第百三十二話 上洛 肆

観音寺城下 阿曽沼孫四郎


 この観音寺城が面する大中湖から堅田までの渡しが出ているそうなので、宿を取って船便を待つ。


「おおそうだ、そなたらは鮓(すし)というものをしっておるかの?」


「寿司、ですか?」


「うむ。鮓だ」


 琵琶湖って寿司で有名だっけ?大宮様がいたずらっぽく笑いながら宿の主人に話しかけると、強烈な匂いがやってくる。


「うっ……」


「これはなかなか」


「匂いがきついですな」


 俺も清之も守儀叔父上も思わずうなる。そうか、鮒ずしか。すっかり忘れていた。一方で三喜殿は涼しい顔をしている。


「これがなかなかに美味いものでな。ほれ皆もくうてみよ」


 大宮様に促され箸をつける。


「うっ塩辛くて酸っぱい」


「口の中にえもいえぬ匂いがしますな」


「ほぉ、この鮓は匂いが軽めだの」


 大宮様が喜んで喰っている。いや塩辛くてあまり食えぬのだが、慣れると美味いのだろうか。


「これは滋味に富んでおりますな」


 三喜殿がひとくち食べて感想を述べる。


「そうであろ?この深い味わいがわかるとは、三喜殿はさすが大人でおじゃるな」


 匂いに慣れないような清之や叔父上も酒の肴にすると箸が進んだそうですっかり皆寝落ちしている。

 いやしかしすっかり寿司という食い物を忘れていたわけだが、いわゆる江戸前寿司のような寿司は保存加工できるようにならなければ無理なので保存技術が改良されるまではなかなか難しかったんだっけ。江戸前もいいけど押し寿司も美味いよなと思っていたら、久しぶりにバッテラが食いたくなってきた。三陸沖でも鯖はとれたはずなので帰ったら作りたいな。



 翌朝琵琶湖を渡る船で堅田から上陸し、南に進む。

 堅田から少し南に行ったところに雄琴温泉がある。前世ではまあ色街の側面もあったが、元は伝教大師が見つけたとされる由緒ある温泉街だ。使ったことは無いけどな。京都市が特殊浴場を追い出したためにここに落ち延びてきたのがその歴史だったはずだ。そう思うとなんというか、まあいろいろ思うところはある。今はただの田舎の景色だが。


 坂本まで来るとおびただしい数の寺が生えている。まさに生えているというような数の寺社である。きらびやかな袈裟に身を包んだ娼妓とおぼしき若い女や酒樽を載せた荷車が寺に入っていったり、かと思えば僧兵とおぼしき柄の悪い輩が寺門からでてくるので目を合わさぬよう足早に通り抜ける。


 少し進むと圓城寺と思われる場所に来る。こちらもおびただしい数の寺が生えている。その中でも大きな、ただ焼け焦げた寺が見える。


「ここの寺は火事でもあったのか?」


 大宮様が疑問に答えてくれる。


「ここ圓城寺は別称を三井寺という。比叡山と度々抗争しておってな、直しては燃やされるということを繰り返しておる」


 これまでに十回ほどは焼き討ちされているそうだ。これで延暦寺をもやしたら仏罰云々言っていたのだというのだから呆れてしまう。


「ところで比叡山はこの寺を燃やして仏罰は落ちておらぬのですか?」


「明応八年(1499年)に管領(細川政元)によってことごとく焼き討ちされておるのお。仏罰かどうかはわからぬがな」


 一応罰は受けているのか。しかし宗教抗争は困ったものだな。僧兵などの物理的手段に出ないのなら好きにしてくれたら良いが、こうも焼き討ちを頻回にするようでは宗教に求められる、心の平安も得られぬではないか。一向一揆も宗教勢力によるものだし、なんとかしなければな。阿曽沼領内では天台宗と一向宗は禁止にしたほうが良いかもしれないね。

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