第7話 鬼の仮面の裏側 No2
ぼくは、次の日さとしさんの会社に行ってみた。
少し早く来過ぎたかもしれないと、会社の前の階段に座って新庄部長が来るのを待った。
しかし、八郎が座って間もなく新庄部長が向こう側から歩いてきた。
7時ちょっと前だった。
背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を向いて、いかにも神経質そうに口を真一文字に閉じていた。
少し眉をひそめた厳めしい表情をして、朝から張り詰めた空気を漂わせていた。
手には、まだ車のキーを握りしめていたので、車で通勤しているのが分かった。
まだ、二、三人しか出勤していない会社に、新庄部長が入っていった。
ぼくは、新庄部長と会社のドアをすり抜けて一緒に入っていった。
そう、ぼくは不思議なことがたくさんできるんだ。
今は誰にもぼくが見えていないんだ。
頑張れば壁もすり抜けられる。そして、ぼくはしばらく、新庄部長のそばで様子を見ることにしたんだ。
開発部の部屋に入るや否や、鞄を左手に持ったまま、ドアを入ってすぐ左にコーヒーや紅茶を入れる機械があり、手慣れた手つきでそこに紙コップを置き、コーヒーのスイッチを押した。
コポコポと湯気を立てながら紙コップにコーヒーが入れられた。
その紙コップを取っ手付きのプラスチック製のホルダーにセットして、自分の席へ持って行った。
きっと、毎日の習慣なのだろうと八郎は思った。
新庄部長は、自分の席に座ると、鞄からいくつかの資料とスケジュール手帳を出して、鞄を机の横に置いた。
まず、分厚い黒のスケジュール帳を開いて今日の予定を確認して、何か書き足した。それから、さっき一緒に取り出した資料を睨むように見つめていた。
大きな溜息をついて、その資料を机の上に投げ出した。
「どいつもこいつも!」
と吐き捨てる様に言った。
椅子の背もたれに大きくのけぞる様にもたれ、ゆらゆらと左右に回転させながら天井を仰ぎ見た。
すると、思いついたように机の引き出しから大きめの付箋を取り出し、何かを走り書きし始めた。
何か書き記した三枚の付箋を資料の気になる箇所に貼り付け、椅子から立ち上がり、部下の席と思われる机の上に置きに行った。
少し落ち着いたのか、さっき入れたコーヒーを飲み始めた。
椅子をくるりと机の反対側に向け、ビルから外を眺めながら溜息をついた。
しばらくすると、続々と社員が出勤してきた。
部屋に入ってくると、まず皆、新庄部長の方をちらりと見て席についている様だった。
怯える様に見るものもいれば、何気なくちらりと見る者もいたが、全員と言っていいほど新庄部長の方を見てから自分の席に着くのだった。
新庄部長の存在が、どれだけ社員にプレッシャーをかけているのかが見て取れた。
それは、過剰なプレッシャーとして社員にのしかかっていた。
「横山!」
突然、新庄部長が怒鳴り声で、部下の名前を呼んだ。
呼ばれた社員は、急いで新庄部長の席に走って行った。
横山さんは不思議とさとしさんにとてもよく似た雰囲気の男の人だった。
他の社員も、ちらちら横山さんと部長の方を見て、気にしている様だった。
皆も止めれるものなら止めたかったに違いない。
でもできないのだ。自分もあんな風に怒鳴られたくないし、会社で危うい立場になって仕事を失いたくないからだ。
「あの企画書はなんだ!何年この仕事をしているんだ!あれなら新入社員でも書けるぞ!もう一度やり直して来い!」
新庄部長は、自分の席に呼びつけるなり横山さんを怒鳴り続けていた。
横山さんは、真っ赤な顔をして下を向いたままだった。
「はい!」
とひと言返事をして席へと戻っていったが、新庄部長はまだ言い足りないかのように、ぶつぶつ呟いていた。
この怒りの悲しみはどこからくるのだろうと、八郎は思った。
この人は、壊れているんだ。
そして、周りをも壊していってる。
暴走したトラックが周りの建物をなぎ倒していく様だった。
なぎ倒された建物は、また隣の建物を倒す。
ドミノ倒しだ。速くい止めまいと。
八郎は両手を強く握った。
新庄部長のスマホの着信音が鳴った。
「分かった、そろそろ出ようと思っていたところだ。じゃあ後で。」
短いやり取りの後で、新庄部長は身支度をしながら目の前の社員に声を掛けた。
「ちょっと出てくる。すぐ戻ると思うが、重要な用件があれば連絡してきてくれ。」
目の前の社員は、「分かりました。お気をつけて行ってきてください。」
と言って目礼した。
新庄部長は、その社員の言葉を聞いたか聞かなかったくらい足早に部屋を出て行った。
ぼくは新庄部長の後を追った。
そして、駐車場の出口で新庄部長の車が出てくるのを待った。
自分の決めたことだ。
八郎勇気を出せ!と自分に言い聞かせた。
いよいよ、新庄部長の車が出てきた。
左折のウインカーを出していた。
ぼくは、電柱の後ろに立っていた。
そして、新庄部長が右を確認し、左を確認し、また右。ハンドルを左に切り、アクセルを踏んだその瞬間、ぼくは思いっきり新庄部長の車に体当たりした。
ぼくは大げさに道路の脇に倒れこんだ。
すると、新庄部長は、車を慌てて道路の脇に止めて駆け寄ってきた。
「おい大丈夫か!今救急車を呼ぶからな。」
そう言って、スマホを取り出し救急車を呼んだ。
それから、自分の上着を急いで脱いで丸めると、ぼくの頭の下に敷いた。
少し鼻血が出ているのと、膝がズキズキ傷んだ。
擦りむいたらしい。
でも、意識はしっかりしているし、他は大丈夫そうだったが、ここはしっかり意識がもうろうとしている振りをした。
心配そうにぼくを見下ろす新庄部長は、あの鬼の様な形相とは全く違って、別の顔をしていた。
なんて言うか、お父さんみたいな暖かい顔になっていた。
実際のお父さんを、ぼくは知らないのだけど、きっとお父さんってこんな顔をして心配してくれるんだろうなと思った。
救急車が来て、ぼくは担架で担がれ、救急車の中に乗せられた。
続いて新庄部長も一緒に救急車に乗った。ぼくの手を握り、ずっと声を掛けてくれた。
ぼくは、その時、新庄部長の心に入ることができたんだ。
そして、うわ言の様に
「お父さん、お父さん。」
って口走っていた。
なぜそう言ったかって?
その時は、ぼくも分からなかったけど、後でそれは分かったよ。
彼には深い心の傷があったんだ。
今ここは、彼とぼくが創り出している世界なんだ。
ぼくのエネルギーを使い切ってでも、この新庄部長を救いたいんだ。
そして、同時にこの負の連鎖を食い止めるんだ。
ぼくは病室に移され、頭を強く打っているので数日ベットで休むことになったんだ。
新庄部長は、まだぼくの横で椅子に座って看病してくれた。
「おじさん、何でこんなにぼくのそばにいてくれるの?」
ぼくは薄っすらと目を開けて新庄部長に尋ねてみた。
「おじさんにも、息子がいてね。事故にあった時にも、受験の合格発表とか、運動会とか全然そばにいてあげれなかったんだよ。君が小さい頃の息子に見えてね。痛みは大丈夫かい?」
ぼくは返事をした。
「うん、頭と膝が傷むけど、後はなんともないよ。それより、今その息子さんはどこにいるの?」
ぼくが尋ねると、新庄部長は、悲しみと憎しみとが混ざった眉間のしわが一層深くなり、苦しそうに答えた。
「もう何年も会ってないんだよ。おじさんは奥さんと別れてね、息子は別れた妻に着いて行ったんだよ。別れて初めて気が付くんだよ。どれだけ大切だったかってことをね。取り返しのつかないことをしてしまったから、もう戻れないんだよ。」
ぼくは、更に尋ねた。
「取り返しのつかないことって?」
新庄部長は、少し答えるのを戸惑っていたようだった。
「君みたいな小さな子供に話せることじゃないんだ。とにかく、妻を地獄に落とすほど傷付けてしまった。そんなことをするつもりはなかったんだけどね。結果的にそうなってしまったんだ。それからと言うもの、夫婦喧嘩を聞いてしまった息子の怒りは、全力で私の方に向けられたよ。万引きをしたり、シンナーやたばこを吸っては学校から連絡があってね。息子は、わざわざ私の会社の電話番号を言って、私を呼ぶように仕向けて学校や警察やお店の人に謝らせたよ。それで、家に帰っても毎回言い争いになり、殴り合いになることも多かったよ。お前のせいだ、お前のせいだって何度言われたよ。結局、妻は息子のためにも、妻自身のためにも私と別れることを選んだんだ。しかし、不思議なんだが、見ず知らずの、こんな若い君になんでこんなにしゃべってしまうのか分からないが、君なら分かってくれる気がして、誰にも話してこなかったことも話したくなってしまうんだ。本当にすまない。」
新庄部長は少し首を傾げながら、ぼくに謝った。
「おじさん、辛くて苦しいのはおじさんだけじゃないんだ。おじさんの会社の皆も、それぞれが辛くて苦しいことや悩みを持っている仲間なんだよ。なんで社員に辛く当たるの?」
新庄部長の顔が、一瞬蒼ざめた様に見えた。
そして、上ずった声でぼくに尋ねた。
「何でそれを?」
ぼくは言った。
「ここはおじさんの夢の中だよ。」
そう言ったかと思うと、ぼくは新庄部長の息子になっていた。
「父さん、何でなんだ。何でお母さんを裏切って、ぼくたちの家をめちゃくちゃにしたんだ!おれは、いつも父親がいない運動会も、参観日も発表会も、入学式も卒業式の寂しさも耐えてきたけど、それを支えてきたお母さんを苦しませるのは絶対に許せないんだ。あんたに、あんな素晴らしい女性が他にいるのかよ。なあ?いるのかよ!」
新庄部長の息子は、悔しそうに拳を握りしめて怒鳴った。
新庄部長の目から涙が溢れた。
目の前の息子を抱きしめて、むせび泣いた。
「本当だよな。あんないい女はもうおれの前には現れないよ。そして、お前みたいなかっこいい息子も、もうおれには戻らないんだ。分かっているよ。毎日毎日、痛いほど、苦しいほど分かっているよ。すまない、すまない。」
そう言いながら、息子の足元までずり落ちて、息子の両足を抱えながら、自分の過ちに泣きながら身悶えした。
「ねえ父さん、もう終わりにしないか?ぼくに似た社員がいるときつく当たっているんだろう?自分では抑えられないんだろう?あれは、本当は自分に対する怒りなんだろう?傷つけられるのは、ぼくと母さんだけで十分だよ。どう見ても今は正常じゃないよ。一度仕事を休んで治療をした方がいい。」
新庄部長が気が付くと、そこは病院のベッドの上だった。
首に簡易的なコルセットと、手首に包帯が巻かれていた。
頬には涙の後があった。
あれは、夢だったのか。
病院の天井を見ながら、さっきまで見ていた夢を思い出していた。
看護師が病室に入ってきた。
「新庄さん、意識が戻られたんですね?会社の前の道路で意識を失くされた様で、そのまま電柱にぶつかられたんですよ。幸いスピードが出ていなかったので、軽症だったんですよ。今、先生を呼んできますね。」
そう言って、看護師は、また病室を出て行った。
新庄部長は、また天井に向き直って独り言を言った。
「そうだったんだな。分かったよ、しばらく休むことにするよ。そして、ちゃんとお前とお母さんの所に謝りに行くな。」
八郎 宇地海太陽 @uchiumi336
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