見知らぬ指輪

黒中光

見知らぬ指輪

 家に帰ったら、ポストに封筒が入っていた。このアパートは旧式で、ポストは建物入り口に固められているんじゃなく、玄関先のドアについている。

 引っ張りだした封筒は真っ白で何も書いていない。消印もついてないから、直接投函したんだろう。中に小さな丸い手ごたえがあるのも気になってとりあえず開けてみた。

 封を逆さにすると転がり出たのは指輪。シンプルだけど、小ぶりなダイヤがついていて品が良い。中にあった手紙も読んでみる。

 すぐに後悔した。

 書かれていたのは別れ話だった。


『ミツくん。未奈美です。先週のプロポーズありがとう。返事が遅くなってごめんなさい。ずっと、ずっと考えました。

 答えは、ノー。

 ミツくんは、優しくてあたしをドンドン引っ張って楽しませてくれました。だから、プロポーズが嬉しかったのは本当です。

 でも、あたしはもっと穏やかに過ごしていきたい。細やかな幸せがあればそれでいいんです。ミツくんみたいに刺激を追い求めて行動するのは立派だと思うし、素敵なことだと思うけど。多分、あたしは一緒にいてずっとそのペースでいられる自信がありません。

 勝手なこと言って、ごめんなさい。指輪はお返しします。未奈美』


 返却されたエンゲージリングを見つめながら崩れ落ちる。まだ手の中にあった手紙を握りつぶしてしまいそうで、急いでリビングのテーブルに置いた。

 どうしようもなく溜息ばかりが零れる。

「いや、あんた誰!?」

 未奈美なんて知り合いいないし、そもそもあたしは女だ。未奈美こいつ完全に間違って投函してる。こんな大事な手紙を!

 あまりの衝撃と突拍子のなさに仕事帰りの疲れも吹っ飛び、変な笑いが出てきた。ひきつけみたいに床を転がってから考える。

「やっぱ、元の持ち主に渡さないとなあ」

 あたしに非がないとはいえ、ほったらかすのは気が引けた。ここで知らせてやらないと『ミツくん』とやらは、叶うべくもない結婚に心躍らせ続けることになる。それは可哀想だ。

 勝算はあった。勘違いしたとしても大きく投函する部屋を間違えるとは思えない。大方、隣のどっちかだろう。

 面と向かって説明するのもアレだし、ポストに入れとけばいいだろう。

 そして、両隣の標札を確認。『大阪満おおさかみつる』と『島田光明しまだみつあき

「どっちも『ミツくん』かよ……」

 あたし、何か悪いことしたかな。夜風に吹かれて指輪がずっしり重くなった。


 翌日、土曜日。せっかくの休日だというのにあたしは玄関先に張りついていた。

 あたしは今週引っ越してきたばっかりで、お隣さんとの絡みがほとんどない。だから、まずはお隣さんをじっくり観察して『ミツくん』を見つけてやろうと思った。当然、直で未奈美という名前を出したら早いんだろうけど、それじゃあもう片方にも事情を知られかねない。傷ついた心に塩を塗りこむような真似はするまい。あたしって、やっさしー。

 右側からガチャガチャとチェーンを外す音がした。大阪満が出てくるらしい。

「おはようございますー」

「ああ、おはよう」

 タイミングを合わせて外に出ると、髪を染めたイケメンがいた。歳は若い。大学卒業したくらいだろうか。ラフなシャツが似合ってる。

「えっと、新しく越してきた人?」

「前園結奈ゆいなです。よろしくお願いします」

「結奈ちゃんか。俺は大阪です。年近いし、堅苦しいの苦手なんで満って呼んでください」

 いきなり名前呼びか。距離グイグイ詰めてくるな。戸惑ったけど、ここは相手に合わせないと。今は相手を知るのが大事。

「お出かけですか?」

「ああ、買い物に」

「ふうん、ここの事よく知らなくて。買い物ってどこがあるんですか?」

「あー。俺は。ちょっと楽器屋に」

「え、音楽やってるんですか! カッコイイ」

 音楽か。活動的なタイプにはよくある趣味かも。こいつが『ミツくん』かな?

「好きなバンドの追っかけやってたんだけど、聞いてるうちに自分でもやりたくなってさ。部屋でギター弾くんでうるさかったら言って。あ、そうだ。連絡先教えてくれる? わざわざベル鳴らすのも面倒でしょ?」

 半ば強引に押し切ってくる。こりゃ、凄い。イケメンにグイグイ来られたらコロッと落ちちゃいそうだ。スマホをタップする指先では、爪がやすりで丸く整えられていた。意外と清潔感がある。

「満さん、モテそうですね。彼女とかいるんですか?」

「どうだろな~。結奈ちゃんこそ。絶対彼氏いるでしょ」

「いや、いないですよ」

「えっ、マジで」

 その後も会話を続けたが、話の流れを引き戻せず終了。新譜を買いに行くという満と別れて部屋に戻る。


 島田光明に会うのは、日曜日の夕方になる。近所のスーパーに行って戻ってくると、廊下をやたらと大きなリュックを背負って歩いている男性を見かけた。リュックは落ち着いたオレンジ色で、手にはランプを持っている。

 あたしの部屋の前を通りすぎた段階ですぐ分かった。その先には島田光明の部屋しかないから。

「あの、すみません」

「はい」

「島田さんですよね。隣に引っ越してきた前園結奈と申します。よろしくお願いします」

「これはご丁寧に」

 島田光明は眼鏡をかけた落ち着いた男性だった。歳は少し上で渋い感じ。シンプルな装いなのに、物腰や仕草が丁寧で上品さを感じた。

 彼なら年上好きの女の子に間違いなくモテる。

「荷物凄いですね」

「ええ。キャンプが趣味なもので。道具がかさ張るんです」

「最近、流行ってますもんね。お一人で?」

 キャンプなら、各地を巡るだろう。時期に合わせて変わる景色を感じに行くなら『刺激を追い求めて行動する』という手紙にバッチリだ。

 『ミツくん』っていうタイプには見えないけど、恋人同士ならあり得なくはないか。

「ソロキャンですか。僕の場合はそれですね。一人でのんびり自然にいると癒されますよ。まあ、こだわってるわけでもないんで連れ立っていくこともありますが。

 興味ありますか」

「すこし」

 話に合わせてるわけじゃなく、これはマジなやつ。ピーナッツに出てくる、たき火でマシュマロ焼くシーンが地味に憧れだ。

「じゃあ、いざとなったら言ってください。ある程度なら道具を貸しますから」

「いいんですか?」

「最近古くなったアウトドアチェアとか買い換えたんですけど、こういうの結構しますから。構いませんよ」

 そこまで言って、疲れていたのか島田光明は部屋に引っ込んでしまった。


 これで2人の『ミツ』に会ったわけだが。一体どっちが本命か。指輪があたしの手元に来てもう2日。『ミツくん』がしびれを切らせて未奈美に返事を求めたりしたら。エンゲージリングが無くなったことに気づくだろう。

 あたしが持っていることがバレたら。気まずいなんてものじゃすまない。

 急いで結論を出さないと。

 一日、考えた。仕事そっちのけで考えた。そして、結論を出した。


 仕事帰り。家に戻ると着替えもせずに封筒を手に取り、『ミツくん』のポストに投函した。

 肩の荷がようやく下りて、うんと伸びをする。

「あれ、どうしたの? うちに用?」

 見られた。『ミツくん』に。大阪満に。

「そっか。そんなことがね。悪かった。気い使わせて」

 言い訳してもすぐにばれると思って、全部話した。別れ話のこと。エンゲージリングが間違ってあたしの手元に届いたこと。

『ミツくん』の正体は、出費を考えれば明らかだった。

『婚約指輪は給料3ヶ月分』とはよく聞くフレーズ。実際にはそこまでしないそうだけど、お高いことには変わらないだろう。それを先週女性に送ったとして。男性側はそんなに使えるお金が残らないんじゃなかろうか。最低でも、節約するんじゃなかろうか。

 大阪満が買いに行ったのはギターの楽譜。ネット検索だけど、楽譜集は5000円しない。1曲分だけならワンコインでも買える。対して、島田光明が買ったアウトドアチェアはその3倍以上。支出の差は明白だった。

 あたしの目の前で大阪満は手紙を読んでいた。顔が赤い。

「未奈美はさ。勘違いしないでほしんだけどさ、ホント良い子なんだ。優しくって、おっとりしてて。物静かって言うかさ、ゲラゲラ笑うんじゃなくて、ほんのり笑うんだ。それが無茶苦茶可愛くて。それが見たくて、色んなことした。フェスを見に行ったり、弾き語りとかしてみたり。下手くそなのに褒めてくれてさ。すげー、嬉しくっ、て。

 でも、俺の都合で引きずりまわしてたんだな。そこらへん、全然分かってなかった。なかなか、自分のこと言いだせないから。気ぃつけなきゃ、いけなかったのに」

 声を震わせ、目に涙を溜めながら。それでも笑う。そんな彼を見ていると、胸が痛い。こっちが泣いてしまいそう。

「だからさ、良かったよ。ちゃんと、未奈美あいつがさ。思ってること言ってくれて。

 ……結奈ちゃんも、ありがとね。今度、焼き肉でも奢るよ」

「楽しみにしてます」

 んじゃ。

 それであたし達は別れた。

 アパートは安普請だ。大きな声とか物音なら聞こえてしまう。だから部屋に戻ると、すぐに寝る時用の耳栓をつけた。

 彼が最後まで男の意地で見せるまいとしたものを、女のあたしが絶対に聞かないように。

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