第36話 義務

 鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した武将に楠木正成くすのきまさしげがいる。


 彼はゲリラ戦を得意とした。籠城戦ろうじょうせんに於いて、迫りくる敵の大軍に対し、巨石や丸太を転げ落し、油をかけ火を放ち、糞尿や熱湯を浴びせかけるなど、様々な戦法で圧倒的多数の敵を退けたという。


 その数々の名声により、現代に至るまで、天才、名将、軍神などと様々な名で称されてきたのだ。


 そして、ここ王都デスザガートにも、アベル=アスモデウスという天才戦術家がいた。実は、ちょっと歴史好きなだけの転生者なのだが。



「つまり、最終防衛ラインに群がっている敵に対し、砲弾に詰めた糞尿による『きたない爆弾』攻撃を行います」


 ふっ、これぞアスモデウス流軍学『楠木正成千早城ゲリラ戦』だ!


 ※アスモデウス流軍学『楠木正成千早城ゲリラ戦』とは:楠木正成が千早城の戦いで行ったとされる少数をもって多数を退けた籠城戦を元にした作戦である。因みに、本当にウンコを投げたかは定かではない。



 アベルの発言に、魔王サタナキアは恥ずかしそうに俯き、側近達は顔をしかめる。小粋なジョークでバケツにウンコをしろと言ったが、すぐ訂正し作戦の説明をした。


「う、ウンコじゃと……」


 サタナキアが顔を赤くする。バケツにウンコをしろと言ったのだから無理もない。


「陛下、バケツにしろと言ったのは冗談です」

「そ、そ、そなたの冗談は分かりづらいんじゃ!」


 そこに側近達が一斉にツッコみを入れる。


「いくらアンテノーラの奇跡を起こした閣下とあっても、いささか糞尿爆弾など……」

「まさに荒唐無稽こうとうむけい

「ウンコで敵を撃退できますかな?」


 だが、反論されるのは想定済みである。アベルはすぐさま説明する。


「人族にとって、我ら魔族がどのような扱いか理解されておられますか?」


「そ、それは……」

 側近の一人が答えに詰まる。


「家畜にも劣る下等生物。知能が劣った存在。唾棄すべき敵。これら全て人族の共通認識です。人族は子供の頃から洗脳教育で徹底的に、このように教え込まれております」


 アベルの発言で玉座の間にいる全ての者が固まる。


「そんな、差別している対象の下等な存在から、糞尿の雨を降らされたらどう思うでしょうな」


「なっ!」

「そ、それは!」


 側近達の表情が一変する。


「人族はこう思うに違いまりません。『薄汚い魔族の糞を頭から被るなど、絶対にあってはならない屈辱だ!』と――」


 例え人間同士であっても、糞尿をかけられるのは最大級の屈辱だろう。しかも、それが差別対象である魔族からの物となれば、憤死しそうな程の汚辱であること間違いない。


「そうなれば、ドレスガルド帝国軍兵士は、大混乱になるか士気の低下などが起こるはずです。すぐに体や服を洗わなくてはと。更に、腐った糞尿が傷口に入ると、破傷風……コホンっ、熱病に侵されるとの言い伝えもあるので尚更ですな」


「し、しかし、そう上手く行きますかな」

 側近の一人が呟く。


「これは敵を撃退するのが目的ではありません。混乱を生じさせ、一時的に退却し体勢を整えさせることにより、我らに時間的猶予を作ることが目的であります」


「と、言いますと……この状況を覆す戦略をお持ちだと?」


 側近達がアベルの話に聞き入っている。最初は馬鹿げた話だと思っていたはずなのに、今では次にどのような権謀術数けんぼうじゅっすうが出てくるのかと期待するように。


「無論です! この状況を大逆転せしめ、魔族領から敵を一掃する秘策があります。糞尿爆弾で敵の混乱に乗じ私は王都を脱出し、隠してある秘密兵器を使い敵の大軍を撃滅する所存!」


「「「おおおーーーーっ!」」」


 狼狽えていたはずの側近達が歓喜の声を上げる。誰もがアベルの熱演でその気になったのだろう。絶望的な状況に於いて、誰しも英雄を求めるものなのだから。



 細かな作戦立案と打ち合わせの為に退出しようとするアベルに、黙って聞いていたサタナキアが声をかけた。


「アベルよ……大丈夫なのか?」

「お任せください。私が全ての敵を、この国から一掃してさしあげます」

「う、うむ……気をつけるのじゃぞ」

「はい」


 心配そうなサタナキアを残し、アベルは作戦会議室へと向かった。


 ――――――――




 並み居る魔王軍幹部が首を揃える中、アベルは淡々と作戦の全容を説明する。魔王の側近には異を唱えられた作戦だが、意外にも皆が静かに聞き入っている。この絶望的な状況では、アンテノーラの奇跡を起こしたアベルに期待するしかないのだろう。


 因みに、総司令官のギエルグ=ルキフグス元帥と総参謀長のアルデビト=バラム元帥の謹慎は解いても良いのだが、面倒なので会議には呼んでいない。もう少し静かにしていてもらうつもりだった。



「サルガタナス大将、この計画で進めてもらえますかな?」


 アベルが第一軍司令官であるマルストス=サルガタナス大将に話しかけた。


「はっ! 大元帥閣下のご命令とあらば」


 眉間に深いシワの入った強面の男が頭を下げた。代々続く大貴族の出であり、装飾華美な第一軍を率いる公爵である。


「御自身の息子より年下な若者が上官で、何かと文句もあるかもしれないが、非常時故ご協力を願いたい」


 アベルの言葉でサルガタナス大将が立ち上がった。


「とんでもない。陛下から大元帥と統帥権を譲渡された閣下の声は、まさに陛下の声と同じ。何の文句がありましょうか」


 貴族階級や軍の上下関係を重んじる大貴族で構成された第一軍司令官だけあって、大元帥になったアベルには大人しく従うようだ。


 細かな作戦指示は二コラに任せておく。大元帥の権限でニコラを中佐に昇進させ、汚い爆弾作戦の特任参謀として作戦指揮に関わらせておく。アベルの考えを理解し行動できるニコラならば、任せておいて間違いはないだろう。


こうして、第一軍が汚い爆弾作戦に、第二軍は敵の大攻勢に備え温存とアベルの王都脱出の支援に決まった。




 会議が終わり廊下を歩くアベルの視界に、懐かしくも不快な男の姿が目に留まった。士官学校時代に何度も衝突を繰り返した大貴族の御曹司だ。


「おい、誰かと思えばゲリベンじゃないか。懐かしいな」


 アベルがゲリベンと呼ぶ男、ディートリヒ=ゲリベンストに声をかける。


「なっ、あ、アベル……い、いや。失礼致しました! 大元帥閣下」


 士官学校のつもりで呼び捨てにした後で、大元帥だと気付き言い直す。権威を振りかざす者は権威に弱いのだ。


「どうした、元気がないようだが?」


 俯いて歩くゲリベンに声をかけるアベル。この男は、学生時代から不遜で偉そうだったはずだ。このような弱気な顔を見たことは無かった。


「うっ、ううっ……この度の戦争で……俺、いや小官の故郷である侯爵家の領地が敵に侵略されたと聞きました。ううっ、ぐすっ、もはや父上も母上も……小官はどうしたら良いのか……うううぅ、ああっ」


「ゲリベン……」


 この男、差別意識も強く無能なボンボン貴族の御曹司だったが、そんな男でも戦争で家族を失うのは可哀想だな。戦争は無差別に命を奪ってゆくのだから。


 あれだけ威張り散らしていた男が、今は見る影もなく泣いている。

 アベルは、そんな彼に真正面から向き合った。


「ゲリベンスト少尉! 貴様は名門貴族の御曹司ではないのか! 武勇に誉れ高き名門貴族のプライドを忘れたのか!」


「えっ、い、いえ」


「お父上お母上のことはお悔やみ申し上げる。しかし、何の為の貴族なのか! 偉そうにふんぞり返って庶民を差別するだけが貴族の仕事か? 貴族とは、このような国難にあって庶民の矢面に立ち戦う事こそ存在意義! それこそ社会的地位には義務が伴うノブレス・オブリージュ!」


「は、はい」


「ならば、為す事をせよ! ディートリヒ=ゲリベンスト! 戦って敵を押し返し領地を取り戻せ! 塗炭とたんの苦しみに暮れる領民を救い出せ! それが貴様の仕事だ!」


「はっ! 分かりました大元帥閣下!」


 敬礼するゲリベンを横目にアベルが行く。そのゲリベンといえば、アベルの言葉で瞳に闘志を燃え上がらせているようだ。ぶつぶつと一人で呟いている。


「そ、そうだ……俺様は大貴族の御曹司だ。必ず領地を取り返す。そして父上と母上の墓前に花を添え報告するのだ。俺は仇を打ったと」


 ――――――――




 それぞれが想いを胸に秘め交差する戦時。アベルの胸にも大きく去来する想いがあった。同じ転生者であるローラに、真実を伝えるかどうかである。


 宮殿を出て通りを歩くアベルに、ある店が目に留まった。明日をも知れぬ最悪の状況だが、人の営みは途絶えず続いている。その店を見たアベルが、一つの決断をしようとしていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

転生悪魔は大逆転する! ~転生したら上級悪魔、人生に絶望しているので魔王軍幹部になって人類滅亡させます~ みなもと十華@書籍化決定 @minamoto_toka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ