第百五十六話 遠野が侵攻されました

高水寺城


「皆の者!これより遠野に向かう!なあに敵は弱兵!数も少ない!我らの負ける道理はない!いざ出陣!」


 どーん!どーん!と陣太鼓が鳴らされ、高水寺城から足軽や武将が出ていく。雑然としたどこか緊張感の乏しい出陣であるが、行進訓練などというものが影も形もなかったこの時代、誰も咎める者はいない。

 高水寺城からほど近い日詰で北上川をかき集めた渡し船を使って渡っていく。全軍が渡河を終えるのに二刻ほどを要した。渡り終えた部隊から北上川の左岸を南下し彦部川を今度は渡渉したのち佐比内川に沿って山道に入っていく。

一つ峠を越えたところにある大迫にはいる。ここは稗貫氏の家臣、大迫氏の居城である大迫城がおかれている。本日はここに本陣を構え、明日には遠野に侵入することとなる。


「明日には遠野に入るからな。者共、しっかり体を休めておけ」


「ははっ。殿のお気遣い痛み入ります。しかし、この数を見れば戦う前に逃げ出すのではないかと」


「うむ。岩清水の言うとおりであろう」


 将の中には出番が無いかもしれないとため息をつくものまで居る。三戸南部が倒れた今、陸奥北部で一度に三千の兵を動かせる唯一の存在となってしまったため誰も負けることなど予想もしていない。



達曽部村 鱒沢守綱


「敵は大迫城に入ったようだな」


 保安局からもたらされた情報を受け、達曽部の土塁に入る。壕は先日の雨ですっかりぬかるんでおり守るには都合のいい状態である。


「治部少輔様(守綱のこと)、本当に勝てるんでしょうか?」


「今更何を言っておる。そなた名は?」


 弥右衛門と名乗るのは、このあたりの肝煎の長男。攻め込まれると聞いたときは一も二もなく立ち上がったが、いざ合戦となってくると不安感が増すようだ。


「弥右衛門、そなたの気持ちもわかる。しかし、我らがすべきはここで打ち負かすでも死兵になることでもない。調練通りにやれば良い」


「わかっているつもりではあるのですが」


 いくら練度を高めたとはいえ、実戦はやはり空気が違う。ここを守る精鋭二百でもって十倍以上の敵をひきつけるものであるので、無事で済まない可能性がある。


「ふむ。仕方がないのう。ほれ皆の者これは気付けじゃ」


 そう言うと守綱は弥右衛門に盃をもたせ、酒を注ぐ。

 突然のことに弥右衛門は驚くが、一息に呷る。続いて順々に各武将に酒が振る舞われていく。少量ではあるが体が暖かくなり、不安感が軽減する。


「ふぅ、旨い酒ですね」


「京から来た上等な酒だ。この戦に勝てばまた振る舞ってやろう」


 皆の士気は上がり、まだ見ぬ敵をまだかと待ち受ける。



 日が正中に差し掛かる頃、山陰から地鳴りが聞こえてくる。


「敵が来たようだ。狼煙を上げろ」


 多数の足軽たちの中に紛れて騎馬武者がチラホラと見える。通常であれば矢がギリギリ届かないところで敵が停止し、一人の騎馬武者が前に出てくる。


「われこそは斯波兵部大輔詮高である。いまここには三千を超える兵がおる。今のうちに我らに降るならば悪いようにはせぬぞ」


 まさかの敵の大将自らが名乗りを上げるとは思わず、守綱を始めとする全員が固まった。


「ふふふ、まさか大将自ら名乗るとはな。これは返礼せねば」


 そういうや、周りが止めるのも構わず土塁の上に守綱が登る。


「やぁやぁ、大将自らの名乗り、誠にあっぱれでござる。我は阿曽沼家当主が次弟、増沢治部少輔守綱と申す。兵部大輔殿のご提案、まっこと感銘いたし申す!我からの返礼を申し上げる!」


 そう言い、滑車弓を引き絞ると重い鉄でできた矢を放つ。狙いがわずかにそれ、斯波詮高の乗る馬の眉間に突き刺さる。

 一瞬馬がいななき、そして斃れ、詮高が投げ出される。


「ちっ。外したか。まだまだだったな」


 それを合図に遠野軍から矢が飛び始める。

 持っているのは皆滑車弓であり、その威力に胴丸が貫かれ、幾人かが倒れ伏す。

助け起こされた詮高は遠目にも、怒っているのがわかる動きで、進軍を指示するかのように軍配を振る。


 しかし広く掘られた壕はぬかるみ、足がとられ、敵の進行が鈍る。ころんだり、矢に貫かれた者達は後ろの足軽や将にふまれ、泥の中に沈んでいき、後続の足場となっていく。

 守綱らは精一杯射ちかけるが、多勢に無勢。あっという間に土塁に取りつかれ始める。


「くっ、ここまでだな。皆、退くぞ!」


 皆一目散に逃げ出すが、数人が槍や矢に貫かれ斃れていく。

 才ノ神から菖蒲沢、そしてついに吉金の地まで逃げる。ここまでに五十ほどの武将が斃れていた。


「みな、もう少しだ!死ぬなよ!」


 更に二里ほど走り粡町の集落に消えていく。そしてついに敵の主力が吉金を抜けようとしていた。

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