第八十六話 弥太郎の大槌行き 壱

水車小屋 弥太郎 


 ということで小菊と二人、大槌を目指す。稲刈りが終わったところで暇になってしまったのだ。播種機にとりかかるには田植え機と刈り取り機に水車製造で余裕が無いので後日検討となっている。


 しかし若様が要らんこと言うから普段は小うるさい小菊がえらいおとなしいじゃねぇか。


「もうすぐ峠道になるが、少し休んでから登るか?」


「いえ、大丈夫でございます」


「そうか、なら半刻休んでから登ろう」


 しかしまあ昨日の今日で気まずいっちゃあらしねぇ。こいつはこいつで随分こちらを意識してきやがる。初恋は実らないものってのが相場だが、んとにあの若様もいらんことを言ってくれる、おれは乳臭いガキじゃなくて妖艶なお姉さんが好きなんだよ!軽く休みを入れて笛吹峠を登る。この時代の人はよく歩くからわりと平気そうだな。


「もう少しで峠だ。足元気をつけろよ」


 踏み均されているとはいえところどころに木の根が出ている路は歩きやすいとは言えないな。せめてコンクリート舗装ができればな。おれは鉱山の場所は知らんから若様や左近が頼りだが、石灰焼成炉作りてぇなぁ。登り窯は科学的知識持っていなくとも経験やら勘やらでなんとかなるだろうが、遠野に戻ったら手伝いに行こう。早く完成してくれんと高炉も反射炉も平炉も転炉も、高温を扱うものは何も作れねぇからなぁ。


「ふぅ。この小屋があるってことは峠についたようだぞ、小菊」


「はい、ふぅ」


 小菊が息を切らせながら答える。


「少し待っていろ。水をもらえるか聞いてくる」


 ドンドンと小屋の戸を叩くとのっそりとおばあさんが出てくる。


「おやまあ、お客さんかい?」


 で、でけえ。これが山女か。


「あ、ああ、水を分けてもらえんかと思ってな」


「後ろの娘さんは連れかい?」


「ああそうだ」


「それなら少し上がっておいきなさい」


 提案を無碍にする訳にもいかず、小菊に声をかける。が、小菊は腰を抜かして動けないようだ。


「小菊、心配するな。ああみえてあの婆さんも若様の部下だ」


「あ、は、はい。あ、腰が」


 しょうがないので小菊を抱えあげ、小屋に入る。小菊が顔を手で覆ってやがる。


「おやまあ、仲睦まじくていいねえ」


 下ろした小菊に目をやるとすっかり赤く、どことなく満足していないような表情だ。ガキのくせに色気づいてんな。


「なるほど、これから大槌へ。んー子供の足では日が暮れちまうから泊まっていきなさいな」


「すまんな婆さん。恩に着る」


「で、若様は元気かい?」


 若様と遠野の近況を婆さんに説明する。その中で判明したことだが婆さんの名前は菫さんというらしい。随分可愛らしい名前だなと笑いながら感想をいえば壁に投げつけられた。


 しばらくして日が暮れかかると爺さんが山仕事を終えて戻ってくる。これまた婆さんを一回り大きくしたような二mをこす巨漢だ。この時代、いや前世でもこんな巨漢はめったにお目にかかれない。おかげで小菊のやつはすっかりびびっちまった。


 爺さんが獲ってきたばかりの鹿を手際よく解体し、味噌や野草を突っ込んだ鍋に入れてよく煮る。少しくさみは残っているが、麓より寒さの厳しい峠では実にあたたまる。


「さあしっかり喰ったらしっかり寝て、明日に備えなさい」


 藁じきの寝床に雑魚寝する。そういえばこの時代は夜這いだとかなんだとか貞操観念がゆるいんだったな。もちろん女に断る権利があるとかなんだとか、とりとめもないことを考えているといつしか眠ってしまった。

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