第11話 レイナの友達


 リアス。それがレイナを買った男の名前だった。ここら辺では見られないレイナと同じ顔の線を持った人物だ。


 どうやら冒険家になりたくてレイナを購入したらしいけど、冒険の知識どころか言語や基本的な常識すらないバカだった。

 まるでほかの世界からこっちの世界に飛ばされてきたようなあやしい奴だ。


 もっともおかしいのは奴隷なんか買う出来損ないのくせに、仕事が終わったら自由時間を保障したり、ほしいものを買ってくれたり、敵意までさらけ出すレイナを人間として対してくれたりするってことだった。

 レイナを購入してから9日間ずっと。


 でも、だからとして好意を抱いたことは一度たりともない。

 奴隷の気を引くために優しく接してくれたり甘い言葉を渡す童貞の話なんてありふれてるから。


 本気でレイナを人間として対したいのなら、まずは奴隷契約を解除して対等な立場になろうとしたはずだ。そうしないってことはやっぱり、裏があるに違いない。


 だから信じない。


「ん?なに?」


 油で揚げた鶏の丸焼きと穀物が入ったじゃがいもスープを食べていた彼が、レイナの視線に気づき頭を上げる。


 最初は小食家だと思ってたのにいつからかああやって一人分を食べ始めていた。

 もしかすればレイナが食べる量を減らしたからかもしれない。悔しいけどいつまでも5人分を食べることは無理なのでこのいじめだけはあきらめるしかなかった。


「なんで童貞なのかわかりそうな顔だと思っただけです。」


「お前こそその顔で処女ってふざけてるんだよね?」


 思いもしなかったカウンターに顔が熱くなって彼をにらみつけた。


「最近生意気すぎだと思いませんか?」


「ちょうどお前が俺にやってるだけやってんだよ。わかったら少しは反省したらどうだ?」


「なんでレイナが奴隷フェティシの変態なんかに反省しなければならないんですか?」


「そろそろ仲よくしよってことだよ。冒険家試験は明日なんだぞ?」


「絶対。」


「……あ、そう。」


 気にせず食事を続けるのでレイナも腕を組んだまま顔をプイッとそむけた。


 ご飯を食べる姿からして声、話し方、行動、しぐさ、瞬きまですべてが神経に障る。日を重ねるたびに情が生まれるどころか嫌いな気持ちが大きくなって仕方がない。


 その中でも最も嫌いなのは、いつかいい人のふりをするのも飽きて本性を現す日が来るってことだった。

 主人にとって奴隷は人間の形をしたペットみたいなものだ。

 最初は愛情を持つかもしれないけど、優しい心が本物かもしれないけど、時間が過ぎたら結局飽きてしまう。外見と主従で得た愛情なんて所詮そんなものだから。


 だから無駄な夢なんて見ない。いつかそんな日が迫ってきても、より大きな絶望に落ちないために。


 顔を上げてカウンターについている時計を確認する。12時3分。食事も終わったしそろそろ会いに行かなければならないので席から起きる。


「どこに行くんだ?」


「いつも言ってるでしょ?あなたとは関係ないって。」


「……あまり遅くなるなよ。」


 なにそれ。本人は心配のつもりのようだけどレイナの目には一種の所有欲にしか見えない。返事もせずに店の外へと出る。


 月がきれいな夜だ。狩りを終わらせて戻る途中では雲に隠されていたので見えなかったけど今は月だけが雲の外から世界を照らしていた。商店にとり縛られていた時にはこうやって外で空を見上げることが願いだったのに、一週間も過ぎると何も感じられなくなっていた。

 降ってくる風に髪を流しながら壁について店の裏側に向かう。


 ……ふむ。今日もまだ来てないみたいだ。昨日も来なかったんだけど、何かあったのだろうか?

 ここはタバコの臭いがするから長くはいたくないと思いながら、店のものに見える酒樽に座る。

 溜息を吐きながらまた月でも見上げようとするのに、後ろから気配が感じられた。


「バッ!!」


「フエッ?!」


 なんだ?!誰だ?!変なことしたらぶっ飛ばすぞ!………あ、知ってる人だ。それに気が付くと恥ずかしさとともに腹が立ってきた!いきなり何してんだこの女!


 そんなレイナを見ながら悪ふざけをかけた本人は「なははは」と楽しそうに笑った。


「いい反応してくれるね。隠れていたかいがあったよ。」


「な、なにしてるんですか!襲われると思ってびっくりしたじゃないですか!!」


「ごめんごめん。ただ待つだけは退屈でさ。でもいくら月の光しかいないとはいえ、近くに人もいるのに襲われると思うなんて、被害妄想がすぎるのは相変わらずだね。」


 被害妄想なわけあるか!誰もいない暗いところで、しかも後ろからいきなり大声を出したら仏様もびっくりするんだよ!

 目でそう抗議するレイナを軽くパスして、彼女はポケットから出したタバコを口にくわえた。


「お前も一つやってみる?」


「やりません。肺が悪くなるだけだし、わざわざそんなもののために金を使ってる人の気持ちがわからない。」


「確かによくはないけどよ。こんな物でもしなければやってられないんだよ。奴隷なんて。」


「主人がたばこ嫌いではなかったんですか?」


「寝てるから大丈夫。それに万が一のため無臭香も一つ用意しておいたから。」


 そういいながら無臭香が入った袋を振った彼女はたばこに火をつけた。


 彼女の名前はジャンヌ。レイナと同じ商店出身の、奴隷だ。


 おいしそうにタバコを満喫している表情に比べて顔はまだ少女から逃れてない予備淑女のように見える。ただ緩やかに下がった視線だけが年輪を示していた。

 花びらでも乗せられそうな長いまつげに、鹿のような瞳は青く薄くなったり赤くなったりを繰り返している。多彩な紫色というか。


 少女らしい好みがいっぱい入ったドレスは白がベースで彼女の目のような柔らかい紫色、レースと赤いリボンは風が吹くたびにひらひらとひらついている。

 すごく似合うと思うけど知ってる限り彼女はあんな服を好きではない。


「デートでもしてきたんですか?」


「久々に外食してきたよ。おまえも今食事が終わったのか?」


「はい。町に戻ったのも1時間ほど前です。」


「明日が試験なのにファイティングがすぎるんじゃねえの?今日はスカージバットをとりに行ったっけ。どうだった?今日の冒険は。」


 彼女がタバコの煙を吸い上げるので少し距離を置いた。タバコのにおいは嫌いだけど月に向かって広がるタバコ煙は風情があると思う。


「歩くのに時間がかかったことを除けば、狩り自体は楽でした。熱に反応する奴らだし危険を察知すると毒を撒きながら勝手に自爆しちゃうから焼いた石に爆弾をつけて処理しました。………そして洞窟に毒が充満したときに火をつけた矢で洞窟ごと爆発させたんです。」


「え?バットを自爆させるのは定石だけど毒まで爆発させて処理するとは、むちゃくちゃだな。お前が提案したのか?」


「そんなわけないでしょ。今回もあいつの作戦でした。」


「まじ?アハ!素人のくせにいい度胸だね。それに実用的だ。 本当に冒険を始めてから9日しかなってないの?」


「多分、ですけど。初日のゴブリン狩りの時には質問ばっかしてたしゴブリンの子供を殺すときにも少しだけど迷いました。素人なのは間違いないはずです。」


 彼女があきれたみたいにケケケケ笑うと、それに合わせてタバコの煙が漏れ出た。


「要するに天才ってやつ?やだなぁ本当~ 奴隷なんか買う奴が才能まで持ってるなんて。やっぱり世の中に神ってものはないみたいだね。」


「……才能みたいな大したものではありません。ただ頭のおかしい変態なだけですから。」


「変態か~ まあお前としてはあいつのことなんて認めたくないだろうからな。」


 才能だけではない。存在そのものを否定したい。まったく…… 喉でも詰まって死ねばいいのに。


「でも神様はいなくても因縁てものはあるみたいだね。」


「……?」


「だってそうでしょ?商店を出るときにはまた会おうとか言ってたけど、まさかこんなにも早く再会するとは思わなかったからね。」


「それはレイナだって同じですよ。見覚えがある顔だと思ったのにまさか本当にジャンヌだとは思いませんでしたから。」


 彼女が出荷されたのは3か月前。そんな彼女と再会したのは九日前のこの旅館に入った時だった。

 最初は似た人だと思ってた。動きやすい服を好む彼女が今みたいなひらひらする服を着て記憶の中とはあまりにも違う雰囲気の笑みを浮かべていたから。

 おそらくこれが主人の好みなのだろう。


「それにうちの奴と同じ冒険家試験の受験生とはね。」


「お互いD級の冒険家に売られると思ってたんですけどね。」


「いや、トップ10のお前は確かに予想外だけどよ。あたしなんかこうなって当然でしょ?」


「21位をあたしなんかとは言いませんよ。まったく…… 悪い癖ですよ?自分をそんなに貶めるのは。」


「冷静に自分を評価しただけなんだけど。」


「そういうのは自己評価じゃなくて自己批判ていうんですよ。」


「うーん…… そうかな?なんかあんたがそう言ったら本当にそうなのかな?て思っちゃって困るよ。」


 彼女がもう一度タバコの煙を吸い上げる。本当においしそうに吸っていたので好奇心が生まれないわけでもないけどにおいを嗅いたらやっぱ無理ってブレーキがかかる。

 しばらく何も言わずに月だけを見上げて、レイナのほうから言った。


「……あの、昨日はどうしてこなかったんですか?」


「ずっと野郎の相手をしててさ。ごめんな、会えないって何とか伝えなければならなかったのに。」


「べ、別に問い詰めるつもりじゃありません。忙しかったら仕方ないし、長く待ってたわけでもないから。ただ、その…… 面倒だから来なかったとかじゃ…… ないですよね?」


「ん?もちろん違うよ。」


 即答で否定してくれたのはよかったけど、まだだった。


「あのですね…… 最近会うたびに一緒にいる時間が、減ってません?」


「そうだっけ?あまり意識してなかったからわかんない。」


「そうでしたよ!明らかに減ってましたよ!」


「ふむ。本当にそうだとしたらちょっと疲れたからかもしれないね。こんな見苦しい恰好で外を歩き回ってたから。」


「み、見苦しくありません!ジャンヌにとっては気に食わないかもしれないけど、一応似合ってるって思ってますから。その服。」


「おおっ?本当?ありがとう。あたしが男だったら今ので惚れたよ。」


 いや今ので惚れたらちょろすぎでしょ……


 昔からしっかりしてたくせにレイナと一緒にいるときだけは態度が軽くなった。誰とも適当な関係を維持しながら隙を見せなかったのに、レイナにだけはあんなに気楽な姿を見せてくれた。


 これはやっぱり。特別扱い、ってことだよな?


 いやじゃない。むしろ…… 結構うれしいかも……


「もしかしてあたしに会えなくて寂しかった?」


 二ヒッ笑いながらからかう言葉に、心臓が大きく震えたので手で防御壁を形成しながら答えた。


「ち、違います!なんでレイナがジャンヌがいないくらいで……!」


 断言するけどユリになった覚えはない。だが必死に否定する姿は自分から見てもおかしいと思う。

 彼女もそれに気づいてはさらに意地悪な表情をした。


「そういえばお前、あたしが出荷される日にぽろぽろ泣いてたよね?」


「っ……?!」


「スカートまでギュッと握って。維持張ってる子供みたいでめちゃめちゃかわいかったんだけどな~」


 その時は二度と会えないと思って感情が漏れ出てた。何とかワンワン泣くのは避けたけどあふれ出る涙はどうしようもなかった。レイナにとっては忘れたい黒歴史だったのに、彼女は覚えていたみたいだ。


「な、なんでいきなりその時の話をするんですか……?!」


「今のお前を見てたら思い出して。」


「何それ!」


「まあいいじゃん。素直に寂しかったよ~って言ってよ。」


 からかって思いっきり笑う。顔が熱かった。このままではだめだと思って一言言ってやろうと思ったのにー


 突然彼女の笑いが止まる。瞳孔が拡張し、驚いた表情でレイナの後ろを直視している。

 彼女の視線を追うと、そこには一人の男が立っていた。


 それは見覚えがある顔だった。これという特徴がなくて印象には残らなかったけど、いつもジャンヌと食事をしてたからちゃんと覚えている。


 ……ジャンヌの主人?!


 なに?寝てたんじゃなかったの?いやそんなことより…… 知ってる限りあの男はジャンヌが吸煙することを嫌がっている。

 リアスと同類のあの男は表面的には奴隷にやさしいらしいけど、支配欲が強くて自分の命令を聞かない場合面倒になるってところがリアスよりもたちが悪かった。


 とにかくここではジャンヌをカバーするため首を戻すのに、ない。


 いなかった。


 彼女はもうタバコを捨てて主人に向かっていた!早い!


「あれ~?ご主人様。明日早起きだから早寝にするって言ってませんでしたか?」


 ………誰だよあんた。


 低かった声は一気に明るいトンに代わった。別に初めて見たわけじゃないけど普段の彼女の声とギャップがひどくてなかなか慣れない。

 同時に顔にはさっきまでのぬるい笑顔ではなく旅館で見たおとなしい笑みを描いていた。

 レイナがジャンヌをすごいと思う一番の理由だった。全く予想できなかったことが起きても、彼女は問題が起こるのと同時に問題を把握することができた。


 自分がとるべき行動を即刻的に実行してしまう対処能力。商店にいたころにはあの能力に何度も助けられた。

 タイミングには似合わないけど、今更感心してしまう。


 幸い見てないのかジャンヌの主人も嬉しそうに笑みを描いた。見た目はどこにでもいそうな普通の印象の少年で、典型的な村人Aだ。

 だがその名はフェリックス・ノルデン。ああ見えても苗字と地位を持った貴族だった。


「俺もそうしたかったけどよ、お前の帰りが遅すぎて探しに来たんだ。明日は試験だからコンディションのためにも早く寝なければならないって言ったろ?」


「私は大丈夫ですってば~ 何時に寝てもいつもご主人様よりぴんぴんしてるでしょ?それに昨日は友達と会えなかったんだから今日ぐらいのんびり話したかったんですよ。」


「そういわれたら返す言葉がないな…… 昨日は俺のせいで会えなかったんだからさ。でも今回ばかりはわかってくれよ。万全を期したいんだ。俺がどれだけこの日を待ってきたのかはジャンヌだって知ってるでしょ?」


「……ちぇっ」


 ジャンヌはすねた顔で意地を張る子供みたいな仕草をしたけど、納得はした。


 結論から言えば彼女はレイナと同じで主人のことを嫌がっていた。清々しい性格の彼女なのにも毎日執着が激しいと悪口を叩くほど嫌っている。今も本当は納得ではなく怒りたかったはずだ。それなのにもそうすることができないのが奴隷の限界だから、ずっと悔しいはずだ。

 そんなジャンヌの心も知らずに、苦笑いした彼はジャンヌの頭に向けて手を伸ばした。


 頭なでなで…… 愛情がある相手ならともかく何の感情もない、むしろ嫌いな奴にあれをされたら不快なだけだ。

 今度もジャンヌの表情に変わりはなかったけど、こぶしをぐっと握るのが見えてかわいそうだった。

 そんな彼が今度はレイナのほうを振り向いた。


「初めまして。ジャンヌの主人のフェリックス・ノルデンだ。レイナちゃんだな?」


「……初めまして。」


 初対面でレイナちゃんにため口、礼儀のない奴か奴隷だからってなめているんだ。

 リアスほどではないけどこいつも嫌いだ。本当はしかとしたい。でもそんなことをしたらジャンヌが困った立場になるので返事はする。


「店では遠く離れてたからこうやって話するのは初めてだね。」


「そうですね。」


「ジャンヌから話はいつも聞いてたよ。奴隷商店にいたころから仲が良かったって。」


「はい。」


「それに商店では冒険家奴隷の中でもトップ10に入る実力だったって?俺より年下なのにもすごいな~」


「ありがとうございます。」


「……え?」


 こいつは…… 奴隷はみんな優しくさえしてあげれば従うと思っている奴だった。

 ほめたり頭をなでたり、ちょっと優しくしてあげたくらいで惚れると思っている。

 そんな奴は奴隷以前に女として相手したくない。きっと今のでレイナが顔でも赤めながら恥ずかしがると思ってたのだろう。純粋にほめる目的だったら普通にうれしかっただろうけど、狙い杉で何も感じられなかった。


「あ、あ!もしかして俺が貴族だからって緊張してるの?そんな必要はないよ~ ジャンヌから聞いたかもしれないけど俺は奴隷も人間だと思って対しているんだからさ。」


「それはご立派ですね。」


「え?!う、うん……」


 続けて撃墜されるとジャンヌが痛快そうに笑いをこらえているのが見えた。それを見るとレイナまでちょっとうれしくなる。

 大したことをしたわけじゃないけど少しでも彼女の気分が晴れてよかった。


「あ、あのー」


「そういえば明日はレイナも早起きでした。」


「え?」


「それじゃ失礼します。また会いましょうジャンヌ。」


「うん。またねぇ。」


 さっき二人の対話からして、これ以上はジャンヌと話しそうにない。ならこれ以上ここにいる理由はない。帰りたくはないけど、今日はこの辺で帰ることにする。


「ちょ、ちょっと待って!実はここに来たのはジャンヌだけではなくて、君にも用があってきたんだ!」


 そんなレイナを、ノルデンが捕まった。本当は無視したい気持ちがやまやまだ。でもさっきも言った通りジャンヌのことを考えればそうするわけにもいかない。


「用って、なんですか?」


「単刀直入で話すね。もしかして君ってさ、奴隷だからって主人に虐待されてないか?」


「………は?」


「俺、君を助けたいんだ。」


 その根も葉もない一言を聞いた瞬間― 頭の中が真っ白になった。雪に覆われる。霧に包まれる。ペイントが塗られる。


 今なんて言ったんだこの男……?助けたい、だと?


 奴隷を自分好みに着せておいたくせに、命令で自分の情報を言えないように縛っておいたくせに、立場でジャンヌの初めてを奪ったくせに、


「助けたい、ですって……?」


「そうだ。奴隷契約に縛られて毎日主人の勝手な都合のせいで厳しい訓練に出ているんだろ?しかも冒険に関する知識もないからレイナちゃんに負担ばっか背負わせているらしいじゃねえか。全部ジャンヌから聞いたよ。きっとこれ以外にも言えないひどい目にあってるんだろ…… 俺は許せない。君みたいなかわいい女の子がそんな目にあってるなんて。」


 まるで物語に出てくる主人公のようなセリフだった。だが言っることとは全然違う言い方と行動に、気持ちが悪くなる。腹が立つ。顔面に出そうだったので急いで顔を下げて答える。


「……うれしいことだけどお断りします。心配してるほどの生活はやっていません。」


「無理しなくてもいいよ。正直に言っても奴隷のレイナちゃんには被害がないようにするから。」


「いやそんなんじゃないですから。本当にレイナは大丈夫ですから。」


「大丈夫なはずがないじゃないか。奴隷なのに。」


「余計なお世話だって言ってるんですよ。」


「そんなはずがない。」


「何断言してるんですか。」


「じゃあ逆にレイナちゃんはそいつの奴隷で幸せか?」


 奴隷奴隷うるせんだよさっきから!それにそんなわけないだろう!

 毎朝毎晩!あいつの態度が変わるのが怖くて我慢ができない。そんなもので震える自分がみじめで仕方がない。もし自由になれるボタンがあったら今すぐにでも押してあいつから解放されたいって思うくらいだ。


 ……でもだからと言ってこんな奴に助けられたくなかった。

 だって…… こいつの助けるは、助けてくれるって言葉は、奴隷から解放してくれるって意味ではないから。


「心配するな。俺に任せろ。俺がぜってえ、レイナちゃんを助けてあげるから。」


 問いに答えられず口を閉じると、それをどんなふうに受け取ったのか彼はそういった。

 そしてさっきジャンヌにしたように手を伸ばして、あまりにも軽く、レイナの頭を撫でた。


 パッ!


「……?!?」


「……?!?!」


 頭に届いた手を振り払うと、彼が驚いた顔をする。それはレイナだって同じだった。

 ほぼ反射的に出た行動だったので自分でもしまったと思ったのだ。


「お前なんか……」


 だが、手首をつかんだまま状況を把握しようとする彼を、レイナはより強くにらんだ。

 もう我慢がならなかったからだ。気持ち悪いことにもほどがある。


 こうなったらもういいわけも通じない。ならいっそー 殴ってやろう!

 そう思ってこぶしを握ろうとした、その瞬間だった。


「だめですよご主人様!」


「……!」


 そんなレイナの間に、ジャンヌが割り込んだ。

 腰に手を当てたままほっぺを膨らませたその姿には、本当に怒ったっていうよりは熱くなったその空気を静めようとするかわいさが込められていた。

 落ち着けというかのようにレイナをチラッと見た彼女は続けて彼に言った。


「前にも言ってましたよね!レイナは人見知りがひどい子だって。知らない人が近づいたら怖くてはわわになっちゃうんですよ!」


「あ…… あっ……!そういえばそんなこと言ってたな…… ごめんねレイナちゃん。そんなつもりじゃなかったのに。」


「それにレイナは今まで奴隷として生きてきました。ご主人様みたいに優しくしてくれる人をいきなりであったらびっくりして話なんかできなくなるんですからね。」


「ああ…… そうか!そんなことだったのか…… どおりで…… ずっと反応がなかったのは固まってたからか…… 変だと思ったよ。奴隷なのに……」


「言いたいことは伝わったと思うから今日はもう帰りましょ。」


 さぁさぁと背中を押すジャンヌにノルデンは慌てながら言った。


「ちょ、ちょっと待ってジャンヌ!そうだとしてももう少し話をすればー」


「もう!どうしてそんなに気がきかないんですか!」


「え?」


「明日が試験だから不安なんですよ?友達と遊んで不安を消そうとしたのに、それすらだめって言ったじゃないですか!だから代わりに責任取ってください! ……パパ。」


「……?!」


 耳を疑いながら顔を上げるとー 同じく驚いた顔のノルデンが見えた。

 視線を少し下した彼は喉を鳴らした。そして鼻の下を伸ばし、笑う。


「そ、そうか!それはいけないよね!うん!じ、じゃあ今日はこの辺にして寝室に戻ろうか?」


 態度が一変したノルデンはとても軽くなった足取りで宿へと戻る。ジャンヌもそんなノルデンについて宿に戻った。

 行く前に、彼女はレイナに向かって笑ってくれる。大丈夫だから気にするな、そんな意味の笑みだった。


 二人が消えてレイナはしばらくそこから動くことができなかった。


「クソ……」


 5年前からずっと、覚悟もして予想もしてた。奴隷だからという明確な理由もあったから納得もした。


 でも…… それでも悔しかった。


 あんな奴にこんな扱いされたのが腹立つ。納得するしかない現実が悔しい。何もできなかったのが恥ずかしい。


 商店にいたころ唯一レイナを助けてくれた人に、励ましてくれた人に、大丈夫って笑ってくれた人に、何もしてあげられないってことが。

 申し訳なくて熱く上ってきて漏れ出る。


「クソ……」


 もう一度つぶやきながらでも声は出ないように我慢する。

 涙を流すとき音を出したらいけない。そう学んだから。そう育ったから。

 それが― 奴隷がなく方法だった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「………昨日なんかあったのか?」


「何もなかったって言ったじゃないですか。」


「いや…… どう見てもなんかあったじゃねえか。」


「………しつこいなクソ野郎が。」


「クソってお前さすがにひどいだろ!」


 昨日の夕食が終わって用事があるからと出かけてきてからずっとこんな状態だ。泣いたのか目は腫れていてテンションは普段より低かったけど口はずっと汚くなっていた。

 毎晩出かけたし人にあってきたってことは間違いなさそうだけど、誰にあってきたのかわからないから何があったのかも想像が付かない。

 本人も言いたくないみたいだし、プライバシーだから深くは問わない。

 だけど、いくらなんでも心配になってしまう。今日試験だし。


「はあ…… 言いたくないなら別にいいけどよ。試験にはちゃんと集中してくれよ?」


「あんたこそレイナの足引っ張らないように気を付けてください。一応協力してあげますから。」


 ふむ…… まずはほっとくしかなさそうだ。読心術士じゃあるまいし、言ってくれないとなぜ機嫌が悪いのかわかるすべがない。それに元カレに振られた!みたいな訳だったら俺としてはとても相談にのってやれない。


 プライバシーだからともう一度納得してそれぞれの日課を始める町人たちを過ぎながら冒険家協会に向く。

 協会はいつもと同じだった。いつもと同じで掲示板を見たり仲間と相談したり受付から報酬を受けたりしながら自分のやるべきことをしている。

 少し緊張しながら受付のほうに向かった。


「冒険家試験を受けに来ましたけど。」


「いらっしゃいませ未来の英雄様。試験を受ける前に身分証明書の提出と、こちらの用紙にサインをしていただけますか?」


 うことった用紙は恐ろしいことにも死んでも構わないという誓約書だった。予約すれば試験途中で受ける怪我や精神的ダメージはもちろん、死ぬことになっても協会は一切の責任も取らないって内容だ。

 さっきまではなかった実感を感じながら誓約書にサインして身分証明書とともに用紙を提出する。


「誓約書、確かに受け取りました。次はこちらの時計をおつけください。」


 黒い電子時計だ。 横にボタンがあるが、押すと現在の時間以外にもアラームやストップウォッチ、タイマー画面が表示される。そして、その小さな画面の上には、81194という番号が書かれていた。


「その時計は試験を行う受験生の皆様の受験番号になります。協会から受験生の皆様の位置を把握することにも使われており、試験に必要な場合もあるので壊したりなくしたりしないように注意してください。」


「わかりました。」


「説明は以上になります。こちらへどうぞ。」


 彼女はデスクの突き当たりにある門に俺たちを案内した。

 門を開けるとそこには暗くて不気味な廊下がつながっていた。ホラー映画で見た必ずお化けが出てくるって感じの廊下だった。


「一本道ですので前にまっすぐ歩いていけは1次試験場が出ます。それでは行ってらっしゃいませ。」


 受付さんの挨拶を最後に、俺たちは廊下に足を踏み入れた。奇妙なことにも門が閉ざされて光が完全に遮断されたのにも進むべき道がはっきりと見えていた。

 何が出ても驚かないように軽く深呼吸して、廊下を進む。

 するとレイナが真後ろにくっつく。


「……こんな雰囲気苦手なのか?」


「べ、別に……」


「服敗れそうだぞ?」


「このぐらいで敗れたら着る意味ないですから。」


「いや服ってそんな意味で着るもんじゃないから。」


 大嫌いな俺に頼るぐらいだからよっぽど苦手のようだ。普段もこのぐらいかわいかったらよかったのに。苦笑いしながら彼女に聞いた。


「冒険家試験について聞いたことあるか?」


「あるけど聞いても無駄ですよ。毎年試験官は変わるし内容も千差万別ですから。」


「わかってる。それでも聞いておきたいんだ。万が一のため。」


「……去年には2時間の間全力で走らせたらしいです。1次試験だったんですけど一度でも速度を落としたり止まったらすぐ脱落。」


「2時間も全力?!人間にできることじゃねえだろそれ……」


 知ってる限りマラソン世界チャンピオンの記録だ。しかも全力ダッシュて、機械でもない以上できないことだ。そんなバカげた試験だったのにも受かんだやつがいるのか彼女は続けていった。


「2次試験は受験票の奪い合いでした。受験生同士で手段方法選ばず受験票の時計を5つ奪うのが試験の内容でしたね。」


「1次試験で生き残った化け物同士のバトルロイヤルだったから、相当派手なことになってたんだろうな。」


「その通り去年の試験の中で死人が一番多く発生した試験でした。四方我的だったから適当にやるわけにはいかなかったのでしょう。」


「そりゃそうだろうな。」


「ちなみにこの試験は唯一去年以外にも何度か出た試験でした。」


「まじかよ……」


 内容もシンプルだし数を減らすにはちょうどいい内容だから出題頻度が高いのかも知れない。


「3次試験は王様守りといって受験生の中で一人王を決めて決められた時間の間試験官から王様を守る試験でした。結果、この試験で去年に参加した参加者全員が脱落しました。」


 合格者を全く出さない場合もあるのか。

 予想はしたけど予想以上に厳しい難易度の試験が行われているみたいだ。

 さっきサインした誓約書を思い出すと今度こそ俺の異世界生活が終わってしまうかもしれないと思い、冷や汗が流れた。


 話を交わしたおかげで彼女が恐れを忘れた頃、俺たちは2番目の門に到着した。廊下に入るときの木材の門とは違う、灰色になっている鉄材の冷たい扉である。

 ここが1次試験場か……

 入るぞ?と言うと彼女は緊張した顔で静かにうなずいた。

 鉄の扉の取っ手を下に折り曲げる。パカン!する音とともにがそっと開かれる。

 紫色の陰鬱な光が漏れ出た。何があるのかはわからないけど外じゃないってことは確かだった。


「!?!?!?!」


 次の瞬間― 体に異常ができる。

 いきなり足から力が抜けて精神が遠くなった。目の前が暗く染めたと思ったら視界を遮断される。重心を失った俺にレイナが何かを叫んだけど聞こえてこなかった。


 え?うそ…… うそでしょ……?なんで…… な…… ん…… で…… 俺…… が……


 何が起こったのかも知らずに、何かを始めることもできずに、そのまま倒れた俺は、気を失ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ここは異世界ですか?~今まで読んできた異世界テンプレがないんだけどどういうこと?~ 本を読むスライム @dbgml1622

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ