2.
翌日。
いつものように定刻よりちょっと早めに出社すると、会議室のガラス張りのドア越しに、明石さんと赤岩さんが対面しているのが見えた。
覗きたくなる誘惑を振り切って、自分のデスクまで歩く。
今日の朝会は一体どうなる事やら……。
そう思いながらパソコンを立ち上げて、でも急ぎの仕事は昨日の時点で片付けていたし先輩もまだ来ていないしで、ニュースを眺める事にした。
昨日の発表での盛り上がりはトレンドを席巻する程ではなかったけれど、それでも原作プレイユーザーからの歓喜の声は数多に見受けられていた。
既にゲーム系のニュースサイトではそのような声を纏めて、昨日流したプロモーションビデオを細かく検証していたりする。
原作プレイヤーからの意見を纏めてみれば、より美麗になったグラフィックへの、そしてVRMMOとしての新体験への期待感がメインとして出てきている。
勿論、実際のプレイ画面を早く見てみたいと言う声もある。しかし、このシリーズが尻すぼみしてしまった原因である、続編で出してきた負の要因などは引き継がれていないかと言うような一抹の不安も流れていたり。
プロモーションビデオに関しては、放送で流した情報以外の隠し要素をこっそり入れていたりと言う事はしていないのだけれど、遠目でしか見えない埴輪の一つ一つがバリエーション豊かに作り込まれている事や、焚き火の表現が現実と等しいと言えるクオリティである事など、グラフィック担当の人達が頑張った点がそのまま注目されていた。
……赤岩さんが暴走しなければ、今頃そのグラフィック担当の人達はにやけ顔を止められなかっただろうに。
「これから、どうなるんだろう……」
不安は、つい言葉に出てしまう程だった。
「おはよう」
「あ、おはようございます」
振り返れば四つ上の先輩、宮崎さんがやって来ていた。入社して四年でサーバーのチーフエンジニアとして勤めを果たしている、凄い人だ。
いつも通りのボサボサな髪型と、シンプルでくたびれた服装をしている。
僕も似たようなものだけれど。
「宮崎さん、ちょっと良いですか?」
「昨日の事か?」
「あ、はい」
そう言うと、宮崎さんは小声で続けた。
「昼、食いに行くか。俺も、ここじゃ余り話せない事も話したい」
「……分かりました」
その言葉だけで、これからの開発が平坦ではない事を思い知らされたようで。
そして、明石さんと赤岩さんが会議室から出て来ていた。
定刻、朝会の時間だ。
ゲーム開発というのはグラフィックからモーション制作、ボイス、SE、各種設計及びにレベルデザイン、それらを組み立てあげるエンジニア等々、一つのチーム内でもやるべき事は多岐に渡る。更に同じ分野の中でもそれぞれが担当している事柄は全く別だったりして、それぞれがそれぞれの業務に集中していると他の誰が何をしているかという事が全く分からないという状態に陥るし、全体のスケジュール感も掴めなくなってしまう。
そんなチームとしての連帯感が全くない状況が続けば、仕様漏れも多くなるし、チームとしての士気も下がる。
それを防ぐ為に、プロジェクト全体の進捗や状況、それから勤怠などを共有しようと言う目的で開かれるのが朝会だ。
「始めるぞー」
昨日のストレスを感じさせない声で明石さんが言った。
チームの全員がデスクから立ち上がってから、明石さんが適当に挨拶を述べる。いつものような当たり障りの無い内容で、昨日の事には全く突っ込まない。思い返そうとしただけで赤岩さんが隣に居たとしても罵倒したくなるのだろう、と思った。そんな様子に赤岩さんは不満そうな顔をしていた。
話題を上げない理由はあんた自身にあるだろうに。
それから明石さんが直近のスケジュールや勤怠を確認する。スケジュールに関しても、赤岩さんが昨日投下した爆弾に対しては何も突っ込む事はしなかった。勤怠では二人程が私用で今週末に休む事以外は何もなかった。
けれど、そうして朝会が終わる最後に、明石さんが宮崎さんを含むそれぞれのセクションのチーフに呼びかけて会議室に来るように言った。
気怠い声で宮崎さんは返事をしてから、僕の方に振り返る。
「昼飯、行けないかもな……」
「……頑張って下さい」
これからのスケジュールがどのようなものになるか。それはこれからの会議に全て掛かっているのだと言っても過言ではない、と思う。
朝会が終わってから、そのチーフ達はトイレに行ったり自販機で飲み物を買ったりしてから、明石さんと赤岩さんと共に会議室に入っていった。
後は黙々と作業をする人達だけが残った。
まだ細々とサーバーを維持している「隔世の夢路」の最新作、「隔世の夢路 〜夕闇への旅路〜」にアクセスの急増が発生したとか言う話を見ていると、新卒の一人がやって来た。
「酒々井先輩、課題終わりました」
「あ、早いね」
新しく入って来た新卒の一人、明神君が言って来た。
「それじゃリポジトリに上げてくれる? ちゃんとしたレビューは宮崎さんを通さないといけないけど、僕でもさっとは見れると思うからさ」
「分かりました」
そっけなく明神君は返した。
宮崎さんをチーフとする僕達は、ユーザーデータやマスタ等を管理するサーバーを開発するセクションだ。
グラフィックからサウンドとは全くの無縁で、やる事の九割以上は文字との睨めっこという華やかさの欠片も無い業務。けれど同期やチートを防ぐ為には絶対に必要な部門。
その気になればゲームを遊んでいる全てのユーザーデータをぶち壊す事だって可能な技能を携える事になる部門。
そんな業務に携わるのに対して新卒二人に与えた課題は、簡単なガチャの実装。立ち上げたサイト上でボタンを押したら抽選の重みに従ってランダムな抽選結果が見られる、と言った本当に簡単なもの。
もうソーシャルゲームと呼ばれるものが隆盛してから100年という歳月が経った今では、基本必要な機能が自らの手で作らずとも良いようにライブラリが充実している。けれどそれとは別に、肝心な機能は簡単にでも自らの手で作っておく……構造を理解している、いないでは有事の際の対応に大きく差が出るものだ。
上がってきたソースコードを眺める。初々しい、どでかいプロジェクトで機能を追加するという事への思慮が無い実装。そんなコードに対しての指摘は簡単だ。
プランナーが言ってきそうな、そしてこのコードでは多少改造したところで対応出来ないような追加要望を言ってやれば良い。
明神君にチャットで返した。
"このガチャに天井の機能追加しようとしたらどうなるか、考えてみて"
少し後に、頭を掻きむしる音が聞こえてきた。
急ぎじゃないタスクがキリの良いところまで終わった頃には、昼飯にやや遅い時間になっていた。けれども、会議は終わる気配を見せていない。
昨日と同じく昼飯は弁当で済ませる事にして、外に出る際にその会議室をちらりと覗く。
赤岩さんが首を振っているのが見えた。他の人の表情までは伺えなかったけれど、心なしかげんなりしているように見えた。
「……」
この会議が今日中に終わるかも怪しいような気がしてくる。
論理という武器は、論理が通じる相手にしか通じないのだ。
そんな事を思うのは流石に失礼だろうかと思うが、正直なところ、そういう印象を持たないで済むとは思えない。
ビルから出ると、まだ涼しい風が体を震わせた。上着を着てくれば良かったと思いながらも、弁当屋に赴く。
仕事の最大の楽しみ、今日は何にしようか。
休めの海苔弁も大振りな白身魚のフライが入ってて悪くない。
他に安いものだとコロッケ弁当とか、生姜焼き弁当とか。ちょっと高くするとカニクリームコロッケ弁当とかヒレカツ弁当とか。
「いや……」
ちょっと寒いし、カレーライスにしよう。海苔弁より安いし。
「すいませーん、カレーライス下さい」
ビニール袋を携えてビルにまで戻ってくると、宮崎さんとすれ違う。
「会議、終わったんですか?」
「いや、休憩」
「……どんな感じですか?」
そう聞くと、宮崎さんは周りを見渡してから言った。
「クソだな」
「え、あ、はぁ……」
「明日にでも、後輩も連れて飯に行こう。行けたらな」
「……はい」
その日はチーフ達が会議室から出てくる事はなかった。
#
結局、会議が終わったのはその翌日の夕方だった。合計15時間位は話し合っていた事になる。
チーフ達の約2日分の時間を丸々奪っている時点でもう罪深いと思うのだけれど、そういう事は赤岩さんの頭にあるんだろうか。
時給換算で多分30万とかその位は吹っ飛んでるだろうし。
けれどそれよりも取り敢えず、出てきた全員が今にもくたばりそうな程に疲弊しているのが目についた。
どさり、と宮崎さんが座って大きく息を吐く。そしてくたびれた声ながらも明石さんが全体に声を掛ける。
「これからのスケジュールを発表する。まず、リリース日は延期しない。予算ももうギリギリだからな。
そして、リリース時に入れる機能は既存から一つだけ追加する」
「いや、二つじゃ」
「また貴方はプロジェクトから退職者を出すつもりですか?」
「この位なら大丈……」
「エンジニアの工数を理解していないなら黙ってて下さい」
殆ど切れている声で切り捨ててから、明石さんは振り向き直した。
「入れるのは賭博場だ。縄文時代らしい、原始的な占い等で賭博を行える場所を作る。
リリースまでに入れるのは、それだけだ。
プランナー達は早速仕様作成に取り掛かってくれ」
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