午前二時 舞踏会
鶴森はり
都市伝説
こんな都市伝説を知っているかい?
あるところに、人殺しを楽しむ鬼がいた。
月に照らされた女の青白い肌を裂き、溢れた朱色で化粧を施し、染まる服を極上のドレスに見立てる。逃げ惑う姿をダンスに例えて。
――踊りましょう。って誘うのだって。
「クラスで騒がれている旬な怖い話だよ」
昼休み。退屈な授業から解放されたクラスメイト達の騒ぎ声で満たされた教室。
片隅で、弁当を広げて聞いた内容は、食事の共には遠慮したいものであった。
座った椅子を軋ませながら、僅かに体を反らす。
目の前の男子生徒から距離を取りたいと思っての行動である。
最近、近所では行方不明事件が多発している。女ばかりが消えて、家出ではなく誘拐なのではないかと噂が広がっていた。それは、雪子が通う高校でも同じである。話題を常に探す高校生は人から人へと伝えていく。今は行方不明に夢中らしい。目の前の男も、得意げに披露した。
興味がない雪子相手では面白くないだろう。だが……。
「なかなか楽しそうな話じゃあない!」
右隣でパンに齧りついていた由美が、案の定つられた。怠そうな態度から一変し、はしゃぐ由美の姿に雪子は諦めて俯いた。
「午前二時、うろつく女性を狙うらしいよ」
「へぇ、信憑性がありそうね」
皆無だ。大体深夜に出歩く人間など、早々いるものではない。ここは田舎町。夜中など、店も開いていないのだ。
「幽霊でなく鬼ね。気になるわね、雪子」
「興味ない。軽率な行動は控えた方が」
「マジだったら、バズるよ」
不謹慎にも由美は乗り気だ。噂を持ってきた元凶の彼は、眉を下げて笑った。
「まさか行くの? 危ないよ」
「いやいや、みんな怖がっているもの。 ここは私が正体を確かめてやろうじゃない!」
「鬼の仕業とは決まった訳じゃあないよ」
「それなら誘拐犯逮捕に貢献しましょ。危なかったら逃げれば、いいだけ」
危機管理能力が壊れている。ホラーを愛している、猪突猛進な由美を止める方法はない。
雪子は二人を傍観しつつ、巻き込まれる覚悟を決めた。幼馴染みだ、展開は予想が出来る。
弁当箱を片付けて、お茶を飲んだ。一息をつけば、目線が刺さる。
「一緒に真相を突き止めてやりましょ!」
一言一句、想像した通りの台詞に乾いた笑いしか出てこない。拒否権はないだろう。
蚊帳の外になった彼が、申し訳無さそうに頭を下げる。
彼は悪くないと、雪子は手を振った。それから渋々と、由美の提案を了承したのだった。
外出を控える午前二時。灯りもない刻限。
両親が寝静まったのを見計らい、慎重に足音を立てず、滑るように外へと飛び出した。
頼りない月明かり。虫すら鳴かない、耳が痛くなるほどの静寂に、不安が膨れ上がり、身震いする。すくむ体を叱咤し歩みだした。
向かうは、彼から聞いた出没現場の公園だ。
住宅街から離れており、ブランコだけが設置された質素な公園だ。雪子が幼い頃から、誰も遊ばない。何処か気味の悪い印象を抱かせる場所。
帰りたい弱音を奥に隠し、由実の元に急いだ。いつの間にか早足から駆け足に変わっていた。
暫くして。人影が見えて、安堵する。
「由実!」
駆け寄って、全身に襲いかかる異変に気が付いた。
どくりと心臓が大きく跳ね、呼吸すら忘れる。
冷水を浴びたかのように、血の気が失せていくのが分かった。
星が瞬き、月の妖しくも美しい光が闇を照らす。
昼間の暖かな陽だまりとは異なり、どこまでも冷ややかに恐ろしく、本来見えてはならぬものを浮かび上がらせた。生物の息遣いすら感じさせず、この世にいるのは自分だけなのだと錯覚させるような不気味さ。
雪子は独り、そこに立ち止まった。何をするでもなく、否何も出来ずにいた。
眼前に広がる赤。暗いはずの世界は、残酷なまでにも月によって明瞭となった。
土の地面は液体を吸い込み、染める。
植えられた木にも飛び散ったそれは濡れて輝く。辺りに充満する鉄錆、生臭さ。息をすれば肺に入り込み、全てを吐き出しそうになった。
吸いきれなかった赤黒いのが雪子の足下まで迫り、汚していく。
転がるは肉の塊であった。原形を留めていないグロテスクな物体。近くに落ちている衣服らしき残骸と、朝に見たばかりの――由実が履いていたのと同じ靴。はらりと花弁を散らすか如くある黒く長い糸、髪。全てが物語る、肉塊は人間の女なのだと言いたらしめる。
「やぁ、良い夜だね」
場に似合わぬ、厳かで涼やかな声がした。まるで清涼な山の空気を連想させる、
穏やかで美しい声音。優しく雪子に語りかけてきた。
月光を浴びて、ぎらりと何かが煌めいた。
指一つ動かせない雪子は、のろのろと目線だけを向ける。
声の主の手に、小刀が握られていた。赤色を纏い、鋭利な輝きを失わない命を屠る至美に為す術もなく、目を奪われた。
「あ、ぁ」
意味をなさない呻き。異常に塗りつぶされた頭では、まともな判断など出来ようがない。
無意識に唇の隙間から溢れた情けない声に目の前の怪物が、からからと笑う。
どこまでも透き通って耳に馴染む。
「こんな、夜はね。ダンスを踊りたくなる。若々しく、艶やかな赤を纏う女性とね」
語りかける人物は親しみを込めるように首を傾げた。そのとき、漸く顔が見えた。
返り血で彩られた相貌は人形のように整っている。
見覚えがある。昼食、噂を、教えてくれた張本人だった。名前を。
ふと気が付く。
男の名前を、知らなかった。そもそも、同級生であっただろうか。
疑問は一度浮かべば、水面に石を投げ込み、水紋ができるように広がっていく。目が覚める感覚に呼吸が荒くなった。
そうだ。彼を、昨日初めて見た。同じ高校の生徒でも、ましてや同級生でもない。
親しげに話すなど、有り得ない。どうして今まで違和感なく受け入れていたのか。
ぞわりと寒気が走り、得体の知れない恐怖が襲う。
身体から力が抜け、へたり込んだ。がちがちと奥歯が鳴って、助けすら求められない。記憶を改ざんさせるなど人間には不可能だ。骨まで斬るなど出来るはずもない。
これは、紛うことなき鬼である。
鬼は雪子の様子を暫し眺めていたが、やがて口角を上げて手を差し出す。その姿は、さながらダンスを誘う紳士のようだ。まるで舞踏会を彷彿させて。
「一曲、よろしいでしょうか。お嬢さん」
踊りましょう。
銀色が閃く。認識したと同時に、腕に焼けるような激痛が走った。獣のような掠れた絶叫が響く。それが雪子自身の口から発せられたのだと、遅れて気が付いた。
のたうち回り、患部を押さえれば、ぬるりと滑る。
痛みに歪んだ視界に、恍惚とした笑みを浮かべる殺人鬼が写り込んだ。
紅潮した頬、蕩けた瞳。すぐ近くまで迫れば月を背負い、陰って表情は見えなくなった。
それでも振り上げられた銀色は光を帯び、存在感を強めていく。
終わりだ。為す術もなく理由もわからず。漠然と確信した瞬間、雪子の意識は途絶えた。
「――という都市伝説だよ」
「怖すぎでしょ。やだ」
今にも泣き出しそうになる。不満をこぼせば思った以上に情けない声になり、羞恥から顔が熱くなった。怖がりな自分は聞かない方が良いと、友達はよく言う。その通りなのだが、カリギュラ効果が発動し、積極的に関わってしまうのは悪い癖。後悔しても遅い。
がやがやと騒がしい廊下の片隅。怖い話を語ったクラスメイトが、困った顔で謝罪した。彼にはなんの落ち度もない。是非教えてくれと、ねだったのは自分だ。自業自得である。
慌てて、気にしないでと明るく振る舞った。
女子生徒二人が行方不明になったばかり。たちの悪い噂に、必要以上怯えてしまった。
「一応、忠告するけど外は出歩いては駄目だよ。午前二時なんて女性一人は危ないからね」
涼やかな声音で注意を残すと、彼は恭しく一礼をして、立ち去った。綺麗な所作は紳士を彷彿とさせる。その背中が見えなくなっても、消えた方向を眺めていると肩を叩かれた。
「よぉ! 今、だれと話してたんだ?」
恋人である男が快活に尋ねた。首を傾げる姿に、口を開こうとした。
だが、言葉にはならない。
そういえば、誰だったか?
疑問は瞬時に霧散する。些細な問題と振り払った。
それよりも気になる都市伝説の話を掻い摘んで、恋人に伝える。
聞き終えると、ニヤリと意地の悪い笑みで、腕組みをした。
「絶対嘘だ。全員行方不明なんだぞ。死に際ダンスに誘うとか被害者だけしか知らないはずだろ。どうやったら、噂が流れるんだ」
「……都市伝説なんて、そんなものでしょ」
得意げに矛盾を語る彼に、ムッとして反論した。
怖くないのか、と揶揄されて意地で平気だと伝えた。すると。
「じゃあ確かめに行こうぜ!」
あぁ、嵌められた。時既に遅し。拒否すれば怯えているのを認めたことになる。
屈辱より、耐えた方がマシだと自分に言い聞かせた。
「私の怖がる顔が見たいだけでしょう」
最後の悪足掻きも笑い飛ばされる。
怖いのは嫌いだ。だが太陽のように明るく楽しげな彼との肝試しは、存外マシかもしれない。
「分かったわよ。じゃあ」
――午前二時に。
真夜中に恋人と会う約束に、恐怖は薄れる。楽しみと期待で、違和感はかき消された。
午前二時 舞踏会 鶴森はり @sakuramori_mako
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