第百五話 うさぎの繁殖力は素晴らしいね
早池峰山麓 阿曽沼孫四郎
「さて左近、用意はいいか?」
「はは、守儀様も三喜様もすでにお待ちでございます」
「若様、何しに行かれるので?」
「あー清之、此処から先は医術を学ぶものだけなのだ。すまぬが清之といえどこの先には入れん」
「若様も医術を学んでおられたので?」
「簡単なものだが、三喜殿に時々教えてもらっている」
「なんと、いつの間に……。わかりました。この清之ここで若様のお帰りを待っております」
まだ雪の残る山中を待たせるわけには行かなかったが、これだけは頑として譲らない。仕方がないのでこの周辺に野うさぎがいないか探させることとした。できるだけ生け捕りにするよう言い残し、早池峰山の奥に入っていく。しばらく行くと上大出というやや開けた土地にでる。
「あの小屋か?」
「はい」
小屋の戸をがたがた開けるとほぼ土間になっている。その土間に置かれた机に横たわる三体の遺体が見える。
「神童殿、待っておったぞ。さあやろう」
これから学問のためにバラされるのだ、貴重な酒を振りまき手を合わせる。
「三喜殿、始めてくれ」
懐刀で皮膚を切り開いていく。
「この皮の下にあるのが脂身です。この脂身を除くと出てくるこれが筋でございます。この筋が動くことで骨が動くようです」
筋を持った三喜殿が筋を引っ張ると腕が曲がる。この時代は筋肉の動きは神経による電気的支配という知識はないものな。カエルの解剖から始めるべきか。
「三喜殿、この筋が大きいほど力があるように思うが」
「そうかも知れぬが明の書物でも見かけなかったので、わかりませんな」
筋肉の解剖はそこそこにヤットコで肋骨を外し始める。
「この紅色のものが肺臓、肺臓に包まれるようにあるのが心の臓です。ここから血が全身に流れるそうです。さらに奥には口から腹に向かう食道があります」
今回はとりあえずざっくりどういう物があるかの確認になった。心の臓か感情などを司るというが、現代人の知識で言えば其れは脳の役目だし五臓と内臓は別の概念のようだな。まだタバコも大気汚染もほとんどない時代だからか肺は前世で見たすす汚れた色ではなくきれいなピンク色だ。
「腸が破れると匂います故、今日は切りませぬ。守儀殿、そなたは明日もこの解剖の続きを行いますので同じ時間にここに来てください」
手袋もなかったし感染症が心配だな。かといってあまりゴワゴワな革の手袋というのもな。ゴムが手に入ればいいんだがなぁ。南米まで取りに行くなんて無理だしなぁ。
左近につれられて早池峰神社まで降りてくれば足元に数羽の簀巻きのうさぎをおいた清之が見える。
「若様、よくお学びになりましたか?」
「うむ。大変有意義であった。そなたの足元のは」
「はっ。仰せの通り野うさぎをいくらか捕まえておきました」
「おおでかした!さすがは清之だな。頼りになるな」
「ふっふっふ、この程度は朝飯前でございます」
「もうすぐ夕飯だがな」
「そういうことではございません!」
◇
横田城 阿曽沼孫四郎
「わーかわいー!ってなんで簀巻きになってるのよ!?」
帰るやいなや雪さんからお叱りを受ける。兎を入れる籠など無かったし、耳を持って帰るのでは何羽も持って帰れないし仕方ないよね。
「なるほどね、じゃあしょうが無いわね。で、この兎はどうするの?」
「繁殖させる」
「へ?」
何かおかしかっただろうか、雪さんが素っ頓狂な声を上げる。
「先日の戦で、雪中行軍するのはブーツのおかげでなんとかなるそうだが、寒さが辛いと言うのを叔父上から聞いたんだ」
「それが兎と何が関係あるの?」
「軽くてしなやかな兎の革で寝袋や上着を作ろうと思うんだ」
「は?」
あれ?ちょっと怒気をはらんでる?
「抜いた毛を洗って上着や寝袋に入れれば綿の代わりにもなるだろうし、鶏が手に入れば羽毛でダウンっぽくするんだけど」
「ちょっと!こんなにかわいいのに革を獲るっての?」
「耳をつかんでぶら下げてる人に言われたくないけど、冬の寒さ対策が必要なのはわかるでしょ?」
「そりゃね。いまも寒いし」
「牛や馬の革は丈夫で防寒性に優れているんだけど重いんだよね。一方でこの兎の革は防寒性はいまいちだけど軽いからね。それに牛や馬よりたくさん増えるから肉もとれて革もとれる。しかも屠殺しても農作業に影響がない。いい事だらけだ」
あと解剖用の手袋。流石に素手はまずい。ゴム手袋が無いから次善の策でよく伸ばした革を使って手袋にしたらどうだろう。
「ぐぅ、それでもなぁ、ちょっとやだなぁ」
雪さんがぐずぐずする。
「若様、いま雪が持っている兎を頂いても宜しいですか?」
「もちろんかまわんぞ?」
「ありがとうございます。雪、その兎を頂いて家で飼おうか」
「お父様、ほんと?」
「もちろんだ」
「わーい、お父様大好きー」
清之めっちゃニコニコやん。これじゃあ俺が悪者みたいだな。まあ良いけど。
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