第百一話 雪の峠を超えて
閉伊郡和井内館 三人称
「三戸殿が御倒れになったいま、我らはどう振る舞うべきか」
「袰綿(ほろわた)殿は如何なさるおつもりで?」
閉伊氏一族に属する和井内氏と袰綿氏が膝をつき合わせて今後の身の振り方を協議している。閉伊氏一族は概ね三戸南部に服従していたが、内情は同族内で勢力争いを繰り返している。
「うむ、それなんだが儂は遠野か久慈かどちらかに付こうかと思っている」
「久慈はともかく、遠野ですか?」
「ああ、先日このような文が届けられてな」
「袰綿殿のところにも来ておりましたか。一応中身を伺っても宜しいですか?」
差し出された手紙を受け取った和井内氏はさらっと読む。
「なるほど、閉伊郡の制圧を手伝えと。当家に来たのと同じ内容ですな。功によっては禄を増やすともありますが、あてになりますかな」
「さてな。しかし遠野はここ数年で随分と富んできたそうだ。それこそ三戸殿がほしがるくらいにはな」
「そういえば私も聞いたことあります。何でも神童とやらがいろいろ画期的なことをやって米の取れ高がかなり安定しているとか」
「そうだ。久慈の奴らに付いても今と変わりが無いが、遠野に付けば我らも民も豊かになるやも知れん」
「なるほど、なれば私も遠野に付くと致しましょう。しかし桜庭はどうなさいますか?」
「桜庭か、奴なら先日の三戸大火を受け泡を食ったように三戸に行ったぞ」
袰綿がくつくつと笑いながら答える。
「ほう、ではしばらく千徳城は空いておりますな」
「我らで落として遠野への土産にしたいが、それでも城兵百人はのこしておるようだからなぁ」
「我らだけでは良くて百人動員できるかどうか」
「やはり遠野には素直に頭を下げるしか無いようだな」
◇
閉伊郡小国館 三人称
「殿!また江繋(えつなぎ)が来ております!」
「またか。今度は何のようだ」
「食い物を寄こせと言っております」
「こちらとて、もうやれる飯はないのだがな。柵を閉じておけ。戦になるぞ。そなたは遠野に行って援軍を連れてきてくれ」
報告に来た名主の息子に手紙を持たせる。いぶかしげに手紙を見ていると、領主小国彦十郎忠直が言葉をつなぐ。
「私は殿の命でこの地に来たのは二年前だが、主家たる三戸家が無くなってしまっては、この地を守るには遠野の力を借りるほかないのだ。雪の峠道をやるのは忍びないが、皆のために頼む」
そう言うと彦十郎忠直は具足を着込み始める。名主の息子はとにかく一刻も早く援軍を呼びに雪の立丸峠(たつまるとうげ)に向かってかけて行く。
「そういえば立丸峠に山男だか雪女だかが出るとか聞いたことがあるな。神様仏様、どうかお守りくだせぇ」
暦の上では春であるがまだまだ雪の舞う山道をしばらく行くと立丸峠に到達する。周辺には特に何も無いように見える。
「なんだ何も無いじゃないか。山男とかはやはり噂でしか無かったのだな」
峠をこえると晴れ間が覗いており雪は変わらず深いが幾分か歩きやすい。気分良く峠を下りていくその背で狼煙が上っていることに気付かなかった。
しばらく行くと栃内(とちない)に到達するがここで栃内を預かる栃内兵部善兵衛が幾ばくかの兵を連れ行く手を遮る。
「そこな男、この寒い日に山から居りてきたようだが何か?」
「ひえ、あ、あっしは、お、小国の名主の息子でごぜえやす。あ、あっしらの村が襲われておりましておお、お助け頂きたく」
恐る恐る差し出した手紙を受け取った栃内館から出てきた兵部善兵衛が読み上げる。
「ふむ、なるほど。そなた名は?」
「へ、へい雪介でございます。」
「この雪の中、大義だったな。館に入れて湯を飲ませてやれ。若様に貰った炬燵も使わせろ」
こたつという耳慣れぬ単語を聞いた雪介であったが、囲炉裏にかぶせた形の炬燵に入ると顔が綻ぶ。
「おお……!あ、暖かい。これがこたつ?」
「ふふふどうだ、雪介とやら。生憎と掛けるものが筵で風が抜けるがなかなかに暖かいであろう」
「へい。し、しかしあっしなんかにこんな良い物を使わせて頂いてよいのでしょうか?」
「なあにそなたは小国殿の使いなのだからこれくらいしてもバチは当たらぬ。で、江繋はどれくらいの数で攻めて来て居るのだ?」
「おおよそ百ほどかと」
「となると江繋で動ける者、全員と言ったところか」
「そのようです。対して我らは度々襲われておりまして今動ける者が四十居るかどうかといったところでございます」
「厳しいな」
「はい。このままでは破られるのもいつとも分かりません。どうか阿曽沼様のお力をお借りしたく!」
雪介の言葉を効いた栃内が炬燵の上で文を書き始める。
「おい、この文を至急横田に持って行ってくれ」
受け取った部下は駈け足で馬を走らせていく。
「しかしそなたの領主も当家に下る故、助けを頼むとはよほどのこと……はは、随分と急いで来たようだな」
雪介は暖かさと疲れでいつしか眠りこけてしまった。
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