第43話 金脇宮子の幕引き

 尻ドラム部のゲリラライブが行われたのは、私が軽音楽部でその話を聞いてしまってから一ヶ月ほど経った日だった。


 軽音楽部と尻ドラム部が昇降口で何かやっているという話をクラスメイトから聞いて、私はすぐにそこへ向かった。


 彼らはセッティングの最中だった。

 例の黒い箱が三つ並べられ、マイクがかざされている。スピーカーも設置された。


 小森くんと尻ドラム部の女子部員……水瀬さんが黒い箱の後ろに立っている。その真剣な面持ちには、緊張の色が伺える。


 すでに数名の観客が集まっているのかと思えば、よく見ると軽音楽部のメンバーだった。


 放課後ということもあり、下校する生徒が昇降口を出てこの光景を目にしている。だけど、それは奇異の目でしかなかった。


 当然だと思う反面、まだ始まってもいないから……と何故か反論している自分もいた。


 口止めされているから獅子原先輩には言っていない。私が知ってて黙っていたことを獅子原先輩が知ったらなんて言うだろうか。


 それでも私は、この裏切り行為に価値があると思っていた。


 私は彼らの奇行がなにかを変えるような気がしている。


 それがなにかは分からない。

 だけどたぶん、このライブの前と後ではきっと私の見えるところでなにかが変化するはずだ。


 そんな予感を胸に彼らを眺めていると、ふと振り返った音無先輩と目が合った。


「あら、宮子ちゃん?」

「は、はい」

「風紀委員のお仕事?」

「いえ、今は個人的に観てるだけです。でも、いずれ委員長は来るかも……」

「ふふ、来ても平気」

「え?」


 どうして、と聞き返そうとしたときだ。軽快なシンバルの音がその場に響いた。


 わっと注目される彼ら。黒い箱からはスッと三つのお尻が飛び出した。


 Tバック、ブーメランパンツ、そして中央にブルマだった。すぐにブルマのお尻が紫藤さんのものであると察する。


 カホンシンバルはお尻に挟んでいるというよりも、股に挟んでいるような状態になっている。

 姿勢的に仕方ないけれど、あれはあれでなかなかの辱めじゃないだろうか。


 そして……小森くんは月野さんのお尻を叩いた。


 快活に弾けるような尻打音はどこか聴き覚えのあるリズムで、やはりどこか見覚えのあるステップを踏む水瀬さん。


「あれって……」

「パルチードアルトっていうサンバのリズム」

「あの踊りもサンバをもとにしてますわ」


 風間先輩と天寺先輩が言う。


 日和同様、彼女たちも尻ドラム部に様々なことを指導したに違いない。そして話し合い、模索し、行き着いたのがこのサンバというわけだ。


 今度は水瀬さんが丸井くんのお尻を叩き、小森くんがステップを踏む。


 交互に叩いたり、同時に叩いたり、リズムはパターンを変え、より複雑でアップテンポになる。


 私は自然と、その情熱的なリズムに合わせて身体を揺らしていた。


 お尻を叩くだけなのに、どうしてあんなに多彩な音が出るのだろう。どうしてあんなに、楽しそうなのだろう。


 私だったら、お尻を出すのも叩くのも恥ずかしくて出来ない。


 だけど彼らは堂々としていた。

 かっこいいし、羨ましかった。私もあんな風になれたら……。


「良いライブですわね」


 いつの間にか、横に獅子原先輩が立っていた。大神先輩もいる。


 気付けば、大勢の生徒たちが尻ドラム部のライブを囲んでいた。


「……取り締まるのでしょうか」

「残念ながら、出来ませんの」


 先輩は言った。しかしその表情に残念さなんてものはなく、どこか楽しそうだった。


「あ、あの……先輩」


 首を傾げた獅子原先輩に私は言葉の真意を問う。


「取り締まれないって、どういうことですか?」

「彼ら、軽音楽部との野外合同練習として許可を得ていますの。色んな先生方に頭を下げたんですって」

「小森くんが……?」

「ええ。残念ながら許可を得ている以上、彼らがやっているのはまともな活動ですわ」


 あの人は……なんて凄いんだ。


 自分のやりたいことのために、なんでもやってしまう。それがどんなに周りから奇異の目で見られようと。


 本当の自分すら出せない私とは大違いだった。

 私もあんな風になりたい。そのためには……。


 観客の熱気も高まり、手を掲げて歓声を上げる生徒も多数いる。


「獅子原風紀委員長」


 改めて先輩の注意を私に向ける。


「なんでしょう」

「私、尻ドラム部に入りたいです」

「なっ!?」


 私の言葉に先に反応を示したのは大神先輩だった。


「金脇! 自分が何を言っているのか分かって……」

「照?」

「し、失礼致しました……」


 大神先輩の言葉を遮り、獅子原先輩は私に向き合った。


「私にあなたを止める権利はありません。だけど、一つ訊いても?」

「なんでしょうか」

「彼らの活動に、心を揺さぶられました?」

「……はい!」


 私は……いや、彼らは尻ドラム部がまともな部活であると、獅子原先輩に証明した。


 そして、予感していた変化は私に訪れたのかもしれない。


 尻ドラム部の演奏が終わった。

 拍手喝采の中、彼らはいそいそと片付けを始め、すぐにその場を後にした。


 私は獅子原先輩と大神先輩に見送られながら、彼らを追いかけた。


 *


「えぇ!? 部活を辞めたい!?」


 尻ドラム部の部室を前に、扉の向こうから小森くんの声が聞こえた。

 私はドアノブにかけていた手を慌てて離してしまう。


「すみません……実は、例の女王様が俺のお尻を認めてくれて……正式に専属の下僕になれた……っす」


 聞き耳を立てて話を聞いていたけど、なにを言っているの?

 まったく話が理解出来なかった。


「だからって辞めなくても……!」

「この部には滅茶苦茶感謝してるっす! だけど、俺のお尻はもう女王様専用なんすよ……。女王様にはライブまでって約束してたっす。水を差すようなことしたくなかったから、黙ってたっす」


 たぶん、尻ドラムの丸井くんが辞めるって話なんだろうけど、理由がいまいち分からない。


 そして、部室に入るタイミングが掴めなかった。


「確かにお前はお尻を鍛えるためにここに来た……。その後の話はしてなかったな……」

「でも、あんたが辞めたらあたしは誰のお尻を叩けばいいのよ」


 水瀬さんの発言に私は、今だ! と思いドアノブを捻った。


「あの! 私のお尻を叩いてください!」


 突然の入室、突然の申し出。尻ドラム部のメンバーが全員、私を驚きと困惑の目で見る。


「えーっと、金脇さん?」


 紫藤さんが心配そうな顔をしてくれたけれど、私は正気だ。


 なんでここにいるのか、何を言っているのかを私自身がみんなに説明しなければならなかった。


「私、その……尻ドラム部のライブを観て、感動して……あと、小森くんみたいに自分をさらけ出したいっていうか、素直に生きたいっていうか……あぁ、なに言ってるんだろう……」


 しどろもどろになりながらも、私はここに来た理由を話した。


 分かってくれたのか、みんな真剣な顔で聞いてるものだから、なんだか恥ずかしくなって俯いてしまいそうになる。


 だけど、このままじゃ駄目だと自分に言い聞かせる。


 私は仮面を外し、本当の自分を見てもらう第一歩を踏み出さないといけない。みんなが見てる、今がその時だ。


「私を尻ドラム部に入れてください!」


 私はぎゅっと目を閉じ、声を上げた。


「いいのではないか? 丁度、欠番も出たところだ」

「尻だけに……すか?」

「あんたは黙ってて」

「私はいいと思うな、宙くん」

「そうだな……」


 ゆっくりと目を開けると、私の目の前に手が差し出されていた。顔を上げると、小森くんが誇らしげに笑っていた。


「ようこそ、尻ドラム部へ!」

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私を尻ドラム部に入れてください! ふじちゅん @chun_fuji

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