5.
翌日になっても更に翌日になっても仕様が上がって来る事はなかった。
侃侃諤諤と交わされる議論は一進一退というより、二進一退と一進二退を繰り返してどんどん。そりゃあ、ユーザー資産を賭ける遊びなんだから慎重になるのは分かるけれど、分かるけれど。
誰もが赤岩さんと同じように頑張れる訳でもないんですー。考えなしに無制限に注ぎ込まれていく情熱という炎に耐えられる能力、体力を誰もが持っている訳でもないんですー。
日に日に詰まっていくスケジュールに、僕は業務をこなしながら不安ばかりを募らせるしか出来なかった。
「酒々井先輩、纏めました」
「あ、確認しておく」
「お願いします」
けれど幸いなのは、明神君が少なくとも去年時点の僕よりも優秀だという事だ。
このヤタガラスのサーバーソースを読んで、一つの通信で何が起きているのかを纏めてみて欲しいという課題に対して、送られて来たドキュメントは多少の抜け落ちや不明点を残しながらも、処理の流れは掴めている。
今日からでも簡単なタスクから任せてみようかと思えた。
「酒々井先輩……、これでどうでしょうか? 出しましたので」
「……了解。見ておく」
そして不幸なのは高神君はやっぱりプログラマーとしての適性が無いようにしか思えない事だ。
何と言うか、言葉をそのままに受け取って本質を理解してくれないというか。いや、本質をそのまま言葉に出してるつもりなんだけど。更に二つ三つ前に言った事はニワトリのように抜け落ちているし。
良いコードを書ける事を証明するような資格試験なんて無いんだろうか。プログラミング言語なんて数多にあるし、それぞれでベースとなる思想が違うのも、良いコードと言うのはそもそも時と場合によって変わって来るのも分かってるけど、分かってるけど。
「それでもなぁ……」
小声で僕は呟いた。
本っ当にこれ、どうしろってんだ。
やれるところは先に進めておく。それは、仕様の背骨がある程度でも定まっている時に出来る事だ。
まだ全体像すらふんわりとした仕様でそれをやっても、出来上がった仕様とは乖離してしまったものを惜しみながら捨てる事にしかならない。
かと言って、何もしないで居られる程肝が据わっている訳でもない。目の下に強い隈を見せているプランナー達に進捗を聞きにいくのは引けるものがあったけれど、それでも確定している、していそうな部分を聞いて、そこらだけはもう先んじてコーディングを進めてしまう事にする。
実装に必要な事柄を纏めて、設計を考える。
色々こねくり回された仕様は、最初に説明された仕様からはもう既に密度が違っている。より少ない実装で、奥深さを出す為に考えられている事が窺える。
……プランナー達のやっている事って。
チャットベースでの仕様に対する会話を振り返ってみれば、赤岩さんが提案した改善策を出来るだけ工数が嵩まないようにしているのが主だった。
適材適所ってこんな事を言うんだろうか。いや、そうだったら生放送に赤岩さんを担当させたのは少なくとも適材適所ではなかったか。
固まっている部分だけの設計は、意外とすぐに終わる。ただ、その部分だけでもちゃんと実装するとしたら2日程は必要な感じだったし、その間だけでも手を動かせておけるのは少なくとも精神的に楽だ。
後々に色々な拡張が入る事を鑑みて、コードは要点で分けて疎結合に。
そんな風に構想を考えていたら、明神君と高神君からレスポンスの催促を急かされた。
あー……。
没頭しようとしていたのが一気に現実に引き戻される。
明神君の方は別に良いんだけどさ。高神君の方、結局前と同じ事を言うというか……。
いや、その前に。確か会社の本棚に読み易いコードを書く為のルールを纏めたような本があったよな。古典的な本だけど、今でも十分にコーディングの原則として実用的な本。
それ読んでもらおうかな。結局、コードに対して指摘し続けたところでイタチごっこになる気しかしない。
でも……それでも余り変わらない気がしなくもないんだけど。コードレビュー、ちゃんと理由添えてどこが悪いか言ってるのに、このコードだからなあ……。
まあ。やってみようか。
明神君に対しては抜けているところや間違っているところに対して、もう少し読むべき部分を教えて。
それから本棚に行って戻る。
「高神君はこの本を一回読んでみて。それで、自分のコードがその本の内容に則っているかどうか見直してみて」
「……はい」
テンションが駄々下がりなのは見て取れるけど、こっちもそうなんですよ。
何か、互いに不幸になり合っているというか……。
「まあ、二日位ゆっくりやってみて」
これで良くなるなら苦労しないんだけど。
席に戻って、また構想を考え始める。
サウンドもグラフィックも、ゲームバランスも何も考える事の無いサーバーエンジニアなんて何が楽しいんだと思っていた時もあったけれど、何だかんだでどのように実装をするかを考えて、その通りにコーディングしていくのは楽しかったりする。
後、それよりも一番やり甲斐というか、そう言うものを近く出来る事柄として。
MMOのような長期的な運営をする事が前提なゲームでクライアントがバグを引き起こしたとしても、それはその時限りで終わる事が殆どだし、何だかんだで本質的には軽微な問題で済んだりするけれど(何か大昔にはパッチを当てたらパソコンの記憶領域が全て吹き飛ばされたとか、そんな事あったらしいけれどそれは例外として)、サーバーがやらかしたら、それはユーザーの実データに影響が及ぶという事で、補填から最悪返金まで凄惨な事態になる。
貴重な素材が手違いで無料で手に入った、ガチャで排出率が明らかに表示と異なる、所有するキャラクターなどのパラメータが不正に上昇出来る。インフラも含めてしまえば、データベースが吹っ飛んだなんて事態も過去にはあったようで。
そういう事を知っていると、自然と背筋が伸びる。未だ実際に自分が書いたコードでゲームが遊ばれているなんて事は経験していないにせよ。
「さて……」
リリースまで残り半年と言うが、デバッグとブラッシュアップを考えたらぶっちゃけ、賭けの仕様がなくてもそこまで余裕は無いんじゃないかと思う。
更に言うと、まだ実装出来てない仕様も結構あるし、最初のプロモーションビデオで実際のプレイ画面を出せなかったのはそれが原因だったりする。
まあ、とにかく。出来る事はさっさとやるに限る。
集中しよう。
#
体調不良による欠席の何割が実際はサボりなのか、僕は知らない。
ただ、休日出勤が重なったり、深夜残業が頻繁にあったりした場合にサボりたくなるのは分かる。まだ、そこまでの経験は無いにせよ。
だから賭けの仕様を決めている森さんが、定時を暫く過ぎてから体調不良で休みますと連絡が来たのは、多分寝坊したんだろうなあ、という想像がつくものだった。
昨日も11時頃までチャットログがついてたし、多分帰宅したのも終電だろう。
今日はゆっくり休んでください。困るけど。困るけど。
で、赤岩さんはピンピンしてると。目の下の隈とか、そんなものは全く見えない。運動している体系には見えないのに何だろうな、うん。
そして昼飯、弁当を食べて軽く寝て、午後。夕方。
結局、土偶のみならず、占星と呪術に関してもまだ赤岩さんの首が縦に振られる事はない。そりゃ、他の開発中、開発済みの仕様も長い時間を掛けて練られに練られたものだし、再び掘り起こされてまた練られているものもある。
そのクオリティに達する仕様は数日で作れる訳ではない。
それでも土台くらいはさっさと決めて欲しいんだけど。本当に、本当に! そのプランナー達の生気の抜けた顔付きが長引けば長引く程、エンジニアもデザイナーもデバッガーもどこもかしこも不幸になるんだから。
気付けば溜息。何となく新卒の方を見てみれば、明神君は初めての実ソースに触れる作業に入って画面にガッツリしていて、高神君はその隣で如何にもテンション低そうな顔で本を読み続けている。
少なくとも、明神君には今自分がしているような顔見せちゃいけないよなあ。
とは言え、だ。やれる事はやっておかなければいけない。
その翌日にも森さんはやって来なかった。連絡は変わらず、体調不良で休むとだけの曖昧な理由だった。
ポッキリ行っちゃったのかな。
ぶっちゃけ、それも可能性高いと思う。今日は金曜、週末。来週来なかったらもう確定。そうなったらどうなるんだろう。
まあ……少なくとも赤岩さんがもう一つ温めている仕様が外に出る事は確実に無くなる。それは嬉しい事だ、いや、嬉しいっていうか当たり前だよな、本当は!
けれど、そうでなくても……。
朝会が終わってから、僕は恐る恐る、チャットツールの昨晩の履歴を見返した。僕が帰ってからも行われていたプランナー達の会話だ。
正直、昨日の帰る前から嫌な予感がしていた。残業してまでそんな報告聞きたくなかったからさっさと帰ったし、スマホで見直す事もしなかったけど、そのチャットを遡って確定的なログを見つけると同時に、二人、プランナーが僕の方にやって来ていた。
両方とも、賭けの仕様を定義している人達。
「すみません、土台から覆っちゃいました……結構致命的な欠陥があって……」
「ああ、はい……分かりました……」
「すみません、お願いします」
二日分の作業がパー! あっはっは!
そんな事は顔に出さず、けれどプランナーが席に戻ってから、ひっそり溜息を吐こうとしたら。
「酒々井先輩、読み終わりました。それで、コードも自分なりに書き直してみました」
おずおずと、高神君が話しかけて来た。
「……あ、了解。リポジトリに出してある?」
「はい。お願いします」
……。
…………いや、頑張ろうとしたのは見えるけど。
見えるけど。
まるで成長していない。
……うんち!! うんちうんちうんちうんち!!
……うんちぃ…………。
「うんち……」
くたばれVRMMO ~こちら、クソディレクター率いる哀れなゲーム開発現場です~ マームル @ma-muru
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