第96話 間男
この日、吉清は再び淀殿のところへ招かれていた。
(気が重いのぅ……)
先日の記憶が蘇る。
淀殿に助命嘆願の礼をするべく訪れた際、料理に薬を盛られ、そのまま致してしまったのだ。
今日招かれたということは、淀殿はそのつもりなのだろうか。
このままではいけない。
一人で足を運んでは、淀殿に食われてしまいかねない。
一人ではダメだ。他にも誰かを連れていきたい。
ただの連れではダメだ。失っても惜しくなく、それでいて吉清の誘いにホイホイ乗るような、そんな軽率な者がいい。
そんなことを考えていると、向こうで伊達政宗と最上義光が話しているのが見えた。
生贄、あるいは道連れを見つけ、吉清はニヤリと微笑んだ。
吉清に呼ばれ、最上義光と伊達政宗が首を傾げていた。
「なぜ木村殿が招かれたというのに、我らにまで声をかけるのじゃ」
「伯父上の仰る通りよ。……何か裏があるとしか思えぬな」
秀次という後ろ盾を失った今、義光と政宗には家康という後ろ盾しか残されていない。
豊臣政権下を生きていく上で、味方は多いに越したことはない。
そう考えれば、豊臣家の跡取りとなる拾の生母である淀殿とお近づきになるのは、悪いことではないはずだ。
そのはずなのに、二人は嫌な予感がしてならないのだった。
吉清、政宗、義光の顔を見て、淀殿が首を傾げた。
「…………わたくしは一人しか招待していないはずですが……」
「こ、此度は淀殿が助命嘆願をしてくださったとのことで、最上殿、伊達殿も是非礼を言いたいと……」
適当なことを言う吉清を睨みつつ、政宗と義光が頭を伏した。
「…………わたくし、あの者たちの助命を嘆願しましたっけ?」
側に控えていた侍女に尋ねるも、なんのことかと首を傾げた。
とはいえ、手ぶらで帰すようなことをするのも気が引ける。
淀殿は三人分の料理を用意させた。
三人の前に膳が置かれると、吉清は二人に先に食べるよう促した。
「…………どうした。早く食わぬか」
急かす吉清に、政宗と義光がいぶかしんだ。
「……いや、なぜ木村殿は見ているだけなのだ」
「うむ。木村殿も早く食べればよいものを……」
「いや、儂はここに来る前に腹ごしらえをしたゆえ、腹が減っていなくてだな……」
見え透いた言い訳に、政宗と義光が顔を見合わせた。
政宗が汁に顔を近づける。
「……関白殿下と違って、毒は入ってなさそうだな」
「…………では、食べるか」
義光が器を手に取ると、政宗と義光は料理に口をつけるのだった。
そうして、食事をしながら談笑していると、淀殿の侍女が割り込んできた。
「茶々様、太閤殿下がいらしました」
「そうですか」
そう言って、淀殿が席を立った。
吉清を招いていた淀殿がいなくなれば、もうこれ以上ここに居る必要はない。
「……では、儂らはこれで……」
吉清が席を立とうとすると、侍女が止めた。
「今は表に行かない方が良いかと存じます」
「なぜじゃ」
「太閤殿下は嫉妬深きお方……。このまま鉢合わせては、ことによっては……」
侍女の言葉に、三人が顔を見合わせた。
「待て待て! 俺たちは何もやましいことなどしていないぞ!」
「左様左様! 殿下も人の子じゃ。話せばきっとわかってもらえるはず……」
そこまで言いかけて、はたと思い至った。
つい先日、話してもわかってもらえず、秀吉によって腹を切らされた者がいたばかりではないか。
政宗、義光は秀次と親しい立場にあっただけに、秀吉の勘気の恐ろしさをよくわかっていた。
「このままでは殿下と鉢合わせてしまいます。急ぎ、奥へお下がりください」
吉清、政宗、義光が奥の部屋へ隠れると、それと入れ違いに秀吉と淀殿が入ってきた。
淀殿の帯を解くと、秀吉の動きが止まった。
「…………なぜここに膳が置かれておる。誰か来ていたのか?」
襖の隙間から覗き見していた吉清が冷や汗を流した。
あれは、自分の膳だ。政宗と義光は自分の膳を避難させていたが、吉清はそこまで考えが至らなかったのだ。
政宗が吉清をこづいた。
(どうするのだ! 貴様が置いていったせいで、殿下がいぶかしんでおるぞ!)
(うるさい! 儂の領地で一揆を起こした分際で……)
(それは今関係なかろう!)
(静かにせい! 太閤殿下に気づかれたらどうする)
秀吉の問いに、淀殿は妖しく微笑んだ。
「…………確かめてみますか?」
はらりと着物を脱ぐと、生まれたままのは姿になった。
秀吉が下卑た笑みを浮かべると、淀殿に覆いかぶさった。
襖の隙間から三人が見守る中、秀吉と淀殿は愛し合うのだった。
翌朝。秀吉が淀殿の元を去ると、三人は逃げるように淀殿の元を後にした。
一晩中、秀吉と淀殿の情事を見せつけられた三人は、何とも言えない気分になりながら帰路についていた。
伏見城を出て大名屋敷の並ぶ区画に入ると、政宗が吉清を怒鳴りつけた。
「まったく……なんということに巻き込んでくれたのだ!」
「政宗の言うとおりよ!」
「このようなことになると思うはずがなかろう! だいたい、のこのこついてきたお主らにも責任はあろうて!」
「なんだと!」
そうして、三人は人目もはばからず喧嘩をするのだった。
後日、どうしても吉清の様子が気になった政宗は、再び淀殿の元を訪ねていた。
表向きは先日の非礼を詫びるというものだが、あわよくば淀殿と人脈を築き、木村吉清の弱味を握るのが目的だ。
出された料理に舌鼓を打ち、酒を片手に自分の武功を披露していると、政宗は急速に意識が遠のいていくのがわかった。
翌朝、政宗は吉清が一人で淀殿の元を訪ねようとしなかった理由を、身を持って知ることになるのだった。
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