掌編 怪盗Xの献身

下井 草朗

第一話(完)

広瀬は憂鬱だった。警部としての重責から解放されるせっかくの非番の日を、こんなことで潰さねばならない。

「そろそろですよ。えーと、次の角を右、と」

彼の隣で楽しそうにしているのは定禅寺通、巷では名探偵と呼ばれている。実際そう呼ばれるだけの活躍はしているので、広瀬としては無碍にできない。

「あ、あれですね。もう並んでる人がいますよ」

入りづらい外観であろうとは思っていたが、想像以上だった。一面花に飾られ、妙に丸みを帯びた洋風建築、屋根には使いもしないであろう煙突が立っている。まさに童話の家といった風情だ。

さらに並んでいるのは、限定のトロピカルパフェが目当てだという、若い女性ばかり。年の離れた男の二人連れは嫌でも目立つ。

早くも挫けそうになりながら、広瀬は開店を待った。


「それで、話というのは」

一通り注文を終えた定禅寺は広瀬に向き直った。

「いや、それが昨夜手遅れになったところでね。というのはだ、実はこの隣のビルの二十階の美術商の所に、怪盗Ⅹからの予告状が届いたらしい。なんとかの黄金像で時価数億円だそうだ。怪盗Ⅹは知っているね」

「ええ、最近随分と話題ですね。なんでも悪徳な資本家しか狙わないとか」

「ああ、それに人も殺さないと来ているし、警察も警備会社もさんざんやられている。そんな連中はあてにならんというので、めぐりめぐって名探偵定禅寺通に話が来たわけだ」

「で、手遅れって事は盗まれてしまったと。警備はされてたんですか?」

「盗まれたのは昨夜遅くだ。警備していたのは警察と大手のS社。建物から持ち出せたはずはない、というのが彼らの言い分だ。しかし実際盗まれた」

「はあ、でも盗まれる前に頼まれても無理ですよ、そんなの。俺は殺人事件が専門ですから。人を殺さない人に興味は無いですし」

話がひと段落した所に、注文のトロピカルパフェが運ばれてきた。

随分大きい。トロピカルというだけあってチェリー、マンゴー、キウイを始めとしてフルーツが山と盛られている。パイナップルなど、皮と葉がついたまま縦に切ってある。またそれらに、いやというほストロベリーソースがかかって真っ赤だ。とても常人の食うものとは思えない。

定禅寺は意気揚々とパフェに取り掛かろうとしたが、そこで思わぬ邪魔が入った。

「ひ、ひ、人が死んでる。だれか、だれか来てくれ」

厨房からそういって青ざめた男が走り出てきた。

定禅寺はスプーンを置いた。

「広瀬さん、十分で終わらせましょう」


被害者の女性は、鈍器で頭部を後ろから殴られたようだ。凶器は周りには見当たらない。身体はまだ温かく、床の血も乾いていない。殺されてから一時間、いや三十分と経っていないだろう。

しかし、何よりも目を引くのはそんなことではなく、被害者の格好だ。被害者はセミロングの髪を、頭のてっぺんで両手で束ねた状態で倒れていたのだ。

「どうだね、なにかわかったか。定禅寺君」

「んー、まあ犯人は自明なのですけど」

「もう分かったのかね」


パン!

定禅寺は突然手を打ち鳴らした。事件を解決する時のいつもの仕草だ。


「ええ、ああっとそこのひげのあなた、店長さんですか? ちょっと来てください。そう、いいですか? 自首してください。警察が来るまでまだ間があります。返答はそれからでかまいません」

その店長らしき人物はがっくりとその場に膝をつき、うなだれてしまった。

「ちょっとまってくれ定禅寺君、展開が速すぎる。説明してくれ」

「いや、それが恥ずかしい話、実は俺の席からここの人の出入りは見えるのでして、推理でもなんでもありません。動機の解明はそちらの仕事として、事件そのものはこれで終わり。ただ……」

パン!

また手を打ち鳴らし時計を確認した。


「後七分か、一応、探偵としての仕事もしておきますかね。それでは事件の経過から、まず店が開いてまもなく、被害者と店長がこの部屋に入ります。それから数分ほどして出てきたのは店長一人です。もちろんその間に犯行は行われました。そしてしばらくして、中に入ったバイト君が死体を見つける、こんなところです。

さて、ここで俺と警部がたまたまいあわせなかったら、その後はどうなったでしょうか。もちろん、警察が捜査することになるわけですが、店長としてはとにかく犯罪を隠蔽したい。死体の処理は難しいし時間もかかる。逃げるのは自分が犯人だと告白するようなものだし、到底逃げ切る自信もない。

と、ここで彼が思い立ったのは凶器の処分です。凶器さえ見つからなければ捕まらないのでは、という短慮でしょう。しかし彼にはとっさの思いつきながら、絶対にばれないという自信がありました」

「彼は一度も店は離れていないだろう。凶器を処分しようにも限りがある。我々警察を少々甘く見てはいないか」

「ええまあ、実際に隠しきれたかどうかはかなり怪しいですが。彼の思いつきはこうです。現場も厨房も、店外すらも警察は完璧に調べるであろう。だが、客が食べているものまではどうか。

流しからルミノール反応が出るのでも恐れたのでしょうか、付着した血を洗い落とすことはせず、過剰なまでのストロベリーソースでごまかした」

「そうか、つまり凶器は、な、まさか……被害者のあの格好は」

「そう、凶器はあのトロピカルパフェのパイナップルですよ。死体の格好は彼が凶器を処分しようとする姿を見て、我々にそれを伝えようとしたダイイングメッセージだったのです。

……ま、そんなわけありませんけどね。

こんなもんで満足ですか?」


パン!


定禅寺は死体の第一発見者を指差した。

「そこのバイト君、いや、怪盗Ⅹ、とでもお呼びした方が良いですかね」

「くく……これはお見事、少々貴方の実力を見誤っておりました。私の目的もお見通しのようですし、どうやらここは退散した方が良いようで。定禅寺通、憶えておきましょう」

途端に電気が消え、明かりが戻った数秒後には彼は跡形も無く姿を消していた。


「捜しても無駄だろうな」

「冷静ですね、警部」

「言わなかったか。奴は人殺しも強盗もしない。つまり、捜査一課の管轄外だ。それに、君の推理もまだ聞いていない」

「そうですね、では怪盗Ⅹの目的から。あ、ウエイトレスさん、脚立かはしごありません? お、ありがとう」

定禅寺は部屋の壁にはしごを立てかけて登り始めた。

「天井? 天井に何かあるのか?」

「いえ、多分天井裏に。よし、ここがはずれるな。よいせ、ん、いやーあったあった。これですよね、中確認してください」

広瀬は投げられた黒いビニール袋を受け取って、中を開いた。緩衝材と思われる白い物体に包まれて、黄金に輝く物がある。

「これは、ひょっとして昨日盗まれた……」

「それが怪盗Ⅹの目的です。彼はそれを取りに来て事件に遭遇してしまったということです」

「最初から説明してくれないか」

「ええ、まず昨夜、彼は盗んだそれをビニール袋にいれ、滑車とロープを使って、ビルの窓からここの煙突に放り込みました。煙突といっても、デザインとしてつけているだけで、暖炉やストーブにつながっているわけではなく、屋根にくっついているだけでしょう。それを屋根に穴をあけて天井裏とつなげたわけです。屋根に登るのは人目につく恐れがありますが、この部屋からならその心配はありません。

そして今日、悠々と回収に来て思わぬ事態に直面します。その中ではなんと人が殺されていました。さらに最悪なのは、犯人は凶器を隠蔽していたことです。盗品を持って逃げれば殺人犯として疑われる。かといってその場にとどまり盗品を隠しても、凶器の捜索で先に盗品が見つかってしまい、怪盗Ⅹが殺人を犯したということにさえされかねない。

進退窮まった彼ですが、ここであることを思いつきます。そういえば、店内で浮いていた男二人組みは名探偵だの警部だのと話していたな、事件が即座に、凶器を捜すまでも無く解決してしまえば……。しかし、あれにそれができるだろうか? ヒントぐらい与えてやりたいところだが、あいにくここには何も無い。仕方ない、少々不自然だが髪をこうして、よし。

とまあこんな事を死体を見て数秒で考えて、ああなった、と。

説明終わり。さて、これでちょうど十分経った」

定禅寺は席に戻ったが、トロピカルパフェの前で腕を組んで考え込んでしまった。

「これを食べるために急いだんだが、しかしなあ……凶器かー。でも店長が捕まるから、ここで食べなければ二度と……。参ったな、実に難問だ」

事件の謎を一瞬で解いた名探偵は、トロピカルパフェの前で延々と悩み続けていた。

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