第194話 出陣と陥落

 犯人を捕まえ身の潔白を証明すると、城内における吉清の地位は回復した。


 あとは城の守りを固め、大過無く過ごすのみである。


 吉清が気を緩めていると、荒川政光が詰め寄ってきた。


「いったいどうなさるおつもりですか」


「何がじゃ」


「淀殿のことにございます! 流言を広めた犯人が捕まったのは良かったものの、淀殿は誤って捕まえてしまったことになります。

 未だに我らの元で軟禁をしたままというのは、さすがに……」


「…………いや、いいだろ。そのままで……」


「いや、しかし……」


「儂はこれまで、幾度となく淀殿に振り回されてきた。……今は天下分け目の大一番なのじゃ。これ以上、淀殿に邪魔をされるわけにはいかん」


 史実における大坂の陣でも、淀殿が頑なに秀頼を出陣させなかったことが敗因とされている。


 その淀殿を軟禁できたのだから、あとは秀頼さえ言いくるめれば、秀頼を出陣させることができるのではないか。


 そう考えた吉清は、大坂城本丸に詰める秀頼の元に向かうのだった。






 淀殿が軟禁されていることがわかるや否や、豊臣家臣の武将たちが秀頼に出陣を求めるべく詰め寄った。


「秀頼様、今こそ奸臣家康を討つ好機にございます! どうかご出陣を!」


「どうか!」


 強面の男たちに詰め寄られ、秀頼の目尻には涙が浮かんでいる。


 吉清としても、秀頼にはぜひ出陣してもらいたいところではある。


 だが、淀殿が姿を消したとはいえ、当の秀頼に戦意がないのでは、どうすることもできない。


 さてどうしたものか……。


 ふと中庭に目をやると、そこには婚礼の折に吉清が贈ったゾウが飼育されているのだった。






 適当な理由をつけて武将たちを退けると、吉清は秀頼と二人きりとなった。


「……吉清、お主も私に出陣しろというのか?」


「はっ、此度は豊臣の天下を二分する大戦にございます。……それを、どうして豊臣の棟梁たる秀頼様が目を背け、家臣に丸投げすることができましょう」


「しかし……」


「どうか、ご決断を」


 吉清が深々と頭を下げるも、秀頼は一向に頷く気配を見せない。


 こうなれば仕方がない。吉清は切り札を出すことにした。


「秀頼様がご出陣して頂く暁には、それがしの献上したゾウに乗って出陣いたしましょう」


「……なに!?」






 家康が流言を流して、数日が経過した。


 何年も前から淀殿の元に潜ませていた間者を用い、城内を混乱に陥れたはいいが、肝心の間者たちが戻る気配を見せないでいた。


(これは、捕まったやもしれぬな……)


 失敗したのなら、また新たな流言を流すなり調略をすればいい。


 そうして策を練るべく本多正信を呼び寄せると、大坂城から千成瓢箪せんなりびょうたんの旗印が立ち上がった。


「あれは……!」


 千成瓢箪とは秀吉の用いていた旗印で、現在それを使えるのは秀頼のみだ。


 それが戦場に現れたということは、秀頼が戦場に出たことを意味するのではないか。


 混乱する徳川家臣たちに、家康が叱責する。


「落ち着け! あれは木村が勝手に持ち出したものじゃ! 秀頼様が出陣するなど、あるはずがない!」


 淀殿の妹夫婦である秀忠の立場を利用し、淀殿には秀頼を出陣させないよういい含めておいた。


 誰よりも家族を失うことを恐れる淀殿ならば、必ず秀頼を守り通そうとするだろう。


 ゆえに、秀頼の出陣などありえない。ありえるはずがない。


 それこそ、淀殿が秀頼の側にいない限り──


 狼狽する家康を尻目に、徳川家臣の一人が敵方の奥を指差した。


「あれは……木村吉清が秀頼様に献上した、ゾウではありませぬか?」


「なに?」


 家康が望遠鏡を覗き込む。


 ゾウの背中に跨がっているのは、他でもない秀頼の姿だった。


「そんな、バカな……」





 秀頼が木村方として出陣したとの話は、またたく間に戦場を駆け抜けた。


「秀頼様が……?」


「まさか……!」


 秀頼が木村方として出陣するということは、木村吉清に大義があると認めるに等しい。


 いち早く秀頼出陣の報を聞きつけた加藤嘉明は、今後の方針を考えていた。


「殿、いかがされるおつもりなのですか?」


「……領地へ戻るぞ」


「では、徳川様に連絡を……」


「その必要はあるまい。……今頃、内府殿の陣でも大騒ぎとなっていることだろう。今のうちに軍を退け、秀頼様に恭順の意を示すのだ」


「はっ!」


 加藤嘉明が家康に無断で退却を始めたのを皮切りに、徳川方の崩壊が始まった。


 家康の元に、次々と各将の報告が送られてくる。


「殿、福島正則が秀頼様に恭順の意を表明しました!」


「池田輝政が木村方に寝返り、榊原康政の軍に攻撃を始めました!」


 次々に押し寄せる離反者の報告に、家康は頭が真っ白になっていくのがわかった。


「バカな……まさか、そんなことが……」


 秀頼の出陣により、敵方の士気は大いに高まり、次々と豊臣恩顧の大名を味方につけている。


 対する徳川方は、兵数を大きく減らされ、相次ぐ豊臣恩顧の大名の離反により、士気を下げられている。


 この場で戦をしたところで、勝ち目がないのは目に見えていた。


 それならば、できるだけ多くの兵が残った状態で領地に戻り守りを固めた方が、まだ生き残る可能性は高いというものである。


「…………ここは退くぞ。一度江戸まで戻り、態勢を立て直すのだ」


 家康が全軍に退却の指示を出そうとしたところで、江戸から急報を知らせる使者が現れた。


「もっ、申し上げます! 木村清久率いる奥州軍が江戸城を制圧したとのこと! また、津軽為信や松前慶広ら率いる他の軍も関東の城を次々に攻め落としているとのことにございます!」


「なっ……」


 家康の頭が真っ白になる。


 帰る場所を失い、戦をしようにも兵数と士気で大きく負けている。


 ここにきて、家康は打てる手をすべて失ってしまうのだった。


 慶長8年(1603年)9月。家康は木村方に降伏を申し出た。


 こうして、後に徳川の乱と呼ばれた戦が幕を下ろすのだった。

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