可憐な可憐に殴られる!
真田宗治
可憐な可憐に殴られる! シーズンⅠ 可憐な可憐は登場する!
第1話 可憐な可憐は二度叫ぶ!
これで、なにもかも終わり。
携帯端末の画面に表示されたアイコンを、ひとつひとつ消してゆく。アプリケーションも全て消した。写真も、動画情報も。もうなんの意味もないから。最後に残ったのは、管理画面の私の名前だけだ。
天津うさぎ──。
中秋の名月に生まれたから、両親はそう名付けたらしい。管理画面も消去できれば良いのにな。なんて、ぼんやり考える。たった一七年の人生だったけど、もう沢山だ。これで良いのだ。
ふと目を落とす。手が、震えていた。
弱虫。
内心、自分を叱りつけて顔を上げる。目の前には陰鬱な顔をした人達が、ずらっと肩を並べていた。
間もなく、青白い顔をした女が紙袋を手に私の元へとやって来る。私は袋の中に財布と携帯端末を放り込んだ。袋は後で燃やされるらしい。これでもう、私は何者でもない。
私は、今日、人生を終える。
このつぶれたファミリーレストランを訪れた理由は、自殺サイトで知り合った七人の人々と共に、練炭自殺をする為だった。
「では、始めましょうか」
主催者が、
「皆、言い残すことはないですね」
再び、主催者が問う。見たところ、彼は身なりの良い成人男性である。年齢は三○歳といったところだろうか。背が高くスマートで、爽やかな外見をしている。女性受けもよさそうだ。そんな彼が、どんな理由で死を選び、皆に呼び掛けたのかは分からない。そんな事はどうでもよかった。ここに居る全員がそうだろう。年齢も体型もちぐはぐな私達に共通しているのは、今日、同じ場所で死ぬ、ということだけだ。だが、それだけ分かっていれば充分だ。
誰も口を開かなかった。それを確認して、主催者は練炭に火をつけた。
とても静かだった。
煉炭から、薄い煙の筋が伸びてゆく。それは薄められ、一酸化炭素を部屋中に拡散する。あと数分で、私達は気を失うだろう。そして二度と目覚めることはない。これで全てを終わりにできる。それなのに、どうしてだか手の震えが止まらない。怖くなんかない筈なのに。今更、込み上げるこの気持ちは何なのだろう。
淋しさ。否、郷愁か。
乾いた気持ちを押し込めて、静かに目を閉じる。
その時だった。
突然、ガシャン! と何かが割れる音が響き渡る。
私はビクリと身体を震わせて、目を開ける。大窓が割れ、ガラスが床に散乱していた。外からコンクリートブロックを投げ入れられたらしい。
「はい、ちょっとお邪魔しますね」
穏やかな声がする。その男は、割れ窓の外から、軽やかにレストランへと侵入して来た。彼は真っ直ぐテーブルへと歩み寄り、手にしたペットボトルの液体を練炭に振りかけて、消火した。
「な、なにをするんだ!」
主催者の男が声を上げる。
「いや、たまたま近くを通りかかっただけで悪いとは思ったんだけど、
謎の男が、頭をぽりぽり掻きながら答える。なんというか、少し不健康そうな優男だった。やや猫背気味で、目元には薄い隈がある。よれよれのカッターシャツは身体に張り付くようにタイトで、華奢な体型を際立たせている。首元には綺麗なループタイが光っていた。その藍色は、白いシャツによく合っている。顔立ちは中性的で、一見すると女性のようにも見える。だが、声は男性の物だった。
パキリと、ガラスを踏み割る音がした。
そちらに目をやると、男の背後から、セーラー服姿の女の子が現れた。女の子は窓を乗り越え、店内へと飛び降りる。年齢は一三歳ぐらいだろうか? 小柄で、とても可愛らしい女の子だった。
「じゃ……邪魔するなよ!」
自殺志願者の一人が怒りを口にする。
「そうだ、そうだ。余計な事するな。何も知らないくせに!」
自殺志願者が口々に、罵声を浴びせはじめる。
「だ、駄目だよ! 死んだら絶対にダメ。こんな死に方したら、地獄に落ちるか地縛霊になっちゃう!」
セーラー服の女の子が、声を張り上げる。
少女は日没間際の光を纏い、背後には、割れ残った窓硝子が、まるで天使の翼のように添えられていた。黒髪のポニーテールがさらりと風に靡き、薄くシャンプーの香りが漂ってくる。ぱっちりとした優し気な瞳と、少し気が弱そうな物腰。それでいて眼差しは真っすぐで穢れを知らない。私は思わず、目を逸らしてしまいたい衝動に駆られた。
「
猫背の男が少女に声をかける。
可憐と呼ばれたセーラー服の女の子は、周囲を見回してから、キュっと目を閉じた。そして数秒の後、そのあどけない目を開ける。
「あの人だよ」
困惑していると、猫背の男がパチリと両手を鳴らす。
「はい。じゃあ、説明しまあす」
一同が、猫背の男に注目する。
「ええと、皆さんは騙されています。騙しているのは、そこにいる主催者? の人です。はい。じゃあ、解散」
猫背男が言う。私には、彼が何を言ってるのか分からなかった。すると、今度は別の、自殺志願者の女性が立ち上がる。
「いきなり来て、ふざけた事いってるんじゃないわよ! 一体、あんた達はなんなのよ!」
女性は剣幕を露わに言うが、猫背男は涼しい顔で
「だって本当のことだし。多分、ここに居る人は皆、その主催者の人からこう言われたんでしょう。『一緒に天国に旅立ちましょう。大丈夫。皆一緒だから寂しくないし、苦しまないように楽にしてあげるから』。みたいな?」
「そ、そうよ。それの何が悪いの?」
「それ、嘘だからね。その主催者? の人は死ぬつもりなんか更々ないよ。彼は自殺志願者を集めて大量自殺させて、その金品財産を丸ごと奪う犯行を繰り返している、こすっからい強盗サイコパス野郎だからね」
と、猫背男が指を挿す。一同の視線が主催者の男に集まった。
「嘘だ。な、何を証拠にそんな事を──」
主催者が言い終わる前に、猫背男は主催者へと歩み出す。そして、素早く主催者の足元にあったリュックサックをひっ掴み、そこから酸素ボンベ付きのガスマスクを取り出した。
「はい、証拠」
「なっ! なんでわかっ──」
「──いい趣味してるよね。皆が苦しんで死んでいくのを嘲笑いながら眺めるのが大好きで、金も入る。趣味と実益を兼ねたアルバイトか。でもね、
猫背男が証明を終了し、薄ら笑いを浮かべる。その瞳には冷徹な、軽蔑の色が浮かんでいた。
「……最低。信じられない」
と、私はやっと状況を理解して、主催者を睨みつける。
「ち、違うんだ! 皆、聞いてくれ。私は……私は!」
取り繕う主催者に、自殺志願者達の罵声が一斉に浴びせられる。『クズ』だの『詐欺師』だの『サイコ野郎』だの。
「くそ、台無しじゃないか。くそおおお!」
追い詰められた主催者は、椅子の陰から異様に大きな鉈を取り出した。鉈には薄く、血痕のような物がこびり付いている。一体、何の血だ。
主催者は、うおおっ! と、怒声を上げながら、猫背男へと襲い掛かった。
空気を切り裂く音がして、大鉈が振り抜かれる。
「ちょ、たんまっ、ひい!」
と、猫背男は、まるでオカマみたいな仕草で身をかわし、後ずさる。それを主催者は追いかけて、怒りの形相で大鉈を振り回す。猫背男は、ひい、ひい、と逃げ惑い、ついには壁際まで追い詰められてしまった。
「ボクサツ君!」
可憐ちゃんが叫ぶ。ボクサツ君……とは、たぶん猫背男の愛称なのだろう。やたら物騒なニックネームではある。ボクサツされそうになっているのは、彼自身だが。
「殺す、殺す! 主義に反するが、お前だけは、この手で殺してやるよ!」
主催者が怒声を発し、袈裟斬りに、ボクサツ君目掛けて大鉈を振り抜いた。
「やめ、うわあ!」
ボクサツ君は、つんのめるようにしてギリギリ鉈を潜る。そのまま足がもつれ、主催者に体当たりを食らわすみたいな格好となった。二人は転び、ボクサツ君は這うようにして逃げ出す。主催者はすぐに立ち上がり、ボクサツ君を追う。ボクサツ君は、今度は藁をも掴むといった感じで椅子の背に手を伸ばした。が、椅子が倒れ、ボクサツ君ごと転がる。
ずし。と鈍い音がした。
転げた椅子の足が、カウンター気味に主催者の鳩尾に突き刺さったのだ。主催者が、苦悶の声を上げて
「必殺っ、超加速ボクサツゥ!」
突然、可憐ちゃんが駆け出して、主催者にストレートパンチを繰り出した。
無謀だ。いくら
と、思いかけたのだが、主催者の男はパンチを顔面に受けるなり、フィギュアスケートの選手みたいに一回転して倒れ伏した。もう、主催者はピクリとも動かなかった。白目まで剥いて完全に気絶している。
何故?
疑問と共に可憐ちゃんに視線を移す。すると可憐ちゃんの手には、銀色の頑丈そうなメリケンサックが装着されていた。
「……必殺、超加速ボクサツぅ!」
何故か再び、可憐ちゃんが叫ぶ。彼女はビシッと決めポーズを作り、ふっ。とニヒルに微笑んだ。そこにいる全員の顔に困惑が浮かぶ。
「二回も叫ばなくていいからね」
ボクサツ君が可憐ちゃんを窘めて、そっとと頭を撫でた。
★ ★ ★
廃レストランには、間もなく警察官が駆け付けた。主催者は逮捕され、パトカーへと押し込まれた。自殺の会はうやむやとなり、お開きとなった。私もなんだか馬鹿馬鹿しくなって、今日は死ぬのをやめることにした。
「じゃあ、皆さんお元気で。自殺したら地獄行きは確定みたいだから、くれぐれも早まった真似をしないようにね」
ボクサツ君は言い残し、可憐ちゃんを連れて潰れたファミリーレストランを後にする。
「ま、待って!」
私はレストランを飛び出して、二人に声をかけた。二人は振り向いて、やや怪訝な表情を浮かべる。
「どうして、わかったの?」
「わかったって、何が?」
ボクサツ君は惚けて頭をポリポリやる。
「だって、そうでしょ。私達が死のうとしていることだって、主催者の企みや正体だって、レストランの前を通りかかっただけじゃ分からない。シャーロック・ホームズだってそんな推理出来ないわよ。何をどうしたら、あんな風に出来るの?」
疑問をぶちまける。すると二人は顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。
「可憐ちゃんはね、霊能力者なんだ。人の心が読めて幽霊だって見える。今回は、可憐の霊能力が役に立ったのさ。って言ったら……信じる?」
「霊能力者?」
「あ。誰にも言わないでね?」
と、ボクサツ君は微笑みを残して歩き出す。可憐ちゃんも私に小さく手を振って、ボクサツ君の後を追いかけてゆく。沈み行く夕日に、二人の後ろ姿が溶け込んでゆく。私は逆光に目を細めながら、いつまでも見送っていた。
★ ★ ★
夜、私は自宅へと戻った。疲れ切っていて、家族にただいまも言わなかった。
二階の自室に入り、机の上に学生鞄の中身をぶちまける。学生鞄の中から出て来る物は、当然、教科書やノートの類である。だが、それらには『死ね』とか『消えろ』とか『学校に来るな』とか、そういった文言が書きなぐられていた。いくつかの頁は破り捨てられている。
私がやった訳じゃない。
私は何度も溜息を吐きながら、セロテープで教科書を補修する。次に、ノートも開く。ノートには、私の物ではない筆跡の文字で、こう書かれていた。
『ゴキブリ女』
私は消しゴムで悪口を消して、数学の宿題に手を付けた。
突然、どおん! と壁が鳴った。続けて、母の叫び声がする。隣の、弟の部屋からだった。
弟は、もう半年も部屋に引き籠っている。それだけならまだ良いのだが、毎日こうして暴れている。父も母も、恐れて何も言えずにいる。両親は、まるで腫物を扱うように弟に接しているが、弟は、ほんの些細な事で機嫌を損ね、家族に暴力を振るうのだ。たまに、自分自身をも傷つけてしまう事がある。今日も、何か気に食わない事があったのだろう。
「
母の懇願が空しく響く。ガラスのコップが壁に叩きつけられ、割れる音がする。そして、常軌を逸した弟の怒鳴り声。怒鳴り散らし過ぎていて、何を言っているかも聞き取れない。
私は耳を塞ぎ、頭を抱えた。
先刻、ボクサツ君は言った。
『自殺をしたら地獄行きが確定する』。と。
でも、私は充分に地獄を生きている。あの人がいう地獄とこの地獄、どちらがマシなのだろう? 私は死を経験した事がないから、或いは、本物の地獄を甘くみているだけなのかもしれない。だけど、ここから逃げ出せるのなら、それが何処でも構わない。そう思って然るべき状況に自分が居る事を、私は自覚している。
「……どうしろっていうのよ」
私は机に突っ伏して、声を殺して泣いた。
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