第六十九話 よく熟成された堆肥はあまり臭くないです
横田城近郊 三人称です
しばらく公家衆は遠野一帯を散策し、油菜と芥子の花の美しさに酔っていた。
「ここは極楽でおじゃるか?」
「中務大丞様、まさに極楽があるとすればここでは有りませぬか」
「行き倒れも居らず、活力に溢れております」
「田畑も随分四角いのぅ」
その公家衆の目の前を随分と臭い樽を積んだ荷車が通りかかる。
「これ、そちは何を運んで居るのか?」
「これはうんこですよ。若様がうんこを集めて肥にするとかなんとかで運んでいるのです」
公家衆は確かに人糞は良い肥になるということを耳にしたこともあったので、なるほどこういう風にするのかと納得する。ある公家が肥作りを見たいというので、堆肥小屋まで匂いを我慢してついて行く。
村はずれの大きな建物に到達する。建物の前で荷車から肥樽を天秤棒に下げ、入っていく。建物の中は竪穴式で掘り下げられ、漆喰で固められた肥だめが数個ならんでいる。
「こんなにうんこがでるのかや?」
「流石にこの遠野にはそんな沢山人は居りません。馬糞なども一緒に入れております。で、このように糞尿を流し込み、そこに盛ってある土と枯れ草や糠に灰などを入れてかき混ぜるのです」
農夫が軽く櫂でかき混ぜると猛烈な匂いが立ちこめる。それにつけてまるで蒸し風呂に入っているような暑さを感じる。
「ここは随分暑いのぅ」
「最初は寒かったのですが、糞の量が増えるにつれ暑くなってきました。うまく混ぜるとこのように暑くなるようです」
天井を見上げれば何やら木の筒が走っている。
「あの木筒はなんぞ?」
「若様曰く、冷たい風を温めているのだとか。」
なぜそのようなことをしているのかは公家衆は理解できなかった。農夫に聞いてみたがわからないとしか回答が得られなかったので考えるのをやめた。
「なんや不思議なことをしとるの。しかしえらい臭いやで、そろそろ鼻が曲がりそうや」
外に出ると卯月も末なのに奥州の冷たい風が吹き抜ける。
◇
横田城 阿曽沼孫四郎
「左近、公家衆はどうしている」
「はっ、肥小屋に寄ったようです」
「肥小屋か随分と物好きだな」
まだまだ小さいが牧を作ったことで馬糞の安定供給が可能になったため、肥小屋を作った。漆喰で固めた三辺が一間(約1.8m)の堆肥槽を複数設置することで堆肥製造の効率を上げる。
桑も少し大きくなり、数も挿し木で増やしているのであと数年もしたら蚕も飼えるだろう。そうすれば蚕の糞なども使えるようになるのでさらに効率が上がるだろう。
臭いが薄くなったら堆肥を取り出して水を通し、煮出すことで硝酸カリウムが得られるわけだ。残りはそのまま肥に使えばいい。
欧州では動物の死骸も使ったようだが衛生面の問題があるので、今のところ用いないようにする。戦で死体が積み重なったら利用しようかな。
「しかし若様、公家衆をあのまま放っておいて良いのでしょうか?」
「構わんよ。飯は足りぬが同じくらい人手も足りんから呼び込んでくれた方が助かる」
「それで、葛屋よ。そなたこの地に店を出したいとな」
「はっ。商いの量も安定しておりますので、少し足場を固めていこうかと思いまして」
「そうか。それで遠野の店は誰が仕切るのだ?」
「それはこの田助にやらせてみます」
葛屋の後ろに控えていた田助がずずいと前に出てひれ伏す。
「田助にございます。若様のお噂はかねがね伺ってございます」
「ほぅ、どのような噂か?」
「まるで神の使いのようだと」
まあ無難な噂か単なるリップサービスか。
「番頭を任すには若いようだが?」
葛屋が頭を掻きながら答える。
「他のものは来たがりませんで」
まあ京から遠く離れた陸奥だからな。行商についてくることは有ってもそのまま居座るのは厳しいか。
「なればなぜそなたはここに来ようと思ったのか?」
「そこここに死体が転がり、荒れ果てた京に居続けるのが怖くなりました故」
「そんなに京は荒れておるのか?」
「それは……応仁のころの大乱が落ち着いたのちは賊共が蔓延り、日夜襲いかかってくるのです。ついには総構が再び掘られるようになりました。総構の外はまさにこの世の地獄でございますし、総構の中であっても安泰とは言えません」
聞けば上京と下京以外は危なくてとても歩けたものではなく、警護の者がいてもいつ襲ってくるかわからない、上京や下京も安全というわけではなく、葛屋も警護のものを雇っているとか。
先日もたまたま歩いていた地下人が射殺されたというし、女が歩いていれば連れ去られることもよくある。賊共がいないと思えば延暦寺などの僧兵が襲ってくるので安心して眠れる日は少ないという。
「聞けば聞くほど恐ろしいな。侍所は何をしておるのだ?」
「若様、京極治部少輔材宗様が文明十七年に頭人になられた後、出雲に下向され以降は空席になっておりますぞ」
清之が口をはさむ。なるほど警察いないのか。それでは無法地帯ではないか。
「大樹は一体何をなさっているのか」
「若様、お気持ちはわかりますがそれ以上は仰ってはなりませぬぞ」
「そうだな、そういう場でもないな。田助、そなた計算は可能だろう?」
「はぁ、まあ商家におります故、多少は」
「して葛屋、こういう物は京にあるか?」
指物師に作らせていたそろばんをだす。
「いえ初めて目にします。これは何に使うのですか?」
「これは計算に使うもので明でそろばんと呼ばれているものだそうだ。以前そなたの持ってきてくれた書にあったので作ってみたのだ」
葛屋は興味津々といった様子の一方で、田助の目が光ったように見える。やはり商人だけ有って計算が楽になるのがよいか。
「慣れれば計算が楽になるぞ」
「ふむ。田助よ、そなたこのそろばんという物を扱えるようになるのだ。よいな」
「へい、おまかせを」
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