第3話 可憐な可憐は泣きじゃくる。



 ★ ★ ★


 一◯分後、私は可憐ちゃんを連れて、自宅へと到着した。二階建て一軒家を前にして、ピタリと、可憐ちゃんが動きを止める。


「何かいる。悪霊かな。良くない物だよ」


 可憐ちゃんは玄関ドアを目にするなり、真剣な眼差しで呟いた。


「やっぱり、そうなのね」


 私も、玄関を睨みながら呟いた。

 思った通りだった。私の現状は異常過ぎる。何かが不自然なのだ。やはり、人ならざる何かが、私の家の問題に関わっていたのだ。


 ◇◇◇


 話は半年程遡る。

 私と弟は、一歳しか齢が違わない。私は高校の二年生で、弟のようは同じ高校の一年生。私が知る葉は、明るくて、友達思いの優しい性格だった。


 その頃、私の学校では奇妙な遊びが流行していた。遊びの名は「クローカさん」という。簡単にいえば、占い遊びのようなものだ。当時、私はあまり、幽霊とか占いとかいった類のものは信じていなかったので、クローカさんに興味を示すこともなかった。だが、隣のクラスでは、クローカさんに熱中し過ぎたあまり、霊障を受けて熱を出したり、頭がおかしくなってしまう生徒が出たという話を聞いた。

 困った事に、クローカさんに一番熱中していたのは、一年生の、弟のクラスの生徒達だった。葉も誘われて、軽い気持ちでクローカさんを試してしまったらしい。

 そこで、何かが起こった。

 術式の終了時に葉のクラスメイトが何人も倒れ、大騒ぎになったのだ。もっと早く気が付いていれば良かったのだが、弟がやったクローカさんという遊びは、実は、世に言うコックリさんだったのだ。でも、気付いても後の祭りだ。


 弟が変わったのは、その時からだった。

 明るかったようは、口数がめっきり少なくなった。自宅に戻っても、毛布に包まってガタガタと震えていたり、壁に向かって独り言をいうようになってしまった。突然、叫び声を上げて暴れ出すことも珍しくなかった。いつも何かに怯えていて、水と光を極端に恐れ、学校に行くことも嫌がるようになった。それでもなんとか登校はしていたのだが、ついに、決定的な事件が起こってしまった。


 ある日の授業中、突然、葉は猛烈な叫び声を上げた。彼は隣にいた女子生徒に襲い掛かり、馬乗りになって狂人のように殴りつけたらしい。

 その事件以来、弟は完全に引き込もるようになってしまった。もう、私の知る葉は何処にもいなかった。完全に人格が変わり、訳の分からない事ばかり言うようになってしまった。異常に自尊心が高くなり、言葉遣いも少し変になった。彼を呼ぶ時は、何故だか〝御舎人様みとねりさま〟と呼ばねば怒り狂い、暴力を振るうのだ。


 私が学校で虐めや嫌がらせを受けるようになったのは、弟が起こした事件がきっかけだった。弟が殴りつけたのは、池田いけだ有子ゆうこの妹だったのである。

 有子の妹は、殴られたせいで失明しかけ、今でも、あまり視力が回復していないそうだ。そのせいで分厚いレンズの眼鏡を付けるようになった。顔にも傷が残り、自信を失って暗い性格になってしまった。


 ◇◇◇


 私は自宅玄関のドアを開け、そっと可憐ちゃんを家の中へと招き入れる。

 二階から、ドスン、ドスン、と足を踏み鳴らす音が鳴り続けていた。私の家では〝コロロ〟という名の室内犬を飼っている。コロロは二階からの音に怯え、耳と尻尾を体に張り付けるみたいにして、部屋の隅で縮こまっていた。その光景は、私にとってはもう日常なのだが、可憐ちゃんの顔には薄く恐怖が張り付いていた。


「えっと、獲り憑かれているのは、うさぎちんの弟さんだよね?」


 可憐ちゃんが小声で問う。


「う、うさぎちん?」


 私は驚きを返す。


「あ、もしかして、うさぎちんって呼ばれるの嫌だった? うさちんの方が良かったかな」

「別に嫌じゃないけど……ただ、私の名前とか、弟の事はまだ話してなかったのにって、少し驚いただけ。でも、本当に心が読めるのね」

「うん。他の人には秘密だよ?」


 可憐ちゃんは上目遣いで「シー」っと、約束を迫る。それはなんとも可愛らし過ぎて、思わず、可憐ちゃんの頭を撫でずにはいられなかった。私の手が触れると、可憐ちゃんは顔を赤くして、両手で頭を押さえた。

 私達は二階に上がり、弟の部屋の前で足を止めた。


「御舎人様。只今、帰りました。何か不足な物ございますか?」


 扉越しに、弟に声をかけてみる。


「あ、あああ。あ、油揚げえええ。油揚げがないぞお。どこか。早う出さぬかあぁ」


 ドア越しに、葉が声を張り上げる。空気が粘ついた圧迫感をはらみ、私の全身へと纏わりつく。何度言葉を交わしても、この気配には慣れない。


「では、すぐにお持ちしますから、少々お待ち下さいね」


 私はとりあえず一階へと降り、冷蔵庫から油揚げを皿に取り分けた。それを手に、再び二階へと戻る。可憐ちゃんは、息を殺して部屋の様子に耳を澄ましていた。


「お持ちしました。扉を開けますが、宜しいでしょうか?」

「かああ、構わぬ。早う、持てえ」


 許しを得た。私はドアを少し開けて、油揚げが乗った皿を差し入れる。部屋の中はカーテンが締め切られており、かなり暗い。可憐ちゃんは、ドアの隙間から弟の様子を観察していた。

 床に皿を置き、ドアを閉める。すると間もなくドア越しに、くちゃくちゃと、油揚げを貪る音が聴こえてきた。

 私は可憐ちゃんと頷き合って、そっと一階へと降りた。


「どう?」


 声を潜めて問う。


「多分、憑りついているのは人間霊だよ。油揚げとかいって低級な動物霊のふりをしているけど、私の目はごまかせないもん」


 可憐ちゃんは真剣な顔で返す。


「どうしたら良い?」

「えっと、霊を追い出すだけなら、やってやれない事はないと思う」

「じゃあ、可憐ちゃんは除霊が出来るのね」

「うん。でも、縄で縛り上げて動けないようにしないと危ないよ? 私達だけじゃ無理だと思う。大人の、男の人の助けがいる。あ、普通の人じゃ駄目だよ。悪霊憑きは悪魔憑きと同じで、もの凄い怪力を出すことがあるから。とっても強い人じゃないと無理かも」


 と、可憐ちゃんは私の返答を待つ。私は少し困ってしまった。可憐ちゃんが言うような、強い人物には心当たりがない。


「要は、弟が身動きできないようにすれば良いんだよね? 隙を突いて、後ろからフライパンで殴り倒して、その隙に私達で縛ったり出来ないかな?」

「そんなの無理だよ。マンガじゃないんだから、フライパンで頭を叩いたりしたら死んじゃう。せめて足の骨を折るぐらいにしておかないと──」


 ──ギシリ。と階段が鳴る。可憐ちゃんが言い終わる前に、背後から不気味な音がしたのだ。

 恐る恐る目をやると、階段に、目を充血させた葉の姿があった。葉は涎を垂らし、狂犬のように唸り声を上げている。


「う、うううおおうあ! あああ足をおお。折るだとおおおお! 小娘どもがあおあ。何を企んでいるうううあおぉ!」


 葉は絶叫と共に、ドカリ! と階段の壁を殴りつける。拳が深くめり込んで、壁に大穴が空いた。


「わ、わあああああ! 来た!」


 私と可憐ちゃんは悲鳴を上げ、一目散に逃げ出した。その背後から、葉が絶叫しながら追って来る。私は振り向きもせず、玄関のドアノブを掴む。

 破壊音を振り切るようにして外に飛び出すと、愛犬のコロロまでもが鳴きながら飛び出してきた。

 大慌てで、扉を閉める。

 するともう、葉は追って来なかった。多分、太陽の光を嫌ったのだろう。扉を爪で掻きむしるような音だけが、不気味に鳴り続けている。


「うう。ごわいよう……ひっく。えっぐ」


 私の傍らで、可憐ちゃんが泣いていた。


「だ、大丈夫だよ。怖かったね。でも、大丈夫。外にまでは追ってこないから。大丈夫、大丈夫だから」


 私は可憐ちゃんを抱きしめて、背中をぽんぽん撫でて落ち着かせる。そんな私も、まだ息を切らして心臓がバクバク鳴っていた。


 ★ ★ ★


 暫くして、私と可憐ちゃんは千歳烏山駅近くの喫茶店へと向かった。そこには、とても強い男の人が居るらしい。可憐ちゃんが勝手に電話をかけ、その人との待ち合わせを決めたのだが……私には、一抹の不安があった。


「ねえ。もしかして、可憐ちゃんがいう強い人って、昨日、ファミレスで逃げ回ってたガリガリの人じゃないよね?」

「え? そうだけど。ダメなの?」

「やっぱり。ダメじゃないんだけど、あの人は当てになるの? 正直、頼りなさそうというか、強そうには見えなかったんだけど」


 私が言うと、可憐ちゃんは少し、ムッとした表情を浮かべる。


「ボクサツ君はとっても強いんだから! 私の空手だって、ボクサツ君から習ってるんだよ。ボクサツ君は頭も良いんだから」


 可憐ちゃんはそう言って、ビシッと、正拳突きを繰り出して見せる。一応、様になっている風だけど、それはボクサツ君の指導の賜物というよりも、あくまでも可憐ちゃんの運動能力が優れているからだ、という気がしてならない。

 私の不安をよそに、可憐ちゃんは軽やかに駆けてゆく。ポニーテールに結んだ黒髪が、犬の尻尾みたいにぴょこぴょこ揺れて可愛らしい。

 私も渋々、可憐ちゃんを追って駆け出した。



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