第2話 天津うさぎは手を伸ばす。



 ★ ★ ★


 翌朝、学校に行くと、私の靴箱に生ごみが詰め込まれていた。

 教室では、私を待ち構えていたクラスメイト達が、クスクスとほくそ笑み、耳打ちし合っている。

 目を合わせずに席に着く。すると、隣の席の一二三ひふみ清道きよみち君が私の肩に触れた。


「ねえ。このダンジョンの隠しアイテムって何処にあるの?」


 彼は、手にした携帯ゲーム機の画面を私に見せる。その顔には爽やかな、屈託のない微笑があった。


「ば、馬鹿。皆が見てる所で話しかけたら、変な誤解されちゃうわよ」


 私は、焦って教室の隅に目をやった。

 数人の女子生徒が、私に鋭い目線を送っている。


「なんで?」


 清道君は周囲の視線を気にも留めず、あっけらかんと言う。

 この、一二三ひふみ清道きよみち君は、クラスのどのグループにも属していない。スクールカースト的にどの階級に属しているのか判断し難い生徒である。彼は誰かを見下したりせず、どの生徒とでも気さくに話をし、誰からも一目置かれている。運動は不得手だが頭が良く、成績優秀で人当たりも良い。優しい顔立ちの典型的な美男子だ。去年、あるゲームの全国大会で優勝した経験があるらしい。

 そんな彼と、嫌われ者の私が仲良く話している。クラスの女子生徒が快く思う筈がないのだ。


「いいから教えてよ。このゲーム、クリアーした事あるんでしょう?」


 私は清道君の人懐っこさに負け、こそこそとアドバイスをしてやる。すると清道君は嬉しそうに話を続け、屈託のない笑顔を私に投げかけるのである。


 ★ ★ ★


 午前中最後の授業は体育だった。

 私は体調が優れずに見学していたのだが、今日はやけに見学の生徒が多い。見学しているのは全員女子生徒だった。愚かにも、私はその理由に気が付かなかった。

 私がトイレに立った時、他の女子生徒達が一斉に腰を上げた。


 ★ ★ ★


「ねえ、うさぎ。あんた、一二三君と何か話してたわよね」


 私はトイレで壁際に追い詰められ、女子生徒達に囲まれていた。

 私を問い詰めているのは、同じクラスの池田いけだ有子ゆうこだった。彼女は清道君に片思いをしている。だが、あまり相手にされていない。


「何か言いなさいよ!」


 有子が声を張り上げる。私は驚いて何も言えなくなってしまった。


「あんた、最近調子に乗り過ぎよね。その髪型だって、何? あんずちゃんの真似でもしてるつもり?」


 有子は目を血走らせて怒鳴りつける。

 ちなみに、彼女が口にしたあんずちゃんとは、最近人気急上昇中のアイドルの名前である。

 有子はおもむろにハサミを取り出した。その刃が私の首に触れ、頬へと伝う。冷たい感触に、思わず背筋が寒くなる。


「もっと、可愛くしてあげる」


 有子は私の耳元で囁いて、薄笑いを浮かべる。

 私は、ぎゅっと目を閉じた。


 ★


 数分後、私はトイレに流される自分の髪の毛を、呆然と見つめていた。


「あはは。可愛い。似合ってるよ」


 嘲笑いながら、池田有子とその取り巻きはトイレを後にした。私は一人になると、恐る恐る鏡を覗き込んだ。肩まであった私の髪の毛は、バッサリと切り落とされていた。まるでヘルメットのような、滑稽な髪形に変わっている。こんな髪型じゃ、もう、教室に戻れない。

 鏡に映る私の目から、悔し涙が溢れ出した。


 ★ ★ ★


 昼休みになった。

 私は一人で体育館裏へ行き、売店で買ったパンを齧った。今日はもう誰とも顔を合わせたくなかった。


「あれ? 珍しいね。こんな所に来るなんて」


 ふいに、背後から声がかかる。

 清道きよみち君だった。

 私は思わず目を逸らし、背を向ける。


「もしかして、吾輩、嫌われてる?」

「そ、そういう訳じゃないんだけど」


 清道君は、そっと私の隣に腰を下ろす。


「あ。そのパン。お揃いだね」


 清道君が嬉しそうに言う。

 見ると、私達は共に焼きそばパンを食していた。もう、誤魔化せそうにない。私は仕方なく顔を上げ、清道君を見つめる。清道君の顔に驚きが浮かんだ。


「その髪、どうしたの?」

「あ……それは、その。切ってもらったの。イメチェンだよ。可愛いでしょ?」


 と、無理やり笑顔を作って見せる。


「本当に?」


 清道君は、じっと私の目を覗き込む。まるで、私を見透かすような視線だった。思わず、私の背に冷や汗が浮かぶ。


「そう。天津さんが気に入ってるのなら良いんだけど……でも、もしも何か困っている事があるなら、誰かに話すべきだよ。吾輩でも、頼ってくれるなら話ぐらいは聞くし」

「うん。ありがとね、一二三ひふみ君」

「お礼なんて。でも、何かをしなければ何も変わらないと思うから、もし、天津さんが何かを変えようと思うなら、その時はちゃんと話してよね」


 温かい言葉だった。思わず涙が込み上げそうになる。けど、私はぐっと堪えて笑顔を作った。


「ありがとう。でも、本当に大丈夫だから。気にしないで」


 言い残し、私は彼の許から逃げ出してしまった。これ以上は涙を隠せない。清道君だけは、私の不幸に巻き込んじゃいけない。それだけを考えていた。


 ★ ★ ★


 私は、体調不良を理由に学校を早退した。

 家路を行く足取りは重かった。多分、母がこの髪形を見たら私を問い詰めるだろう。でも、その母も、今朝から入院している。弟のせいで怪我をしたのだ。

 私は公園のブランコに腰掛けて、小さく溜息を吐く。


『誰かに話すべきだよ』


 脳裏に、清道君の言葉が木霊した。でも、清道君に話す訳にはいかない。だとしたら誰に話せば良い?

 自問した脳裏に浮かんだのは、昨日出会った不思議な少女の姿だった。名は、確か可憐かれんちゃんといったっけ。もしかしたら、あのなら、私が抱えている理不尽な現状を打破する鍵になるかもしれない。

 でも……。

 葛藤は、私をブランコに縛り付ける要素足りえなかった。清道きよみち君は、『何かをしなければ、何も変わらない』と言った。多分それは、本当のことなのだろう。

 私は腰を上げ、歩き出した。


 ★ ★ ★


 世田谷区の大日本中学校。そこは私の自宅から近く、通っている高校からも一駅しか離れていない。私は中学校の校門前で、終了のチャイムが鳴るのを待っていた。

 勿論、この中学校を訪れたのには理由がある。先日出会った可憐ちゃんは、この中学校のセーラー服を身に着けていたのだ。

 やっと、チャイムの音がした。それから一◯分程で、授業を終えた中学生達が校門から溢れ出す。私は目を凝らし、可憐ちゃんの姿を探す。すると大勢の中学生の中、ひと際可愛らしい女の子が、ぶつぶつ独り言をいいながら校門から出てきた。

 可憐ちゃんだ!

 私は彼女に駆け寄って、目の前に立ちふさがった。

 突然の事に、可憐ちゃんは驚いて誰かの陰に隠れ、そこからこちらを覗き見るかのような仕草をした。だが……誰かとはいっても、彼女の前には誰も居ない。誰、否、の陰に隠れたのだろう?

 可憐ちゃんは、ちょっぴり不安そうな表情を浮かべていたが、やがて、パッと表情が明るくなった。私を思い出してくれたのだろう。


「あ、あの……私」

「うん。昨日、レストランに居た人だよね? 生きててよかった」


 と、可憐ちゃんは可愛らしい笑顔を浮かべる。そして傍らに目をやって、


「ごめん。今日は用事が出来ちゃった。また、明日遊ぼうね」


 と、に小さく手を振って私の許へと駆けてきた。可憐ちゃんが声をかけた場所には、やはり誰も居ない。

 私はちょっとだけ、背筋が寒くなった。


 ★


 数分後、私と可憐ちゃんは、神社の石段に腰を下ろしてソフトクリームを食していた。甘い物で年下の少女を釣るあたり、まるで誘拐犯の手口のようだと、私は頭を抱えている。


「あ、あの。さっきは誰とお話をしていたの?」


 素朴な疑問を投げかけてみる。


「え? あの子は、お友達のななみちんだよ。先週、お友達になってくれたの。ななみちんったら、いつも図書室で同じ本ばかり読んでるんだよお。可笑しいでしょ」


 なんて、可憐ちゃんは屈託のない笑顔を浮かべる。

 やはりそうか。

 私には『ななみちゃん』とやらの姿は見えなかった。多分、幽霊なのだろう。だとしたら、可憐ちゃんは、ななみちゃんが幽霊だと気付かずに接していることになる。どれだけはっきり幽霊を見ているのか、それだけで見当がつく。やはり、可憐ちゃんならば私の問題を解決出来るかもしれない。

 しかし、ななみちゃんについては問い質す気にはなれなかった。だって怖いから。


「そ、そう。お友達は他にもいるの?」

「ううん。私は先月引っ越して来たばかりだし。クラスの皆は、私の事を怖がってるみたいで、その……」


 可憐ちゃんは肩を落とし、しょんぼり下を向く。

 話を聞くと、可憐ちゃんには、ここ三か月よりも前の記憶が無いのだそうだ。

 言葉や一般常識は覚えているのだが、両親の名前や、何処で生まれ育ったかについてはまるで覚えていない。自分の誕生日すらも分からないのだという。彼女の名前は、桑本くわもと可憐かれんというらしい。


「私は自分のこと、何も知らないんだ。お医者さんは、外傷性記憶健忘っていってた」

「外傷性、何?」

「だから、記憶喪失なんだって。私が前の学校でどうしていたのか、そこにお友達がいたのかも思い出せないの」

「そう。それは寂しいわね」

「ううん。平気だよ。だって、私にはボクサツ君がいるもん」


 と、可憐ちゃんは、残ったソフトクリームを頬張って立ち上がる。


「じゃあ、行こう」

「行くって、何処に?」


 思わず、間抜けな質問をしてしまう。


「私、人の心が読めるの。だから事情は大体解ってるよ。『助けて』って、ずっと聞こえてたから。私にどうにか出来るかは分からないけど、頑張ってみたいの」


 可憐ちゃんはそう言って、軽やかに歩き出す。私も慌てて腰を上げる。直後、ふいに可憐ちゃんが足を止め、くるりと振り向いた。


「どうしたの?」

「お姉ちゃん、もう、死なない?」

「え。あ、うん……。もう死なないよ」

「本当? 本当の本当に、死なない?」

「うん。ほ、本当に」

「もう、二度とあんなことしないでね。約束してね。絶対だよ?」


 可憐ちゃんの眼に、何故だか、薄く涙が浮かぶ。


「うん。約束する。でも、どうしてそんなに私のことにこだわるの?」

「だって、私には記憶がないから。私が知ってる人は、片手で数えられるぐらいなんだ。その誰かが死んじゃうなんて、やだもん」


 可憐ちゃんの淋しそうな、それでいて無垢な視線が突き刺さる。私の深い処から、キリキリする何かが込み上げる。

 私は駆け出して、ぎゅっと、可憐ちゃんを抱きしめた。


「ごめん。ごめんね。約束する……」


 繰り返す私の目から、真珠ぐらいの水滴が落ちる。それはアスファルトにぶつかって砕け、染み込んでいった。



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