第百六十五話 戦のあとで

高水寺城 斯波千春


「なに!殿が身罷られたですと!?その方らが居りながら一体どういうことですか!」


 命からがら追手を振り切った岩清水右京と梁田中務が、斯波詮高の正室、千春殿を前に報告をする。


「い、いえ、阿曽沼は卑怯なことに得体のしれぬ武器を用いて来まして……」


「だまりなさい!阿曽沼がごとき小勢に対して主君たる殿を守れず、あまつさえ這々の体で逃げ帰ってくるとは、栄誉ある足利の一門の名折れでございましょう!」


 千春殿の剣幕に他の武将たちも首をすくめる。


「母上、父上はどうされたのです?」


「ああ、孫三郎、殿は殿は……うぅっ……」


 千春殿の足元に幼い嫡男である孫三郎(後の斯波経詮)が不思議そうな顔で佇む。


「孫三郎様、お父上様は戦場で……亡くなられたのです」


 死んだということがまだわからない年の頃ではあるが、母親が泣いており、周りの者が暗い表情をしていることからただ事ではないだろうということを感じるのみである。


「孫三郎や、殿は戦でその熱い命を散らせたのです。武士として戦に身を置くとはそういうことなのです。ところで中務殿、我が方はまだ兵を出せますか?」


 先程まで泣いていたのが一変し、千春殿が武将らの目を睨めつける。


「はあ、不来方(こずのかた:現盛岡城周辺)に割いている物を最小にして、募兵を強めて和賀や稗貫も入れれば五千くらいにはなりましょうか。」


 そんな事しては民を根こそぎ動員になるので一回こっきりだろうと言う。


「なるほど、それで阿曽沼はあとどれほど出せるのですか?」


「此度の戦でかなり無理をしたでしょうから、せいぜい五、六百かあるいはもっと少ないかと。それもそろそろ麦播きになります故、そう長くは出せないでしょう」


 千春殿は思案する。周りの武将たちは思わずその思案顔に見惚れそうになるが、圧倒的な殺意の波動に現実へと引き戻される。


「こちらも麦播きがあります故、今からの出陣は民の負担が大きくなりまする」


「仕方ありませんね。そういうことでしたら来春、田植えが済み次第遠野に攻め込む事を考えましょうか」


 千春殿はそのきれいな顔を歪ませ、憎々しげに吐き捨てる。



二子城(ふたごじょう) 和賀定行


「くそっ!阿曽沼ごときにあそこまでやられるなどとは!」


「遠野の貧乏武家と思っていたのですが、あそこまでやるとは。」


 和賀一族の棟梁、和賀左近将監定行は血と泥で汚れた武具を着けたまま、なんとか逃げおおせた武将らと評定に入る。その空気は実に沈鬱である。


「煤孫や黒沢尻に鬼柳らはどうした」


「御館様、黒沢尻めは遠野で討ち死にしてございます。煤孫と鬼柳は各々の館に逃げ帰ってございます」


 黒沢尻が戦死したとの報告に義秀は口角を上げる。


「そうか、戦場で死ねたのならば武士の誉れであろう」


 かつて宗家を巡って相争った家の一つが消えた事からか、労ってはいるもののどこか口調が軽い。


「誠にその通りかと存じまする。ところで毒沢と浮田めが阿曽沼に寝返りましたが」


 口に出した江釣子助次郎は、しまったと思ったが既に後の祭り。和賀定行の顔が赤くなる。


「あ、や、つ、らぁ!」


 持っていた扇子をへし折る。


「直ぐに兵を出せ、まずは毒沢らを血祭りにあげてくれる!」


「お、落ち着いてくださいませ、御館様!兵らは傷を負ったものが多く、直ぐには動けません」


 それに生き残った鬼柳や煤孫らの動きも気になるところで有るため、動くに動けない状態だ。


「クソッタレェ!この怨みはいずれ返させて貰うぞ!阿曽沼は次にどこを攻めるか!」


「はっ。阿曽沼も無傷では無いでしょうから、まずは孤立した安俵城を狙うのでは無いかと」


 浮田までが阿曽沼に寝返ったため、この二子城まで二里足らずとなっている。しかし北上川を挟んでいるため直ぐには攻めては来られない。


「兄上、稗貫に兵を借りては如何でしょうか?」


「悪くは無いが対価として、定正、そなたが得た関口を対価に要求されるやも知れぬぞ?」


「いやしかし、ここで安俵に援軍を出せぬとなれば、家臣達がいよいよ離れかねぬぞ」


「……援軍は出さん。安俵が阿曽沼を引き寄せている間に浮田館を攻める」

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