第二百二十五話 厚揚げと醤油
極楽寺 阿曽沼孫四郎
散峡上人に連れられて講堂へと入る。
「我らの行いにより寺が燃えてしまい誠に申し訳ございません」
「なに、蔵と塀が少し燃えただけです」
「とはいえご迷惑をおかけしたことに違いありませぬ。ほんの心ばかりではございますがお納め頂きたく」
左近に持たせた行李から三方をまずとりだし、その上に帛紗(ふくさ)を乗せる。
「これはこれはお心遣い、痛み入ります」
散峡上人が帛紗を広げると中には砂金十両が入っている。永楽通宝はこの陸奥までは十分な量が入ってきていないのとかさばるので砂金での布施だ。ちなみに永楽通宝の偽金作りはまだ精銅するための反射炉がないので始まっていない。
「ところで左近のお師匠様であったとは知らずとはいえご挨拶遅れましたことを合わせてお詫び申し上げる」
「ほっほっほ。しかしあの荒くれておったこやつが今や阿曽沼の重臣とはな」
散峡上人によると荒れていた南都の中に子供だけの盗賊団があり、その身の軽さを活かして山を根城に村々を荒らしていたとか。ある日散峡上人が大峰山に向かっている際に左近らが襲いかかったが、散峡上人に反撃をくらい左近を置いて逃げていったそうだ。
「左近、其方追い剥ぎだったのか!」
「ぐぅ……、生きるためにやむなく……やっておりました」
「うむ、追い剥ぎそのものは咎められるべきであったが、一度だけ更生の機会を与えようと思い拙僧が引き取ったのです」
「なるほどな。それがなぜか俺の家臣となっているのだから不思議なもんだ」
最初の半年ほどは手がつけられないようなこともあったが、少しずつ打ち解け、ついには出家するまでに至った。さらに奉納登山で登った大峰山からの景色に魅了され修験道に入ったはいいが空腹感に耐えられなくなったある日、肉食してしまったが為に破門されたという。
「その後は何処をほっつき歩いておったのかは知らぬが、遠野で仕官したと聞いたときはたまげたわ」
その後に何の縁かこの極楽寺を任されることとなりはるばる移ってきたと。
「なるほど、保安局を通じて師匠がここにおられるから来たくなかったのか」
「破門された手前、どの面下げてお会いするべきかと……」
うんまあなんとなく言いたいことはわかる。
「まあ破門されたおかげで好きなだけ肉を食らって、こうして若様のお側に仕えることができておりますので万事塞翁が馬というやつでございます」
「うむ、人を纏める立場になったからか随分と落ち着いたようでありますし、左近と若君の出会いはとても良いものであったのでしょう。ところで若君が噂に違わぬ方であればこれだけのためにお越しになったのではないでしょう」
上人の視線はまるでこちらの考えることなどお見通しだと言わんばかりである。
「さすがは上人。実を言いますと高野山と誼を通じたく」
正直なところどの宗派でもかまわないのだが、畿内に影響力の大きいところで当家に近いとなるとこの極楽寺が一番大きかったからだというのと、前世の旦那寺は真言宗だったからというだけだ。
行李に入った菜種油を取り出す。
「これは?」
「当家で作っている油でございます。お寺では肉魚を召し上がることはできぬと思いまして用意致しました」
「それとその豆腐がどう関係するのでしょう」
「火鉢と炭、それと鍋を一つお借りできますか」
真っ赤に熾した炭が火鉢に入れられる。火が落ち着いたところで鍋に油を注ぐ。
「そろそろ良いか。跳ねるので少し離れていてください」
熱くなった油に豆腐が入りジュワァといい音がする。和賀親子と左近がキョトンとしている。一方で上人は思い当たるものがあるのか驚きつつも興味深そうにこちらを覗き込む。
「もしや豆腐上物(とうふあげもの)ですかな」
「さすがは上人様、ご存知でありましたか。私は厚揚げと呼ぼうかと考えております」
「尺素往来で読んだことはありますが、こうしてみるのは初めてですな。しかし厚揚げですか、確かに厚いですな。その名で呼ぶことに致しましょう」
表面がきつね色になったところでひっくり返しちょうどよくなったところで取り出す。生姜をのせ持ち込んだ醤油をかければ完成だ。
「ささ、どうぞ。左近将監様に式部太夫様もどうぞ。左近の分は今揚げるからちょっと待っててくれ」
「この黒いものはたまりですかな」
「これは醤油というものです。味噌ではなく初めからこの醤油を取るように作っております」
「いや、外はサクッとしているのに中はなめらかで、この醤油と生姜を一緒に食べると味の深みも増して……これは旨いですな!」
三峡上人が旨そうに口に含んでいく。和賀定行や行義も初めて見る厚揚げに戸惑いながらも一口含んだところで顔を綻ばせる。左近なんかは恐縮していたが食べ始めると涙をこぼしておった。猫舌だったんだろう悪いことをした。
「この豆腐上物自体もうまいのですが、この醤油も旨いですな。たまりとはまた少し違う。これは譲っていただけませぬか」
「ええ、本日お持ちした分はお譲りしましょう」
今後は格安ではあるが銭払いしていただくようにお願いするが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます