第二百十二話 きれいな黒髪は濡烏と言うそうですね
橋野高炉 水野工部大輔弥太郎
あれからひと月ほど出銑を繰り返しているが、ついに一昨日出なくなった。どんなに炭を焚いても出てこないのであきらめて高炉が冷えるのを待っている。
「一体なぜ鉄が出なくなったんだ」
高炉って数年は連続操業するものではないのか。
「旦那様、眉間に皺が…」
「おぉすまん。まあできることはやってるのだから炉が冷えるまで待つしかないか」
「ところでまた戦だそうですよ」
そういえば和賀と戦になるとか言ってたような。
「またか。今回は十勝守殿(大槌得守)に大砲を預けているでな、あと何発打てるかわからんがなんとかなるだろ」
「あまり興味がないようですね」
「俺は武官ではなく技官だからな。前回の戦は遠野の危機であったことと技術確認のために出陣しただけだ」
データが取れて改良点の洗い出しができればそれでいい。あと何発くらい撃てるか出せればそれでいい。もちろん壊れたならそれも調べるので持って帰ってもらわねばならない。
高炉が安定して反射炉製造できるようになれば鋳鉄製の大砲かその前に青銅砲で鋳造に慣れるかするだろう。蒸気機関が作れるようになったらピストンでより強力に送風できるようになるからそれから転炉の研究だな。というわけで今後の研究計画はまず反射炉、次いで蒸気機関、それから転炉だな。生きているうちにどこまでやれるだろうか、というかどれも一つだけで人生使い果たすようなものだな。なんとか任せられる者を用意せねばすべてが中途半端になりそうだ。
「それより小菊、そなた算学の手習い本はすすんでおるのか?」
「はい!私の作ったものを一郎が読んだらいくつか改善点を指摘されたので、今手直しをしているところです」
そういえばすっかり忘れていたが一郎は元々教師だったな。今生で教鞭を執るつもりはなさそうだが。
「ほかにもいろはの手習い本とか書き取り帳なんかも改善案を出してくれるのでとても助かります」
時計作りの片手間で教科書制作を任せられるかもしれんな。頑張れ一郎。
◇
鍋倉城 阿曽沼孫四郎
父上ら主な武将が出払って退屈だ、ということはない。随分と大きくなってすっかり成獣となったブチとハチ、それに熊の武雄威手躯(ヴォイテク)とともに軽く白星で朝駆けする。ちなみにヴォイテクは薪運びやら刀の束なんかを運んでくれるようになった。人が運べないような重いものが持てるのはありがたい。たまにジャーキーをやると喜んでカジカジしてたり結構かわいいもんだ。他の熊が同じように行くとはとても思えないけど。
朝駆けから帰ったら朝餉をすませて座学の時間だ。最近では清之のみならず大宮様に習うことも多い。清之より作法などいろいろ詳しいし。歌は全くもって苦手なので辛いけど。
午後からは領内の確認だ。今までは母上がなさることも多かったが、最近ではこれも跡継ぎに必要なことと言って俺に押し付けてくるようになったので割と忙しい。その分領内の把握がしやすくなるので悪くはないけど。
そうこうしていると雪が顔をだしてくる。どうやら休憩時間のようだ。
「ねぇねぇ若様、どうかしら?」
一体なにがどうなのかさっぱりだが、それを素直に言っては角が立つからな。
「んーと……ん?髪の艶がいつもよりいいような」
手触りもいつも以上にすべすべしている。日に当たると青みがかったつややかな黒髪が映える。
「でしょ!でしょ!葛屋が持ってきてくれた新しい椿油で整えてみたの!でこういう髪色を濡烏(ぬれがらす)って言うんだって!」
「なるほどなぁ。とてもきれいで似合ってるよ」
「えへへー」
しかし椿油か。これもまた忘れていたな。寒いとこでも椿は育つはずだからこの遠野でも植えてみるか。油がたくさん取れれば堺で売ればよいだろう。
「ね、ねえ、いつまで触っているのかな……?」
「そりゃおめえ飽きるまでさ」
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