4.

 今は5月の初めで、僕がこの「ヤタガラス」の業務に初めて参加したのは5月の終わりだった。

 今、その初めて携わったタスクをやるとしたら1、2時間で終わるそれを、1、2日掛けて完了させて緊張しながら提出したその記憶。

 流石に一発では通らず、宮崎さんに数点指摘されてそれを直すと承認されて、実コードにマージされた。

 gitのログに自分の足跡が刻まれたのは、中々に感慨深いものだった。……それと同時に、本当に社会人という懲役50年に足を踏み込んでしまったのだという絶望も多少はあったけれど。

 そして、問題は高神君が後2、3週位でそんな「ヤタガラス」に参加させて良いようなコードを書けるプログラマになれるとは思えない事だ。

 何を任せられる? 何も任せようとも明神君の二倍以上の時間が掛かって、明神君の半分以下の出来のコードが上がって来る予感がする。

 口頭でも聞き辛い事だから、隣の宮崎さんにチャットのダイレクトメッセージで聞いてみる事にする。

"高神君、どうみてもプロジェクトにアサインするには技量が足りなさ過ぎるんですが、どうしたら良いでしょう……"

 ちょっとして返って来た。

"とりあえずはアサインさせる。暫くしたら面談とかもあるから、その時にプランナーとかへの転向も考えさせたり出来るから、それまでは辛抱"

そうするしか無いのか……。返事を返して、取り敢えずはその高神君のコードに向き直した。

 ただ、指摘するところが多過ぎるというか、いや、違う。そもそもプログラムというものが何の為にあるのか分かっていないと言うか、プログラミングの世界に自身を没入させる事が出来ていないと言うか、そんな表現が合っているような気がする。

 けれど、それをどうアドバイスすれば良いのか……。将来を見越した拡張性とか、バグの起こりにくさとか、そんな事を説く事も尚早な気がする。

 一応これで4年間プログラミングしてきたんだよな? 面接の時に軽いプログラミングのテストもされたはずだけど、それも通って来たんだよな?

 うーむ……。うーーーむ…………。

「参っちゃうな……」

 つい、言葉に出た。小声だけれど、聞こえなかっただろうか。

 それから更に暫く悩んで、返した。

"同じコードなら、変数や行数は少ない方が良いんだ。これから指摘する場所をそうして改善してみて"

 他にも色々言いたい事はあるけれど、まずは一つだけ。

 取り敢えず、それで様子を見よう。


#


 プランナーと仕様をやり取りするのは、仕事をしている感がプログラミングをしている時よりも強かったりする。

 理由としては仕事としての重要度がプログラミングよりも上だから、というよりも、プログラミングしている時は結局自分の世界の没頭しているようなものだから、という方が強い。何と言うか、プログラミングは多少ゲーム感覚でやってるところがあるんだよな。

 出来るだけ特別な武器を使わずに、誰にも分かるシンプルな最適解でボスを倒す。そういう縛りプレイをしている感覚。

 別にそういうゲームプレイが好きな訳じゃないけれど、それでお金が貰えるなら嬉しいし頑張るよ、って感じで。

 だから、実際プログラミング以外の業務に携わっている時の方が仕事をしているって言う実感がする。


 賭けの中の一つ、土偶を使った賭けに対して、まず僕は仕様の詳細を詰めようとしていた。

 その土偶を使った賭けは、端的に言えば、燃やしたり投げたりして、どのように壊れたかを予想する遊びだ。

 使う土偶は、プレイヤー自らが土の状態から焼き加減、内部的に意図的にどこを壊れやすくするかとかも色々調節出来る。

「それで、土偶を作る為の土の材質やら、細工やらの状態をどうやって管理するかは、もうちょっとそこ辺りの仕様を詰めて頂かないと、こちらとしてもちょっとやり辛いですね……」

 土偶を使った賭けの仕様担当のプランナー、森さんの席の隣に椅子を持って来て、僕は仕様の詳細詰めを依頼していた。

「そこをどの位指定出来るようにするかで、データの持ち方も変わって来るからなー……」

「で、実装期間もそんなに長くない、と」

「そうなんだよねー。凝った事あんまり出来ない」

「ぶっちゃけ、こっちも三つの賭けのコーディングするの、全部僕がメインなので、凝った事されると僕も死にます……」

「だよねー……」

 宮崎さんの手もそこまで空いている訳でもない。グラフィックやサウンドの要素が全く無いと言えど、これらの機能を入社2年目の僕が一手に引き受けるのは、結構ヘビィだったりする。

 簡単なタスクは明神君に渡せるようになれば良いんだけれど。

「取り敢えず、今日中にある程度の形までは決められれば決めるよ」

「……了解です。お願いします」

 今日中に決まらないだろうな、と思った。

 仕様の最終的な判断は赤岩さんに委ねられているからだ。

 良いものをとことん追求する。

 それは美徳と捉えられる事柄であろうけれど、会社等の組織として働く場所では、それに金や時間などと言った制約が付く事を多分本質的にまで赤岩さんは理解していない。しようとしない。

 ……これから残業塗れになるだろうなぁ。

 これまで強い残業をする事は余りなかった。リリース前はする事になるだろうと覚悟していたけれど、それがこんな早くからになろうとは思いたくなかったな……。

 次に占星を担当しているプランナーの人の元に向かった。


#


 結局、どれもすぐに求める部分の仕様が決まる事は無さそうだった。

 そうなると手隙になってしまう。タスクが無い訳でもないけれど、これからやるにはちょっと時間が掛かりそうでもある。将来に備えるという意味では明神君の方にはもう、このプロジェクトのコード読みをして貰っても良いかもしれない。

 席に戻って、コーディングをしている最中の宮崎さんに話しかけようとするも、一旦思い返す。

 簡潔に、えっと、要点は。

 余りだらだら喋ってるとコーディングの集中を完全に切れてしまうと、ちょっと怒られた事があった。

「宮崎さん、ちょっと良いですか?」

「ん、何?」

「明神君はそろそろプロジェクトにアサインしても良いと思うんですが」

「あー、了解。環境構築手伝えるよね?」

「……えっと、明神君のコードは見たんですか?」

「あれなら大丈夫だろ。それに、このままだと余裕が無い事も分かっているでしょ」

「まあ、そうですね。環境構築は、一回見直します」

「よろしく」

「はい」

 そうしてすぐに宮崎さんはコーディングに戻っていった。時々ブツブツと呟きながら、タイピングはちょっとうるさい。

 カタカタッターンッ!! って程ではないけれど。

 環境構築の手順書をさっくり見直してから、明神君の席に行く。隣には高神君が座っているけれど、まあ……技量の違いは本人にも多少なりとも分かっているだろう。

「明神君、今、大丈夫?」

「あ、はい」

「そろそろこのプロジェクトに参加して貰おうと思うから、環境構築から始めて行こうか」

「……はい」

 明神君の顔つきがちょっと緊張したものになった。

「じゃあ、スマホ開いてこの二段階認証用のアプリ落として、それから……」

 途中途中に隣の高神君がチラチラ見てくるのに気付きながら環境構築を進めていれば、その日の大半は終わっていた。

 高神君のコードも上がって来たものの、前と五十歩百歩。頭を悩ませていればもう定時で、高神君は帰って行った。

 新卒に残業しろなんて言わないし、さっさと定時で帰るのは正解だけれど。

 嬉々としてこの「ヤタガラス」のコードを読み始めた明神君にも今日は帰るように促した。

 そして、帰ってから。

「別にそれは良いんだけどさ、それは良いんだけどさ……どうすりゃ良いってんだ」

 本当に、うん……プログラミングの素質がある人ならば一回たりとも書く事も無いようなクソコードを書いて何の疑問も抱かない。

 入社試験でプログラミングの素質を計る為の問題は基礎的なものだし、多分暗記してきたものだったんだろう。その後のエンジニアを交えた面接も人当たりの良さとか何かで誤魔化し切ったんだろう……。

 悩んだ末に、またまた当たり前なアドバイスを一つ、返しておいた。

"変数やメソッド名はiとかjとかそんな適当に置かないで、ちゃんと意味のある、後から見てもそれらがどのように使われているのか想起出来るものにする事"

「……辛い」

 チャットツールでは赤岩さんが賭博の仕様に突っ込みを入れていて、その仕様が返ってくる事もなさそうだった。

 ……その突っ込みは見てて至極真っ当だし、プランナーとしてはかなり優秀なんだろうけど、ディレクターとしては欠点が強過ぎる……。

 今日は僕もそこまで残業せずに帰る事にした。


 帰りに別のプロジェクトに配属された同期とばったり会った。

「ヤタガラス、どんな感じ? 色々とヤバそうってのが聞こえてくるんだけど」

 ふと、聞いてみた。

「赤岩伝説って知ってる?」

「いや、何それ?」

「まあ……僕も知らないんだけど、気持ちの良くなる話じゃない事は確か」

「あー、なるほど」

 その反応が少し気になった。

「赤岩さんの悪評って他のプロジェクトにも響いていたりするの?」

「いや、俺もそんなに詳しくは知らないけど、あのプロジェクトに居なくて良かったねって話は良く聞くわ」

「うぇー……」

「ま、後半年だろ? 頑張ってみせろよ。あの少人数でサーバーを支えたって実績が作れれば、評価も爆上がりだろ」

「その前に心が壊れたら元も子も無いと思うんだよな……」

「……そこまで?」

「そこまでなんですよねー」

 微妙な雰囲気のまま、駅で別れた。

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