第八十七話 弥太郎の大槌行き 弐

笛吹峠 弥太郎


 翌朝、日が昇ると昨日の残りの鹿汁に粟と稗をいれた粥を婆さんが作ってくれる。乾いた体に染み入るようだ。最近は山の木をよく切るため若草が生えて猪が増えているという。餌が多ければそれだけ増えるのは自然の理だな。おかげで猪皮や鹿皮の加工品が増えて防寒には困らなくなったが、山に近い田畑は時折食い散らかされることが出てきている。若様は今度毛皮と羽毛で布団を作るとか。毛皮は重たそうだが今の硬く冷たい床で直に寝るよりは熟睡できるだろう。


「爺さん、婆さん世話になった」


「あ、ありがとうございました!」


「ほっほっほ。気をつけてな。帰りも寄るのだろう?大槌辺りの魚を買って来てくれんかな」


「その程度ならお安い御用さ」


 手を振り、峠を後にする。鵜住居川に沿って険しい山道を降りていけばその名の通り鵜住居に出る。


「これが海でございますか?」


 砂浜に出ると初めて見る海に小菊が驚いている。


「随分広い川なのですね。向こう岸が見えません」


「これは川ではないぞ。向こう岸は…ざっと二千里ほどかな」


 確かアメリカまで1万キロ弱だったろうからそんなものだろう。


「に、二千里ですか?」


「うむ。ここから京の都までのざっと十倍だ」


「真ですか?」


「若様が言うにはそうらしい。それよりあまり呆けていると大槌に着く頃には日が暮れてしまうぞ」


 とりあえず若様が言ったことにしておけば通るから便利だな。しかしそんな距離を十時間とかで飛んでいける時代は生きているうちには実現不可能だろうな。せめて数日で行けるようになればな。ハワイ旅行したいぜ。何もないだろうけど。


「阿曽沼孫四郎様の使いで参った、弥太郎と申す。城代の大槌孫八郎様に取り次ぎ願いたい」


 門番が戸惑ったように周りに聞いている。よくわからんようで城の中に駆け込んでいった。半刻ほどで門が開かれ、招き入れられる。


「弥太郎殿、すまぬな。まあ上がってくれ」


「いえいえ、こちらこそ急に押しかけて申し訳ありませぬ」


 土間で足を洗い、座敷に上がる。小菊は戸惑っていたが、促され一緒に上る。


「まずは遠路ご苦労であった。今湯を出す故しばし楽にされよ」


 相手は城代で俺たちはただの町人扱いだから、使いとはいえ座敷に通されている時点でかなり不審がられている。


「其方らは下がって良いぞ」


 人払いしていただけるのは助かる。


「さて、改めて遠路はるばるお疲れさまでした。そちらのお嬢さんはたしか弥太郎さんの助手という娘でしたかな」


「は、はい。小菊と申します」


 小菊が深々とひれ伏す。


「ははは、見ているものはおらぬのだからそんなにかしこまらなくて良い」


 其れはむちゃな要求というものだよ孫八郎さん。


「若様、いや孫四郎様は船の扱いはどうかと気になるようだな。いま色々試しているが、俺も船大工ではないからな詳しいところはわからん。とりあえず舵は南蛮船と同じような形にしてみた。小回りが効かないのが欠点ではあるが、耐候性はあがったので港の整備ができれば運用に支障はないでしょう」


「逆に言えば大型船が発着できる港の整備が肝ということですね」


「旦那様、どういうことなんですか?」


 おずおずと小菊が聞いてくる。良いぞ何でも聞いてくるのは大変良い。


「うむ、我らの船は湊や浅瀬で舵が刺さらないように引き上げられるようになっておる。このおかげで取り回しやすくなっておるのだが、嵐では舵が流されやすいのだ。また船の底に穴が空いておるので嵐だと沈みやすいのだ」


「一方で南蛮船は蝶番で舵を船に固定するので深い港が必要だが、嵐でさらわれにくく、舵が水面から遠いので水が漏れにくいのだ」


 そんな簡単なものでは無いが、そういえば舵をあやつるハンドルみたいなのはなんだっけか。


「孫八郎さん、舵を操るハンドルみたいなのはなんて言うんだい?」


「あれは舵輪と言うやつだ。舵輪が登場するのは十八世紀になってからだぞ」


 あれ使えれば舵棒が要らなくなるか。


「なあ孫八郎さん、舵ってどういう仕組なんだ?」


「んー原始的なものは今の舵棒で操舵するわけだが、ワイヤーでコードラントチラーを動かすものや、螺旋式の人力操舵機もある。巨艦を動かすには人力は無理があるから水圧だとか、コンテナ船なんかは電動油圧式の操舵装置だな……ってもしかして弥太郎さん操舵装置作る気かい?」


「今は農機具だけで手一杯だからなぁ」


 まあ面白そうだ。船はいじったこと無いから知識しらないけど。

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