第190話 宇都宮の戦い

 双方が佐竹を味方につけるべく使いを送る中、南下した奥州軍が結城秀康の布陣する宇都宮に到着した。


 この地に横たわる鬼怒きぬ川を挟み、両軍が向かい合う。


 斥候からの報告を聞き、結城秀康は顔をしかめた。


「……木村軍の兵が多いだと?」


「はっ、どうやら途中で蒲生の軍が合流したとのことにございます」






 徳川軍の対岸に陣を敷くと、清久は軍議を開くべく武将を招集した。


 その中の一人、蒲生家より送られてきた蒲生郷可の手を握ると、清久は周囲に聞こえるようおおげさに声を出した。


「此度の援軍、まことにかたじけない。貴殿が来てくれたからには百人力! 結城秀康の軍なんぞ、軽くひねり潰してくれましょう!」


 蒲生家の筆頭家老、蒲生郷可が率いる軍は、実に4000。


 これで清久が率いる軍と合わせて、2万9000もの兵が集まった。


 結城秀康率いる徳川方の兵数は1万2500と聞いていたため、実に二倍以上の兵数差が開いたことになる。


(この戦、勝ったな……)


 清久は内心でそう確信するのだった。





 戦いの火蓋が切られると、奥州軍は予想以上の苦戦を強いられた。


 結城秀康はこの地で奥州軍と戦うことを予期していたのか、何重にも柵を敷き、竹束を用意して守りを固めていた。


 加えて、奥州軍は川を越えて攻め込まなければならないのも大きかった。


 川を渡って攻め込む兵たちに次々と鉄砲が撃ち込まれ、その度に損害ばかりが大きくなる。


 鉄砲対策に竹束を盾に距離を詰めようにも、川に流され思うようにいかない。


 このまま兵数に物を言わせて力技で攻めるべきか、あるいは城攻めのために取っておいたあれを使うべきか……。


 逡巡する清久の耳に、妙な音が聞こえた。


「なんだ……この音は……」


 次の瞬間、対岸より浴びせられた砲撃が蒲生軍を抉った。


 その音に、その威力に、清久は覚えがあった。


「あれは……大筒か!」


 慶長の役でのこと。明水軍を相手に、敵の射程外から一方的に砲撃を仕掛け、木村水軍は華々しい勝利を飾った。


 陸での戦いとなれば鉄砲を主力に使うと誰もが考えるのだろうが、結城秀康は違うというのか。


「まさか、……」


 清久は奥州の山々を越えた野戦砲を準備させると、対岸の徳川軍目掛けて砲撃を開始した。


 そうして、初日の戦いは両軍痛み分けで幕を下ろすのだった。




 その夜、奥州軍で軍議が行なわれた。


 倍以上も兵力差のある徳川軍を相手に、まさかここまで苦戦を強いられるとは思ってもみなかったのだ。


 打開策を募るべく、清久が武将たちを見回した。


 そんな中、南条隆信が立ち上がった。


「夜襲を仕掛けましょう!」


 奥州大名たちが顔を見合わせる。


「連中がいかに守りを固めたとはいえ、迂回して背後から攻め寄せればなんてことはありませぬ。それどころか、槍働きというのなら徳川の弱兵より、我ら奥州軍に軍配が上がりましょう!」


「そのとおり!」


「雪の降らぬ地で鍛えた者に、負ける気がせんわ!」


 南条隆信の言葉に気を良くしたのか、他の奥州大名たちから次々と同意の声が挙がる。


 それらを制して、清久が口を開いた。


「夜襲を仕掛けるとなると、闇に紛れて渡河せねばならぬ……。土地勘のない我らに、無事に渡河できるものか……」


「私が案内役を務めましょう」


「お主は……」


 成田氏長。北条家滅亡後は木村家臣となったのち、娘の甲斐姫が秀吉に見初められたことで大名となったのだ。


 会津征伐が発令された際は保身のために徳川方に与していたが、奥州木村軍が南下すると聞き、すぐさま木村方に寝返ったのだ。


「できるか?」


「お任せあれ」


 成田氏長の領地は下野国の烏山にあり、宇都宮とはほど近い。


 また、北条の旧臣ということもあり、関東の地理には詳しかった。


 そうして、成田氏長を案内役に、南条隆信率いる木村軍、津軽為信率いる津軽軍、北信景率いる南部軍、総勢1000もの兵が行軍を開始した。


 結城軍に悟られぬよう、下流から大きく迂回して渡河を始める。


 二刻(四時間)ほど時間をかけて川を渡りきると、夜襲部隊は結城軍の後方に回り込んだ。


 かすかな明かりを頼りに兵を進め、見張りの兵を音もなく倒していく。


 徳川軍の目と鼻の先にまで来ると、南条隆信が声を張り上げた。


「かかれぇ!」


 南条隆信の掛け声を合図に、津軽軍、南部軍が一斉に襲いかかった。


 突然のことに寝ていた兵が着の身着のままの姿で逃げ惑う。


 そんな兵たちを背中から斬りつけ、兵糧を保管している陣に火矢を射掛ける。


「焼き討ちじゃあ! 全部燃やし尽してしまえ!」


「恐れおののけ! 陸奥みちのく武士の意地を見よ!」


 徳川兵を蹂躙する奥州軍を前に、結城秀康が愕然とした。


「なんてことを……!」


 すぐさま結城秀康は直臣の率いる結城軍をまとめ上げると、夜襲を仕掛けてきた奥州軍に当たらせた。


 結城兵が応戦している間、混乱している徳川兵をまとめ、軍としての体裁を整えていく。




 次第に敵兵たちが統率を取り戻していくのを見て、南条隆信が諸将に呼びかけた。


「潮時だ! ここいらで兵を退くぞ!」


 隆信の指示で成田氏長や北信景が兵を集め退却を開始した。


 津軽為信も撤退を始める傍ら、振り向きざまに弓を構えた。


「土産だ……とっとおきな!」


 弦を引き、襲撃の間に合わなかった陣に火矢を放つ。


 為信の手を離れた火矢は光の尾を引いて、一直線に徳川陣に突き刺さる。


 陣幕に火がつくと幕が倒れ落ち、次の瞬間に爆発が起こった。


 どうやら火薬に火がついたらしい。


(なんて僥倖だ……! 置土産のつもりだったが、これほどの騒ぎになるとは……!)


 この爆発で、再度徳川兵が混乱に陥ると、その間に津軽軍も退却を始めるのだった。





 結城軍の陣から火の手が上がると、それを合図に清久が本陣に残る軍の采配をとった。


「我らの夜襲により、敵は浮足立っておる! 今こそ雌雄を決する時よ!」


「「「おおおおおおお!!!!!!!」」」


 清久の指揮により、兵たちが一斉に渡河を始めた。


 既に空は明るくなり始めており、別働隊と同士討ちの恐れもない。


 さしたる抵抗のないまま川を渡りきると、次々と徳川兵を斬り伏せていく。


 夜襲の混乱から立ち直ったばかりの徳川軍に、猛然と奥州兵たちが押し寄せてくる。


 二倍近くの兵数差。地に落ちた士気。


 そのうえ、渡河を許したことで地の利を失った徳川軍が潰走を始めると、戦の趨勢は完全に決するのだった。






 本陣にて指揮をとる結城秀康の元に、右翼、左翼が崩れたとの報告が入った。


「もはや、これまでか……」


 家康より与えられた多くの兵が逃げ出す中、当主である結城秀康を死なすまいと、結城軍が踏みとどまっていた。


 だが、それも時間の問題だ。


 時が経つほど不利になるのはわかりきっている。


 結城秀康が気落ちしていると、結城兵の一人が駆け寄ってきた。


「殿、佐竹軍です! 佐竹が軍を引き連れ、こちらに向かってきております!」


 物見の者の叫びを聞き、兵たちの目が輝いた。


 負け戦になると誰もが考えた最中に、降って湧いた希望の一軍。彼らが味方につくとなれば、まだ立て直せる。


 最後の力を奮い立たせる兵たちを眺め、結城秀康は「違う」と思った。


(こちらに味方をするのなら、事前にそう連絡を入れるはずだ。そうしないのは……)


 佐竹軍の到着を喜ぶ結城軍に、佐竹軍が鉛球の雨を浴びせるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る