第廿二話 左近、狐崎(釜石)に到る

阿曽沼孫四郎


 左近に大槌に探りを入れるよう指示したが、たしか遠野から釜石は仙人峠を抜けて十里あまり。軽装であれば一日で到達するという。完全武装なら甲冑に槍・刀をもって腰兵糧をつけた時の重さは雪によると、二十~三十kg程度が増えるのでもう少し時間がかかるだろう。


 ちなみに現代での行軍時の個人装備は野営装備も入って六十kg前後だとか、戦闘時で二十~三十kgほどになるとかいうのに、徒歩での行軍でだいたい 一日三十kmほどとか。レンジャーだけかもしれないけど頭おかしいな。もちろん敵地の場合は警戒しながらになるので大幅に行軍速度は低下するようだが。



遠野街道 左近


 若様から乱破をしろと言われるとはな。元々修検道やっていたからその伝手で仲間に声をかけるのは問題ないし、潜入も山伏の格好をすればすむのでたいしたことは無い。


 遠野からは早瀬川に沿って街道がはしる。足ヶ瀬までは歩きやすいが、この先が急峻な山道になる。一部崖道になっているところもある。仙人峠を越えると今度は一気に急な下り坂となる。途中水場はなく危険な行程だ。


 麓の沢で水を沸かし、炙った粟稗の入った餅を食べ足を揉む。少しほぐれたところで移動を再開する。

 冬の野宿は凍えるので甲子川沿いの街道を少し足早に進む。冬の短い日が暮れた頃にようやく狐崎に到着する。城から少し離れた薬師堂に布施を行い一晩の宿を借りる。


 明朝、日が昇る前に起床し朝の掃き清めと勤行(ごんぎょう)を行う。


「これはこれは左近殿。御精が出ますな」


「いえ、一晩の宿をお借りいたしましたのでこの程度は当然でございます」


「昨晩は遅かったゆえ、あまり話ができなんだがどちらから来られたのか?」


「此度は遠野郷より仙人峠を越えて参りました」


 稚児が湯と朝餉を持ってくる。


「ささ、大したものではありませんが、召し上がられよ」


 僅かな米に稗や粟が入った粥が出される。味付けはうっすら味噌味に塩がこれでもかってくらい入っているようでとても塩辛い。遠野の食事に比べると量も少ないので、結構辛いな。


「今年は夏が暑うなりまして、この釜石でも多少の米が得られました。おかげで今年は餓えで死ぬ者は幾分か減るのでは無いかと思います」


「それはそれは」


「ところで遠野は如何でしたか?」


 遠野もそこそこ豊作であったこと。寒さに強い雑穀を積極的に育てていること、先日麦踏み競争なる催しが行われ自分が勝ったことを説明した。


「ほほっ。麦踏み競争とな」


「ええ、なんと殿様自ら参加なさっておりました。勝ったのは某でしたが」


 微笑ましい光景でも浮かんだのだろうか、にこにこしている。


「しかしこの新しい取り組みは佐馬頭(守親)様ではなく、嫡男の孫四郎様がご提案なさっているようです」


「孫四郎様とな、確かいまは齢……」


「四つでございます」


「なんと! 童の柔軟な考え方というのは、驚かされますな」


 まったくだ。こういう我々大人が思いつきもしないような新しいことに考えが及ぶのは童だからだろうか?


※ 東北の食事はとてもしょっぱかったようだ。現代において食塩摂取量は概ね10g/日前後だが、昭和初期の東北だと30g/日を超える。これは高塩分食により末梢血管が収縮するため耐寒性が上昇するという面はあるのだろうが、調味料が味噌、醤油、塩が原則でとっても辛い。青森だとまだ名残がありしょっぱい食事を楽しめる。昆布は大阪に流れていくのであまり使われない。このため高血圧になりやすく、脳卒中や心筋梗塞がいつ起きてもおかしくない状況になり、ここに大量飲酒や喫煙なども重なり現代でも平均寿命が比較的短い地域となっている。

 もっとも高血圧や脳卒中で死ぬ前に餓えと寒さでバタバタ死んでいくのが近世までの東北なので、現代ほど問題では無かったかも知れない。

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