第百九十六話 初めての風呂
大槌城 大槌得守
「というわけで、こちらがカリン殿です」
「いやはやどんな土産物を持ってくるかと思いきや、まさか嫁を貰ってくるとは」
父上はしきりにそのようなことを言っている。母上は俺が妻を連れて帰ったことに満面の笑みだ。
「まぁまぁまぁ、素敵なお嬢さんね!こちらの言葉は話せるのかしら?」
「カリン殿」
母上の言葉に俺が頷き、促す。船上でわずかながら言葉を教えたので挨拶くらいは可能だ。
「ハジメマシテ、カリン、モウシマス」
思い出すように透き通るきれいな片言で挨拶する。
「まだ挨拶程度しか教えておりませんので、これ以上は話せません」
「うん、うん、それはまた追々教えれば良いことです。カリンとやらはどう書くのです?」
「あぁ、そういえばあちらには文字がございませんので、カナで書いておりましたな」
「孫八郎や、ちゃんと名前の書き方も教えて上げなさい」
この年になって母上から叱られるとは……。しかしこれは俺の落ち度だな。
「カリン殿そういうことだ。漢字……我らの使っている文字というのでそなたらの名に相応しい字をやらねばな……」
カリン殿は鈴のようなきれいな声だから華鈴、キセ殿は希勢、ホヌマ殿は穂沼、サンチョ殿が一番困るな……三千代でいいか。サクッと思いついたものを書いて母上に見せてみる。
「なかなかいいじゃない。そうね、まずは自分の名前を書けるようにならなきゃならないわ。祝言の支度は始めておくから、殿に面通ししてきなさい」
母上は大きなお腹ながら、上機嫌に祝言の支度に早速取り掛かるつもりのようだ。
「待ちなさい。その身形で御館様に会わせるつもりか」
「そのつもりでしたが?」
今度は父上がため息をつく。
「はぁ……。あちらの装束であれば仕方がないが、衣くらいはもう少しいいものを着せてやれ。波江よ、そなたの着物をやれぬか?」
「そうねぇ……あっ!そうだわ、この間若様から頂いた単衣と女袴を差し上げましょう」
「おいおい、いいのか?」
「ほほほ、あれは私には派手すぎます。若い子に着せたほうが良いでしょう」
なるほど確かに水色の単衣とそれに合わせたベージュの袴は母上には少し派手すぎるな。
「孫八郎や、何か母に言いたいことでもありますか?」
「カリンに着せたらどれだけ映えるか想像しておっただけです」
「ふむ、そういうことにしておきましょう。それではカリンさんにキセさん、まずは風呂に参りましょう。汗と埃を落としてから袖を通しましょう」
「フロ?」
「温まりますよ」
風呂って向こうにあったかな?水浴びくらいだったような気がするのでびっくりするかもしれんな。
「大丈夫だ。きっと気に入る。よし、穂沼殿に三千代殿も風呂に行くぞ!」
この時代は風呂というと蒸し風呂で転生したての頃は戸惑ったが、要はサウナなので慣れるのもそうかからなかった。
「湯に浸かる前に、まずこの湯屋で脂を流すのだ」
釜から出る湯気が湯屋に入ってきて蒸し暑い。藻なども焼いている。なんでもなんかの薬効が高い……らしい。
「オオ!アツゥイ!」
穂沼殿は蒸し風呂にびっくりしている。足元には大きな盥がありそこには程よい熱さの湯がなみなみと入っている。三千代殿は驚いているというよりは少し戸惑っている感じか。
「さ、この盥にしばらく足をつけるのだ」
しばらくすると足湯と蒸気で汗が吹き出てくる。汗が出てきたら、若様から貰った石鹸を泡立てて頭と身体を洗っていく。
「しばらく風呂に入っていなかったから全く泡立たんな」
何度か泡立てなおしてしっかり汚れを落とす。
「どれ穂沼殿と三千代殿も流してやろう」
二人も汚れが溜まっているだろうから盥の湯をまずかけて、しっかり泡立てて洗うがやはり何度か泡立ててやらねばならない。穂沼殿は初めて見る石鹸に戸惑い、口に含んでペッペッしたり自分で泡立てて見たりだ。
そんなこんなで汚れが落ちてスッキリしたところで風呂を出て、髪に椿油を塗って整える。しばらくすると華鈴殿達が出てくる。
「うむ、風呂に入って見違えるようだ」
汚れが落ちてきれいな顔立ちがよりはっきりする。改めてみても美人だな。
「これ孫八郎、おなごの顔をそんなにしげしげと見るものではありませぬ。ほらこんなに恥ずかしそうにして居るではありませぬか」
髪や体が綺麗になり、水色の単衣がよく映える。髪もしっかり梳いて、椿油をなじませているのでつやつやだ。しかし着物にすっかりはしゃいで俺の視線には気がついていないように見えるのだが、照れているのだろうか。
「おっと、これは申し訳ない。すっかり見惚れておったわ。それにその着物もよく似合っておる」
穂沼殿が通訳してくれたのか、赤くなって俯いてしまった。忙しい娘さんだ。
「さ、汚れも流れたことですし、食事にしましょう」
「うむ。今日はしっかり休んで、明日遠野に向かうとしよう」
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