第百三十三話 上洛 伍

東海道中 阿曽沼孫四郎


 逢坂関をこえて山科に降りてくると、まるで要塞のような高い土塁が見える。


「大宮様、あれはなんですか?」


「あれは本願寺や」


 寛正六年(1465年)に比叡山に焼き討ちされこの山科の地に新しい本願寺を建立したそうだ。京に近い広い土地を探していたようで、ちょうど荒れ地だったこの山科に本願寺を置いたという。ちなみに大坂にもすでに御堂がおかれているそうだ。


「こんな土塁を築くということは、いろいろと恨みを買っているようだな」


 たしか史実でも加賀一向一揆とかやったり信長と対立して長島城の戦いでは撫で斬りになったりしてたな。一向宗も比叡山もやり過ぎだから仕方が無い。いずれ俺たちも宗教勢力と争う時が来るのだろうな。

 江戸時代の宗教政策が参考になりそうだが、残念ながら俺にはわからん。帰ったら雪に聞いてみよう。知っていれば儲けもの、知らないようなら利を与えつつ力をそぐか、明治維新のように廃仏毀釈で腐った坊主共を篩いに掛けて直接的に勢力を削るか。

 そんなことを考えながら山科の本願寺を通り抜け蹴上にでる。山道が開けるといよいよ京がこの目に映るわけだが。


「これが京?」


 広い平地に南北二カ所の街が見える。前世の記憶にあるような盆地いっぱいに広がる都市は当然ながら影も形もない。


「せや。御所がある北側が上京、南側にある街が下京でおじゃる」


 前世では百万人以上が住む余裕の無い町並みだったが、まだまだこの時代は空き地が多いな。


「今日は強訴はおらぬようで静やな」


 何やら物騒な言葉が聞こえるが、まあなんとも治安は確かに良くないのだろう。長い土塁が築かれ、所々に物見櫓があり、一部は焦げたような黒い部分がみえる。土塁の側には蓑にくるまった物乞いがたむろし、さらに鴨川には所々死体が浮いている。死体の幾ばくかは矢が刺さったものもあり、度々戦になっているようだ。


「なんとも死臭が酷いですな」


「うむ。これが京の匂い……これは真似たくないな」


「ほっほっほ、応仁からの戦が激しいときはこれよりもっと酷かったぞよ」


 人が多い分、死ぬ人も多いか。なるべく遠野は平和な都市として拡大させたいものだと思いながら三条大橋を渡り、下京の街に入る。


「おお、おおお」


 完全にお上りさんになったが仕方が無い。街の外はなかなかに悲惨であったが、中に入れば色鮮やかな服装の公家や武士、それに町民が賑やかに歩いている。


「こ、これが京の人々」


 戦乱に怯える日々なのは間違いないのだろうけども、それを差し引いてもの繁栄である。これは京を獲ろうと思うわ。陸奥の田舎とは大違いの賑わいである。


「ほっほっほ。さしもの神童も京の気に中てられたようじゃの」


 見渡すと建物はだいたいが木造で板葺きになっている。


「京は茅葺きではないのですね」


「家が多いからの、茅が足りんのや」


 そういうのもあるのか。あと燃えやすいから人口密集地には向かないかもね。



 とりあえず大宮様の邸に上げて頂く。四条様の都合がつく日まで、数日間待たせて頂く事となった。庭に出ると焼けた倉がそのままにされている。


「あれはな応仁の大戦おおいくさで焼けてしもうたんや。壬生家はなんとか持ち出せたが、うちは持ち出せんでな。もう小槻氏氏長者はよう名乗れへんやろなぁ」


 公家は公家で勢力争いが激しいな。前世の官僚機構が最善ではないけれど、世襲制だと家同士の争いにまでなってしまうからなかなか難しいな。


「それでもまあ、久しぶりの我が家や。そなたらしばし待っておれ」


 そう言い残し大宮様が奥に消えていく。


「いやはや、京は乱世と聞いておりましたが、なかなかどうして活気が溢れておりますな」


「うむ。葛屋、そなたの話だと魑魅魍魎がはびこる恐ろしいところと聞いてたが、素晴らしいとこじゃねぇか。神童殿なんか呆けておったわ」


「皆様、恐ろしいのはこれからの時間でございます。この上京はまだましではございますが下京は」


 葛屋がうなる。そういえば葛屋は焼き討ちにあったのだな。家人の生命があっただけまだましだったとかいうから、なかなかの世紀末ぶりなのだろう。

と思っていたら下京のある南側が明るくなる。


「始まりましたな」


 ここからではなぜ火の手が上がったのかまではわからないが盗賊がねずみの尻尾に火を点けて放し、混乱に乗じて泥棒を働くものもいたり、ただ火付けしたいだけに火矢を放ったりめちゃくちゃなようだ。


「これが……」


「なんとも……」


 葛屋はさめたような顔つきだが、どこかのんびりとした遠野の者としては戦でもないのに相争う恐ろしい光景でしか無い。


「侍所は何をなさっているのか」


「ほっほっほ、若殿よ室町殿に期待しても仕方ないぞよ。管領殿とうまくいっておらんようでな、京の町をどうにかするより幕府の中での争いが大事なようやからな」


 戻って来られた大宮様が呆れたようにため息をつく。政治も将軍親政を目論んで管領家と仲が悪くなっておるそうな。そう思えば寺社や下京などのように町民の共同体などが複雑に絡まったのが今の京の政治状況らしい。複雑すぎてなにがなんだかよくわからん。欧州政治は複雑怪奇とかいった人がいたが、この時代なら畿内政治は複雑怪奇と言ったところだろう。

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