第2話 天津うさぎは手を伸ばす。
★ ★ ★
翌朝、学校に行くと、私の靴箱に生ごみが詰め込まれていた。
教室では、私を待ち構えていたクラスメイト達が、クスクスとほくそ笑み、耳打ちし合っている。
目を合わせずに席に着く。すると、隣の席の
「ねえ。このダンジョンの隠しアイテムって何処にあるの?」
彼は、手にした携帯ゲーム機の画面を私に見せる。その顔には爽やかな、屈託のない微笑があった。
「ば、馬鹿。皆が見てる所で話しかけたら、変な誤解されちゃうわよ」
私は、焦って教室の隅に目をやった。
数人の女子生徒が、私に鋭い目線を送っている。
「なんで?」
清道君は周囲の視線を気にも留めず、あっけらかんと言う。
この、
そんな彼と、嫌われ者の私が仲良く話している。クラスの女子生徒が快く思う筈がないのだ。
「いいから教えてよ。このゲーム、クリアーした事あるんでしょう?」
私は清道君の人懐っこさに負け、こそこそとアドバイスをしてやる。すると清道君は嬉しそうに話を続け、屈託のない笑顔を私に投げかけるのである。
★ ★ ★
午前中最後の授業は体育だった。
私は体調が優れずに見学していたのだが、今日はやけに見学の生徒が多い。見学しているのは全員女子生徒だった。愚かにも、私はその理由に気が付かなかった。
私がトイレに立った時、他の女子生徒達が一斉に腰を上げた。
★ ★ ★
「ねえ、うさぎ。あんた、一二三君と何か話してたわよね」
私はトイレで壁際に追い詰められ、女子生徒達に囲まれていた。
私を問い詰めているのは、同じクラスの
「何か言いなさいよ!」
有子が声を張り上げる。私は驚いて何も言えなくなってしまった。
「あんた、最近調子に乗り過ぎよね。その髪型だって、何?
有子は目を血走らせて怒鳴りつける。
ちなみに、彼女が口にした
有子はおもむろにハサミを取り出した。その刃が私の首に触れ、頬へと伝う。冷たい感触に、思わず背筋が寒くなる。
「もっと、可愛くしてあげる」
有子は私の耳元で囁いて、薄笑いを浮かべる。
私は、ぎゅっと目を閉じた。
★
数分後、私はトイレに流される自分の髪の毛を、呆然と見つめていた。
「あはは。可愛い。似合ってるよ」
嘲笑いながら、池田有子とその取り巻きはトイレを後にした。私は一人になると、恐る恐る鏡を覗き込んだ。肩まであった私の髪の毛は、バッサリと切り落とされていた。まるでヘルメットのような、滑稽な髪形に変わっている。こんな髪型じゃ、もう、教室に戻れない。
鏡に映る私の目から、悔し涙が溢れ出した。
★ ★ ★
昼休みになった。
私は一人で体育館裏へ行き、売店で買ったパンを齧った。今日はもう誰とも顔を合わせたくなかった。
「あれ? 珍しいね。こんな所に来るなんて」
ふいに、背後から声がかかる。
私は思わず目を逸らし、背を向ける。
「もしかして、吾輩、嫌われてる?」
「そ、そういう訳じゃないんだけど」
清道君は、そっと私の隣に腰を下ろす。
「あ。そのパン。お揃いだね」
清道君が嬉しそうに言う。
見ると、私達は共に焼きそばパンを食していた。もう、誤魔化せそうにない。私は仕方なく顔を上げ、清道君を見つめる。清道君の顔に驚きが浮かんだ。
「その髪、どうしたの?」
「あ……それは、その。切ってもらったの。イメチェンだよ。可愛いでしょ?」
と、無理やり笑顔を作って見せる。
「本当に?」
清道君は、じっと私の目を覗き込む。まるで、私を見透かすような視線だった。思わず、私の背に冷や汗が浮かぶ。
「そう。天津さんが気に入ってるのなら良いんだけど……でも、もしも何か困っている事があるなら、誰かに話すべきだよ。吾輩でも、頼ってくれるなら話ぐらいは聞くし」
「うん。ありがとね、
「お礼なんて。でも、何かをしなければ何も変わらないと思うから、もし、天津さんが何かを変えようと思うなら、その時はちゃんと話してよね」
温かい言葉だった。思わず涙が込み上げそうになる。けど、私はぐっと堪えて笑顔を作った。
「ありがとう。でも、本当に大丈夫だから。気にしないで」
言い残し、私は彼の許から逃げ出してしまった。これ以上は涙を隠せない。清道君だけは、私の不幸に巻き込んじゃいけない。それだけを考えていた。
★ ★ ★
私は、体調不良を理由に学校を早退した。
家路を行く足取りは重かった。多分、母がこの髪形を見たら私を問い詰めるだろう。でも、その母も、今朝から入院している。弟のせいで怪我をしたのだ。
私は公園のブランコに腰掛けて、小さく溜息を吐く。
『誰かに話すべきだよ』
脳裏に、清道君の言葉が木霊した。でも、清道君に話す訳にはいかない。だとしたら誰に話せば良い?
自問した脳裏に浮かんだのは、昨日出会った不思議な少女の姿だった。名は、確か
でも……。
葛藤は、私をブランコに縛り付ける要素足りえなかった。
私は腰を上げ、歩き出した。
★ ★ ★
世田谷区の大日本中学校。そこは私の自宅から近く、通っている高校からも一駅しか離れていない。私は中学校の校門前で、終了のチャイムが鳴るのを待っていた。
勿論、この中学校を訪れたのには理由がある。先日出会った可憐ちゃんは、この中学校のセーラー服を身に着けていたのだ。
やっと、チャイムの音がした。それから一◯分程で、授業を終えた中学生達が校門から溢れ出す。私は目を凝らし、可憐ちゃんの姿を探す。すると大勢の中学生の中、ひと際可愛らしい女の子が、ぶつぶつ独り言をいいながら校門から出てきた。
可憐ちゃんだ!
私は彼女に駆け寄って、目の前に立ちふさがった。
突然の事に、可憐ちゃんは驚いて誰かの陰に隠れ、そこからこちらを覗き見るかのような仕草をした。だが……誰かとはいっても、彼女の前には誰も居ない。誰、否、何の陰に隠れたのだろう?
可憐ちゃんは、ちょっぴり不安そうな表情を浮かべていたが、やがて、パッと表情が明るくなった。私を思い出してくれたのだろう。
「あ、あの……私」
「うん。昨日、レストランに居た人だよね? 生きててよかった」
と、可憐ちゃんは可愛らしい笑顔を浮かべる。そして傍らに目をやって、
「ごめん。今日は用事が出来ちゃった。また、明日遊ぼうね」
と、何かに小さく手を振って私の許へと駆けてきた。可憐ちゃんが声をかけた場所には、やはり誰も居ない。
私はちょっとだけ、背筋が寒くなった。
★
数分後、私と可憐ちゃんは、神社の石段に腰を下ろしてソフトクリームを食していた。甘い物で年下の少女を釣るあたり、まるで誘拐犯の手口のようだと、私は頭を抱えている。
「あ、あの。さっきは誰とお話をしていたの?」
素朴な疑問を投げかけてみる。
「え? あの子は、お友達のななみちんだよ。先週、お友達になってくれたの。ななみちんったら、いつも図書室で同じ本ばかり読んでるんだよお。可笑しいでしょ」
なんて、可憐ちゃんは屈託のない笑顔を浮かべる。
やはりそうか。
私には『ななみちゃん』とやらの姿は見えなかった。多分、幽霊なのだろう。だとしたら、可憐ちゃんは、ななみちゃんが幽霊だと気付かずに接していることになる。どれだけはっきり幽霊を見ているのか、それだけで見当がつく。やはり、可憐ちゃんならば私の問題を解決出来るかもしれない。
しかし、ななみちゃんについては問い質す気にはなれなかった。だって怖いから。
「そ、そう。お友達は他にもいるの?」
「ううん。私は先月引っ越して来たばかりだし。クラスの皆は、私の事を怖がってるみたいで、その……」
可憐ちゃんは肩を落とし、しょんぼり下を向く。
話を聞くと、可憐ちゃんには、ここ三か月よりも前の記憶が無いのだそうだ。
言葉や一般常識は覚えているのだが、両親の名前や、何処で生まれ育ったかについてはまるで覚えていない。自分の誕生日すらも分からないのだという。彼女の名前は、
「私は自分のこと、何も知らないんだ。お医者さんは、外傷性記憶健忘っていってた」
「外傷性、何?」
「だから、記憶喪失なんだって。私が前の学校でどうしていたのか、そこにお友達がいたのかも思い出せないの」
「そう。それは寂しいわね」
「ううん。平気だよ。だって、私にはボクサツ君がいるもん」
と、可憐ちゃんは、残ったソフトクリームを頬張って立ち上がる。
「じゃあ、行こう」
「行くって、何処に?」
思わず、間抜けな質問をしてしまう。
「私、人の心が読めるの。だから事情は大体解ってるよ。『助けて』って、ずっと聞こえてたから。私にどうにか出来るかは分からないけど、頑張ってみたいの」
可憐ちゃんはそう言って、軽やかに歩き出す。私も慌てて腰を上げる。直後、ふいに可憐ちゃんが足を止め、くるりと振り向いた。
「どうしたの?」
「お姉ちゃん、もう、死なない?」
「え。あ、うん……。もう死なないよ」
「本当? 本当の本当に、死なない?」
「うん。ほ、本当に」
「もう、二度とあんなことしないでね。約束してね。絶対だよ?」
可憐ちゃんの眼に、何故だか、薄く涙が浮かぶ。
「うん。約束する。でも、どうしてそんなに私のことに
「だって、私には記憶がないから。私が知ってる人は、片手で数えられるぐらいなんだ。その誰かが死んじゃうなんて、やだもん」
可憐ちゃんの淋しそうな、それでいて無垢な視線が突き刺さる。私の深い処から、キリキリする何かが込み上げる。
私は駆け出して、ぎゅっと、可憐ちゃんを抱きしめた。
「ごめん。ごめんね。約束する……」
繰り返す私の目から、真珠ぐらいの水滴が落ちる。それはアスファルトにぶつかって砕け、染み込んでいった。
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