてきますのでそれを海の水につけてみることにしてはいかがでしょうか」
「おお、それはおもしろそうじゃの。逆に海の魚を川の水につけてみてどうなるか見てみるか。それと他の魚の卵もなるべくたくさん集めさせよう」
◇
ベッチャロ 狐崎鯛三
「こっちの冬は釜石よりもずっと寒かったな」
初めての蝦夷地越冬を耐え、漸く暖かくなり始めたことに安堵する。
「ええ、この毛皮がなければ凍え死んでたかもしれません」
初めて蝦夷の冬は東北地方でも海の影響で比較的穏やかな釜石や大槌から来た我らには厳しい。特に雪こそそこまで多くないが昼間でも全く氷が溶けないため滑って転ぶと言うことはなかったが、別茶路の先住らに倣って家も作ってみたものの隙間風が多く男同士で身を寄せ合って毛皮にくるまり、囲炉裏にはこれでもかと薪をくべてなんとかなったものだ。
「しかしもう少しすれば得守様が来られるはず」
「そうだな。そこでなにかお知恵が無いか聞いてみるか。我らは引き続き開墾をすすめるぞ」
「あれやってるとあまりに大きな木々ばかりで気持ちが折れそうです」
「代わりに鹿狩りにでも行くか?」
「まだそのほうがマシですね」
こちらは熊もそうだったが鹿も釜石のものより一回り大きい。お陰で一頭仕留めればしばらく飯に困らないし、毛皮は防寒具として役に立った。
「では魚治、そなたは鹿を獲ってきてくれ」
「ははっすっかり漁師というよりマタギになってしまいました」
「ははは!そうだな!そろそろ名前を変えてはどうだ?」
「そうですね。では鹿治とでも名乗りましょう」
「そりゃいい!じゃあ任せたぞ」
「はっ!この名にかけて鹿を仕留めてきますよ」
魚治改め、鹿治は狩猟班に加わり別茶路の男衆の一部とともに森林へと消えていった。
「うし、それでは我らは切り拓いて麦や蕎麦を作れるよう土地を作っていこう」
鯛三らは残った者に加え別茶路の男衆の一部も加えて開墾を進めていく。
「こうも巨木がおおいと船は作りやすそうではあるが、板を作るのに水車が欲しいな」
切っても切っても原生林を覆う巨木に阻まれなかなか開墾は進まない。
「タイゾウ、スイシャ、ナンダ」
最近我らの言葉を覚え始めたスチブンという童が聞いてくる。
「ああ、水の力で色々やる道具さ。たとえばこの木を板にすることもできる」
「スイシャ、ベンリ?」
「ああ、便利だな。我らは数が少ないからな、少ない人数でもさっさと作れるように便利な道具をつかうんだ」
しかし目の前の大きな川は水こそ多いが、流れは緩やかで水車が使えそうには思えない。
「工部大輔殿が何か新しい水車に変わる道具でも作ってくれれば助かるのだが」
「そういえば鯛三殿」
「どうした?」
「小耳に挟んだのだが、工部大輔殿は湯気で水車を動かす道具を作っておったそうだ」
「湯気で?」
「そうだ。どうやったのかはわからんが」
「それでは何にもできんじゃないか」
「いやいやなんでも土瓶で湯を沸かしたときに出る湯気の勢いで鉄の玉を回したらしい」
「なにを言うとるんじゃ。湯気なんぞで鉄の玉が回る訳ねえべ!」
「そんなおこらねでけろ。おらも聞いただけでよっくわがんねんだ。でんも工部大輔殿さ作ったってえならホントでねが?」
俺らの言い合いにスチブンが口を挟む。
「ヒ、モヤス、カゼ、オコル?」
「まあ鍋の蓋取ったときになんか風感じるな」
「コウブダイスケ、ソノカゼ、ツカッタ?」
「んーそうかもしれんが、わしらにはわからんな。もう少ししたら得守様が来られるはずだからそのときに聞いてみれば良い」
「ワカタ、ソウスル」
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