3.

 翌日の昼、明石さんも赤岩さんも居ない焼肉屋で宮崎さんと僕は座っていた。

 座席も、ちゃんと入り口が見える場所だ。

 新卒の明神君とそれから高神君は連れては来なかった。話したい内容は、新卒に聞かせるには酷過ぎる内容なのだろう。

 焼肉屋のランチメニューは最安のものでも弁当屋のカレーライスを二つ買える位の値段だ。

 でも、偶に入る位なら良い。

 僕はちょっと悩んで、二番目に安いホルモン定食を頼む事にした。

 宮崎さんはハラミ定食。値段はホルモン定食とそこまで変わらない。

「まず、これを見てくれ」

 そう言って宮崎さんは、スマホのチャットツールを見せてきた。中身は明石さんとのダイレクトメッセージ。

"赤岩の飯や飲みの誘いには乗らない事。断れなかった場合でも複数人で行くようにして、何か頼まれたとしても絶対に断る事"

「うわぁ……」

「まあ、分かりきっていると思うけど、ゲームのコンセプトや方向性やらを決める人間がアレな訳だから、切る事も出来ないんだよな。

 あの人の頭の中にはスケジュールという単語が無ければ、それを覚える気もない」

「覚える気もないって、どうして……」

「さあ? 時代錯誤にも程がある思想でも根付いてるんじゃないか? どんな教育を受けてきたんだか」

「……嫌だなぁ……」

 スープとサラダが運ばれてきて、次いでに鉄板に火が付けられた。一旦黙々と食べる。

「次いでに言うとな、前の作品でも退職者がたっぷり出ていたらしいんだよな。

 赤岩伝説って言う名で水面下で語り継がれていたりするんだが、端的に言えば、シリーズを立ち上げたのもあの人だけど、シリーズを尻すぼみさせたのもあの人なんだな」

「……今作でも沢山退職者、出るんですかね」

「俺だって限度が来たら辞めてやろうって思ってるぞ」

「……限度ってどの位ですか?」

「一つ決めているのはな、俺はチーフである以上明石さんやら、アイツやらと話す機会も多い訳だが。こちらが工数的に無理とか言うのを、逆ギレして来たら辞めてやろうと思ってる」

「何か、すぐ来そうです……」

 そこで定食が届いた。

 肉の焼ける良い音が響き始めてから、僕は聞いた。

「……宮崎さんが辞めたら、僕はどうしたら良いんです?」

「潰されると思ったなら、辞めた方が良いだろ」

 そう、さらっと言う。

「とうとうVRMMOが現実になったこの時勢だ。スキルがそんな身に付いていなくても、プログラミングの地盤さえ出来ているなら、そんな人間を欲しい企業は幾らだってある」

 宮崎さんがハラミをひっくり返す。

「……」

「何か言いたげだな」

 僕はちょっと躊躇ってから口を開いた。

「……このプロジェクトに愛着はありますか?」

「勿論あるさ。けれど、愛着より健康の方が何倍も大事さ。人の体も心も、一度壊れたら治らないんだぞ?

 それにチーフと言えど、誰か一人が欠けるくらいで崩れてしまうプロジェクトなんて崩れた方が良い。

 そもそも、まともに動けるサーバーエンジニアが二人しか居ないって時点で結構馬鹿げてるんだぜ?」

「……そうですね」

 ホルモンより先に焼けたハラミをタレに漬けて宮崎さんが米と共に頬張った。

 ホルモンは脂をじゅわじゅわ垂らしながらも、まだ焼けない。

 ごくんと飲み込んでから、宮崎さんが言った。

「ま、何にせよ。エンジニアは基本受け身だからな。プランナーが考えた仕様をコードに落とし込んでいくしか出来ない。

 仕様やスケジュールがクソで変えられようも無いなら、転職するしかないのさ」

「悲しい職業なんですね」

「そうなんだ」


 食事を終えてから、会社に戻る時にふと、聞いてみた。

「そう言えば、その赤岩伝説って言うのはいつか教えてくれますか?」

「九割以上胸糞悪くなるような話だけどな……そうだな、俺が転職するか、アイツが退職した時が来たら教えてやるよ」

「……分かりました」


#


 火急ではないタスクを片付けたり、新卒のコードレビュー等で過ぎていった数日の後に、仕様の共有会が開かれた。

 あの日からプランナー達が深夜遅くまで残業して、研究して、討論して作り上げた仕様だ。

 そこに加えて参加していた明石さんや赤岩さんも含めて、全員が全員、くたびれた顔をしていた。

「まだお伝え出来るのは概形だけですが、ひとまずの共有です。よろしくお願いします」

 大きい会議室の中で、チーフプランナーの水谷さんが頭を下げた。

 実装する賭博はまずは三つ。土偶、占星、そして呪術。どれも見た目はシンプルなものの、前準備による仕掛けが可能。

 要するに、イカサマありきな賭博だった。

 イカサマも複数の箇所に仕掛ける事が出来、それが有利に働けば勝ちに持っていきやすくなるが、もしバレた場合などは厳しい罰……ゲーム内資産を強く失う事になる。

 ゲームバランスの調整が難しそうではあるが、イカサマありきのPvPの賭博というのは余り聞いた事がなく、結構面白そうだと思えた。


 宮崎さんはクライアントチームとVRMMOの同期の精度を高める取り組みをしていて、ひとまずその賭博の実装は僕が引き受ける事になった。

 まずは暫定の仕様から、必要なデータを策定していく。AIを使えば大体形を整えてくれる部分ではあるけれど、仕様書がまだ概形だけならば、AIが出してくれる形もそう当てにならない。

 ゲームエンジニアと言う職業は確かに、プランナーが考えた仕様をコードに落とし込んでいくもので、基本受け身だ。

 ただ、プランナーの考えた仕様がいつも100%完璧である訳でもないし、それをロジックに落とし込む事自体もプランナーの誰しもが得意な訳でもない。

 プランナーが考えた仕様に抜け漏れが無いか、無駄に複雑なロジックや仕様を既存のコードで代替出来ないか、はたまた将来性をどのように担保しておくか。

 そういう事もエンジニアの担当する作業であるし、そういう事を考えずにプランナーを盲信して作り上げたコードというのは、その時点で綺麗であっても後々、所謂クソコードというものになる可能性が高い。

 要するに完成した仕様をコードに落とし込むよりも、プランナーが策定した仕様をより確固としたものにしていく作業の方が重要だったりする。

 何だかんだ、巷ではパソコンと向き合ってタカタカやっているだけな印象が強いエンジニアでも、大抵の仕事と変わらずコミュニケーション能力は不可欠な訳だ。

 ただ……疲れ果てているプランナー達にずかずか質問をぶん投げていくのは気が引ける。

 スケジュールに余裕がある訳でもないけれど、今日は実装する上で欠けていそうな部分や質問などを纏めておくだけにしようと思った。


 ……呪術の為に巫女はトランス状態になる必要があるって言うけど、縄文時代に酒があったとは知ってるけど麻薬まであったんだろうか。

 縄文時代に忠実に物語を進めていく訳でも無いのだけれど。

 そんな事を思いながら仕様書から定義書を書き込んでいると、赤岩さんが明石さんの方に歩いていくのが見えた。

 嫌な予感しかせず、イヤホンを付けていない事に後悔した。

「もう一つの方……」

「チームメンバーを過労死させたいのですか?」

「いや、俺が仕様作るなら」

「作ったところでそれを形にするのは貴方ではないんですけどね?」

「それは……」

 明石さんは、赤岩さんの方に振り向かずに、そんなやり取りをしていた。その気迫は凄く、多分赤岩さんが「俺が頑張ったなら皆も頑張って欲しい」とか言いたげなのを封じ込めていた。

「話はそれだけですか?」

「…………」

 赤岩さんは結局、それ以上何も言えずに戻っていった。

 その明石さんの手が、暫く強く握りしめられているのが見えていた。

 ……まず倒れるのは、明石さんかもしれない。

 そうしたら赤岩さんが好きにするのを止められる人が居なくなって……、いや、この想像はやめておこう。

「酒々井先輩、今、良いですか?」

「え、あ、大丈夫。コード、出来た?」

 声をかけて来たのは、もう一人の新卒の高神君だった。

「一応、はい」

「じゃあリポジトリに上げて。見ておくね」

 高神君のコーディング能力は明神君と比べて正直、見劣りがする。入社1ヶ月で分かる程に。

 リポジトリにソースを上げるだけの操作もまだ覚束ないようで、ちょっと時間が経ってからコードが上がってくる。

 そして眺めると、初っ端から溜息を吐きたくなってしまった。

 思い出すのは、大学時代の同級生。講義は真面目にノートを取り、実習の時間も教科書と睨めっこをしながら一生懸命にコーディングをしていた彼。

 けれど、彼はそれでもプログラミングが出来なかった。簡単な課題にいつまでも時間が掛かり、読めば分かるようなエラーに長時間首を傾げていた。

 そんな彼は、大学一年の後期のテストの途中で出たっきり、大学に来る事はもうなかった。

 似たような人は大学の中でぼちぼちと居た。そこで他人に頼れても、二年、三年になるに連れて、留年、中退していく人は多かった。

 ……残念ながら、プログラミングという作業には適性がある。

 それは、僕が大学で授業とは別に学んだ事の一つだった。

 そして高神君には、その適性は無いようにしか思えなかった。

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