第二百二十三話 産婆が体系的に養成されるのは明治から

鍋倉城 阿曽沼孫四郎


 卯月の初め、幾許か暖かくなったある日に母上が産気づいた。田代三喜と産婆が城に呼ばれ奥の間へと入っていった。


「若様さぁ、もうちょっと落ち着きなよ」


「雪の言うとおりですぞ。今は書の時間ですのでしっかりしていただけねば困ります。それに三喜殿も仰ってたでしょう、三人目なのでそう時間はかからないと」


 それはそうだが、かと言って落ち着いて居られるかと言われたらそれはまた別の問題だ。


「そういえば義父上様は側室をお持ちじゃないのね」


「雪、どうした?」


「父様、大名は側室がいると聞いたことがありますが、阿曽沼の殿様は側室をお持ちでないのはなぜですか?」


 そういえば父上は側室を持って居なかったな。


「側室を持つということはそれだけ豊かだということでもあるのだ」


 なるほど当家はそこまで豊かではないから側室は持って居なかった、いや持つことができなかったと。


「ただそれでもお手付きされることもあるのだが殿はそういう話も無く、奥方様だけであるな」


「ふぅん、じゃあ若様は側室欲しい?」


「え?」


 なんでそこで俺に振ってくるんだ。


「はっはっは。最近の阿曽沼は随分栄えてきましたし、領も大きくなったのでもう少しすれば側室の話も舞い込んでくるでしょう」


 そういうものか。こっちの好みだけで決まる訳では無いものな。


「ふぅん、まあ確かに大きくなったものね。周りの大名が放って置くわけも無いものね。若様よかったね」


 なんか俺悪いことしたっけ、いやここはどう答えたらいいんだ。下手に答えても角が立つような気がするのでここは……。


「そ、そうだ。清之も最近お春さんの腹がだいぶ大きくなってきたじゃないか」


 とりあえず話をそらして逃げるしか無い。


「春のやつも夏前にはお産になるでしょう」


「清之のところも賑やかになるな」


「そうですな。それもこれもしっかり食えるようにして下さった若様のおかげですぞ。皆声にこそしておりませぬが、若様に感謝しているものは多いのです」


 そう面と向かって言われると面はゆい。


「若様照れてる?」


 ニヤニヤしながら雪が顔を覗き込んでくる。


「うるさい」


「うひひ」


「雪、他所でそのような笑い方はしておらぬだろうな」


「もちろん若様にだけですよ」


「父にもしていいのだぞ?」


「いえ、若様にだけです」


 笑い方を嗜めた清之だが、続く雪の言葉にうなだれてしまった。相変わらず賑やかな二人だ。しかし俺だけってのは特別感あってなんか嬉しいな。


 そんな感じで勉強にはならなかったけど、俺の気を鎮めてくれるような会話をしていると母上付きの女房がやってくる。


「おめでとうございます。お元気な弟御がお産まれになりました」


「おお!弟か!それでは母上と弟に会いに行けるか?」


「はい、ご案内いたします」


 奥の間への出入りを許可されていない清之を部屋に残し、奥の間まで行く。


「若様と雪様をお連れしました」


 襖が開けられ、中に入ると疲れた顔の母上と、ニコニコ顔の父上、そして興味津々に赤子を覗き込む豊がいる。

 

「孫四郎来たか。ほれ其方の弟じゃ、抱いてやれ」


 父上に渡され胸に抱く。雪がツンツン頬っぺたをつつくが口もとに指を寄せると顔を指の方に向けて指を吸おうとしている。


「わっ、指吸おうとしてる」


「腹を壊されては困るから手を洗ってきた方がいいな。ほれ豊も一緒に手を洗いに行くぞ」


「あい!」


 奥の間にある井戸でアワアワに洗って弟に再び触れる。父上などはなぜ手を洗った方がいいのかよくわかっていないようだが、とりあえず手についた汚れから邪気が移らぬようにということを説明した。まあそれでも不思議そうな顔ではあったが。


「ところで父上、弟の名前はなんというのでしょうか」


「うむ、遠野が阿曽沼がさらに大きくなるよう、大千代とした」


「大千代……、そうか其方は大千代か」


 これで孫の代まで豊かに大きくという感じで名前が繋がったな。うん、父上そこまで考えていたかはしらないけどいい名前だな。


「弟もできたしあとは其方の子が出来れば万事問題なしだな」


 父上、セクハラですぞ。あ、この時代には無いか。でもまだ数え八つだから産むとか無理だしまだあと八年くらい待ってもらわないと。


「義父上様、おまかせを!私が若様の子供をしっかり作ります!」


「おお!雪姫は頼もしいな!」


 ほんと逞しいな。割とこの時代の考え方に馴染んだんじゃないかな。


「ところで母上はお加減いかがでございましょう」


「ホホホ、其方を産んだ時よりましだったわよ」


 疲れた顔ながらも母上は元気そうだ。


「それならようございます。三喜殿、母上の体を頼むぞ」


「承知しました」


「それと産婆……」


 母上の側で控えていた産婆がビクッと肩を震わせこちらを見る。


「は、はい。な、何か……」


「確か豊の時も呼ばれておったな」


「へ、はい。豊姫様も取り上げましたが」


「其方産婆の弟子はいるのか?」


「い、いえ」


「勿体無いな」


「孫四郎、何を考えておる」


「お産をより安全に行ってもらおうかと。つまりは人の身体を扱う以上、産婆に多少の医の知識を身につけさせようかと」


 田代三喜と守義叔父上だけでは医師二人しかおらぬのでお産まで手が回らんだろう。お産は医師が増えるまで産婆に引き続きやってもらうとして、お産も産科学にしてより安全にできるよう学もとしてもらわんと。


 「むう、産婆に医を学ばせるとは思いもせんかったわ。いや大変よい。三喜殿よ頼まれてくれるか」


「無論でございます」


「で、産婆、其方もよいか?」


 父上の言葉に産婆はただ平伏す。


「ねえもしかして私のお産のことも考えてくれてるのかしら?」


「ば!い、いや考えていない訳ではないが、母児共に安全に産んで欲しいだけだから!」


「うふふ、まあいいわ」


「ホホホ、本当に孫四郎と雪は仲が良いわね。母としても嬉しいわ。それでは三喜殿、芳婆、私からも頼むわね」

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