第百三十一話 上洛 参

東海道中 阿曽沼孫四郎


 沼津を発って四日、遂に遠江は遠淡海、浜名湖畔に到達する。


「これが遠淡海とおつおうみ……」


「うむ。この遠淡海がある故、この地が遠江と呼ばれるようになったのだ」


 大宮様が遠江の由来を説明してくれる。地震以前は陸地がもっと湖に伸びていたようだが、先年の地震で弁天島の周囲が沈んでしまい多くの犠牲者が出たという。それもだいぶ落ち着いたようだがまだまだ地震の爪痕が深く残っているようで、崩れた家がそのまま残されている。


「この辺りの者らはあらかた大波に飲まれたようだ。生き残ったものも、波の影響で田が使えなくなり苦しんでおるようだ」


 三喜殿が近くの村のものから話を聞いてくる。東日本大震災でも津波被害にあった田んぼは塩害が出たというし、この時代では自然と土壌の塩分が流れてしまうまで待つしか無いか。さつまいもでもあればこんな土地でも利用できるんだけどな。


「遠淡海も海水が入ったせいで魚が死んでしまい、夏になると腐臭がそれはひどかったそうだ」


 もともと淡水湖だったところに海水が入ったので死んだ魚が浜に打ち上げられたらしい。衛生状況も劣悪となり一時期は人がほとんどいなくなったとか。この今切という地の割れたところは渡しが必要になったため生き残った者らが渡し船を始めて、生計を立てることができているようだ。


「そなたらも大変だったのだな」


「海の神様がずいぶんとご立腹だったようで、俺も危うく死にかけました」


 この渡し船の主は大波に飲まれそうになったが、運良く木に引っかかって一命をとりとめたらしい。


「そなたはなかなかの強運の持ち主のようだな」


「強運なんでしょうかねぇ……」


 残された者特有の一抹の寂寥感を船頭から感じる。


「部外者がこういうのも何だが、生きてこそだ」


「お心遣い痛み入ります」


 船頭に別れを告げ再び徒歩になる。


「このあたりはそろそろ三河か」


 いま三河守護はおらぬと言う。かつては一色氏や細川氏が争っていたが、文明10年に細川成之(しげゆき)が三河守護職を放棄。以後は国人領主が群雄割拠している状況という。今三河で最も有力なのは吉良家。後に有名になる松平家はまだこの時代は吉良家に服従している一国人領主だそうだ。


 しかも居城は岡崎では無く安祥城だという。いや知らなかったな。ずっと岡崎だと思っていた。家康が現れる前になんとか処置しなくてはな。三河の歴史なんて全然知らないからどうなるかもわからない。帰ったら雪に相談してみるか。知っていたらいいな。



 熱田神宮を抜け、葛屋が世話になったという美濃の寺に着く。


「これはこれは葛屋殿。息災そうじゃな。してそちらの方々は?」


 大宮様から順繰りに挨拶していく。


「それはそれは官務家様がいらっしゃるとは。これで周りの寺に自慢できるわい」


 住職が上の間に案内してくれる。


「おおそうだ、世話になるのに礼も無いのはいかんな。清之、昆布は余裕あるか?」


「問題ありませぬ」


 そう言いつつ幕府への献上分から幾分昆布を引き抜き、布施とすると住職は随分と喜んでくれた。糧飯に大根の味噌がけに菜の花のおひたしが出てくる。寺らしく肉も魚もない。大宮様は疲れていたのか早々に床につき、すでに寝息を立てている。


「葛屋が世話になったようだな」


「いえいえ、滅相もございません」


「ところで随分と小坊主が多いようだが」


「はっ。このあたりは度々戦があり、孤児が多くいます故、預かっておるのです」


「ふむ。見上げた寺だな。そういえば以前葛屋が子供をいくらか連れてきたことがあったが」


「あれは孤児が多すぎたので、葛屋殿にお願いして引き取ってもらったのです」


「ふむふむ。なるほどな」


 つまりここで仕入れた子供を遠野に連れてきていたわけか。


「また帰りにもよります故、その際には抱えきれない孤児は当家が連れて帰りましょう。孤児をお守りになる住職の心意気に感服申し上げます」


 近場から買うよりは逃亡を防げるだろう。住職は当家からの布施を定期的にもらえてホクホクになるし、孤児たちも当家に来れば飯を食えるし、俺たちも裏切りにくい人材を獲得できて三方良しと言うやつだ。まあ住職が変わったらしまいかもだがな。

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