パニックホラーと正常性バイアス

 ウイルス感染により、人肉を喰らう以外の意思を失った少年たち。
 彼らは互いに喰い殺し合い、全滅した…わけでは無かった。
 何故か自我を保ったまま、ただ一人生き残ってしまった少年・得也。
 自我はあっても人の心が無い彼は、食欲のままに他人を喰い散らかす。
 彼に喰い付かれた人間は、即座に人喰いのグールと化し、周囲の人間を手当たり次第襲い始める。感染者は感染者を生み、どんどん収集の付かない事態に…

 と、いうのがおおまかなあらすじだが、これでは半分も面白さが伝わらない。
 この物語の主人公は得也ではなく、銀行員で自治会長の宏志であり、無責任な自治会メンバーであり、他人の恋路に夢中な女子高生たちであり、子どもを持つ親たちでもある。
 パニックホラーの主人公といえば、粗暴だが頼りになる無法者とか軍人上がりとか、その辺が思い浮かぶ。
 が、そんな人間は社会に溶け込めないだろう。
 舞台となる町の住民は、皆それなりに善良で常識があり、我が身可愛さ故の保身も忘れない、どこにでもいる普通の日本人たちだ。
 常識的な彼らは、いとも容易く「ホラー映画の常識」をぶち壊してしまう。
 自身の生活する環境は安全で安心だという、根拠の無い思い込み。
 自分は大丈夫という慢心。
 目の前の凄惨な現実からは目を逸らし、命の掛かった場面でも「今はそんな場合じゃないだろう」という選択を繰り返す。
 人喰い事件をニュースで見ながら、菓子パンにジャムを塗る。
 人喰いの化け物に襲われながら、見舞金をどうすべきか考える。
 事件は生々しく生活を脅かしているのに、知人のゴミの出し方が気になって仕方ない。
 それでも切羽詰まれば生き延びるために戦うのだが、過ぎてしまえば他人事。
 体育館2回通路が観戦席となった場面は、「そんな場合か、馬鹿が」と笑ってしまった。
 しかし、誰しもこうならない保証は無い。
 社会生活上、立場というものがある。
 どんなに酷い出来事だって、いつかは終わる。
 現実逃避のために現実の生活を考えてしまう矛盾がリアルで、「結局どうなるんだ」と、スクロールの手が止まらなかった。
 メインヒロインとも言える梨恵も、色々な意味で魅力的な人物なのだが、彼女について書くと全てネタバレになりそうなので、やめておく。